終焉

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 持ち込んだラップトップで、陞(のぼる)はこっそりと文章を書いていた。できるだけ静かにキーを叩いてはいたが、夜中に巡回の看護師に見つかると、 「まあ、陞さん、またそんなことして。」 と窘められては、 「すいません・・。」 と、頭をペコリと下げつつも、看護師がいってしまった後、再び画面に向かって文章を書いていた。そして、出来上がった文章をネット上にアップすると、音を立てずに病室を抜け出して、喫煙室で一服するのが日課だった。彼が病院に運び込まれたのは、つい数週間前のことだった。仕事先で急に具合が悪くなり、一緒に作業をしていた同僚が彼に付き添って、病院までやって来た。同僚は、彼が診察を受ける間、外で待っていた。そして、 「あの、ご家族の方ですか?。」 と、病室から出て来た医師が、同僚にたずねた。 「いえ、ボクはただの同僚です。それと、陞さんには一人暮らしで、ご家族はいないようです。」 同僚がそういうと、医師は少し困ったような顔になった。そして、 「詳しいことは検査の結果を待ってからになりますが、このまま入院することになります。」 と、医師は端的に伝えた。 「え?、そんなに悪いんですか?。」 同僚の質問に、医師は小さく頷いた。 「他に知らせる人か知り合いがあればお話出来るんですが・・。」 そういいながら、医師は仕方無く、陞の同僚にだけ概要を伝えた。数分後、病室から陞が出て来ると、 「あ、先生。薬が効いて、随分楽になりました。どうも有り難う御座いました。」 そういいながら、同僚と二人で帰ろうとした。すると、 「あ、陞さん。さっき先生がいってたけど、今日はこのまま検査入院だって。」 「え?、そうなん?。」 陞は驚いた表情で同僚と傍らにいた医師を見た。医師は静かに頷いた。 「会社の方にはボクから伝えときますから。何か持って来て欲しいものとか、ありますか?。」 「そっかー。じゃあ、部屋にラップトップが置いてあるから、それを頼むよ。」 陞は社宅の小さな小部屋を間借りしていた。数年前に職場に現れて以来、其処でずっと真面目に働いていた。一人暮らしの侘び住まいだったが、年配ながらも愛想は良く、年下の同僚達からも慕われていた。  入院の手続きを済ませると、陞には個室が宛がわれた。若干費用が高くなるからと最初は断ったが、相部屋がいっぱいとのことだったので、陞は仕方無くその部屋にすることにした。しかしこの時、病院側は陞に何かあった場合に備えて、個室を宛がったのだった。陞は自販機の脇にある喫煙コーナーで一服しながら、同僚が来るのを待った。小一時間ほどして、 「すいません。遅くなりました。」 といいながら、同僚はラップトップと、気を利かせて取り敢えずの着替えが入った紙袋を持ってきた。 「あ、すまないね。でも、こんなに着替えは・・。」 といいながら、陞は同僚を見た。すると、同僚も一瞬しまったという表情をした。その瞬間、全てを察したように、 「そうか・・。どうも、ありがとうな。」 そういうと、陞は柔和な表情になって、同僚を見つめた。 「何かあったら、連絡下さいね。またすぐ来ますから。」 同僚はそういうと、陞に挨拶をして仕事に戻っていった。一人になった陞は、受け取った荷物を持って、病室に運んだ。そして、まだ日も高いからと、着替えをせずに、病室の隅にある小さな机にラップトップを置くと、ネット環境を確認した。 「うん、使えるな。」 そういうと、陞は病室に差し込む優しい日差しを浴びながら、書き物を始めた。彼は物語を書いていた。内容は、ごく普通の家族の、何気ない日常を描いた物語だった。若くして職場で知り合った二人が、やがて結婚し、男の子をもうける。そしてそこ子が成長する様子を、両親が優しく見守る。時折、家庭内でちょっとした事件や、子供が部活で優秀な成績を上げたりと、些細なエピソードは起きたが、そういう淡々とした出来事を綴り続けた物語だった。今日は仕事をしなくてよくなった分、陞は快適な病室で書き物に没頭出来た。そして、ラップトップの影も長くなり出した頃、 「コンコン。」 と、病室の戸をノックする音がした。 「はい。」 「お食事の期間です。」 配膳係の人が、各病室に食事を持って来た。 「あら?。着替えてないんですか?。」 「ええ。今日入院したばっかりで、そのままです。」 そういいながら、陞は食事のトレーを受け取ると、ベッドに備え付けられてある机の上にそれを置いた。そして、 「カプセルホテルの気分で、ひとっ風呂浴びてから食事を・・って訳にはいかないかな。」 と、トレーの回収時間を気にしつつ、陞は同僚が持って来てくれた寝間着に着替えると、ベッドの上に座って、 「頂きます。」 と手を合わせた後、食事を食べ始めた。全てが丁寧に作られた食事ではあったが、何処となくぬるく、味付けは当然のように薄味だった。それでも、好き嫌いの無い陞は、そんな病院食も、 「あ、この大根、結構いけるな。」 と、一つずつのおかずの味を確かめながら、ゆっくり食事を取った。  いつもは仕事が終わって、夕食を取ってから寝るまでの間にする書き物だったが、病室では他にすることが無かったので、陞はかなりの量の文を書いた。彼がこんな風に物語を書き始めたのは、数年前に遡る。とある古書店のワゴンセールで売られていた一冊の小説が切っ掛けだった。陞は店の前を何気に通りかかっただけだったが、 「ん?。本・・かあ。」 というと、ポケットにたまたま入っていた小銭を確認して、ワゴンから適当に一冊を手にした。そして、 「すいません。これ下さい。」 と、その本をレジに持っていき、そのまま買って帰った。たまに若い同僚と飲みにいくことはあったが、仕事を得て生活が整った今、彼は一人で夜を過ごすのに若干、退屈を感じていた。そんな暇つぶしにでもと思い、陞は座椅子に腰掛けながら、今日買ってきた本を読み始めた。其処にはとある家族の何気ない日常が描かれているだけだったが、気付けば陞は本を手にしながら涙していた。 「あれ?、オレ、泣いてるのかな・・。」 彼は頬を伝う涙を手で拭うと、煙草に火を着けて一服した。そして、買って来た缶コーヒーを飲みながら、再び本を読み始めた。そして気がつけば、夜更け近くになっていた。夕食を取るのも忘れて、彼はとうとう一冊を読み終えたのだった。かつて過ごした荒れた生活、手放した家族、そして、自暴自棄になって彷徨った半生。その間、一日たりとて、彼に穏やかな日が訪れることは無かった。息をし、飯を食い、酒を飲んで、また眠る。まるで生きるのが罰なのではないかと思うことさえあった。しかし、ゆきずりの地で出会った一人の女性が、彼の人生を変えた。ある晩、陞が酩酊状態でふらついていると、路上で絵を売っている女性が目に入った。彼は彼女の側にいくと、しゃがんで一枚の絵を見た。 「ふーん。丁寧な絵だね。」 「有り難う。」 彼女はぶっきら棒な顔をしながら、お礼をいった。 「でも、平凡な絵だね。」 陞は筆致の細やかさに目を奪われたが、題材が単調な静物画であること、そして、その背景が普通の和室であったことの感想を、率直に述べた。すると、 「解るの?。」 と、彼女が少し驚いたような表情でいった。彼女は唐突に、自身の生い立ちを語り始めた。 「アタシ、家庭ってものを知らないから。でも、何か温かくて良さそうだから、いつもそれを夢見ながら描いちゃうの・・。」 陞はしゃがんだまま絵を見つめつつ、彼女の話に耳を傾けた。そして、 「家庭・・かあ。オレには不向きだったなあ。」 彼がそう呟くと、 「アナタ、家庭は?。」 彼女がたずねた。 「・・・あったけど、無くした。オレが悪いんだけどな。」 陞も釣られて、少し打ち明け話を始めた。仕事が思い通りにいかず、家族にキツく当たって、挙げ句の果てに酒に溺れて家庭を失った、そういう日々のことを。それ以上語っても、辛い思い出しか吐き出せそうも無いと、陞は立ち上がろうとした。と、その時、彼女が陞の腕を掴みながら、 「ねえ、アタシと家庭、作らない?。」 彼女が突然いい出した。つぶらな瞳にサイケデリックなヘアスタイルと出で立ちなその子は、二十歳だった。しかし、透き通るように白い肌に、古風で端正なかの立ちは、まるで日本人形のように美しかった。陞は酔いも手伝って、 「ま、こんな綺礼な子と、ゆきずりの恋も悪くは無いか・・。」 そう思いながら、安請け合いで彼女と暮らすことになったのだった。  はじめ、陞はどちらかが一方の家に転がり込むのかと思っていたが、 「家庭を始めるんなら、やっぱ新居よね。」 と彼女がいうので、小さくて小洒落たアパートに部屋を借りると、二人で移り住んだ。その際、互いに要らないものを一切捨てて、陞は小さな鞄一つで、そして彼女は画材道具だけを持ってやって来た。 「よし。じゃあ今から家庭を始めよう!。」 「賛成ーっ!。」 こうして二人の家庭ごっこのような生活が始まった。陞は市場で働く仕事を、そして彼女は日中は絵を描き、それを夜売りにいくという生活スタイルだった。朝型の陞と夜型の彼女が互いに顔を合わす時間は少なかったが、無闇に顔をつきあわせない分、気を遣うことも殆ど無かった。そして、腹が減ったと思ったら、そう感じた方が食事の支度を二人分作り、それを食べた。シンプルな生活ではあったが、たまに時間が合った時は二人で食事をしながら互いのことを語り合った。時折、体を重ねることもあったが、不思議と関係はドライだった。同じ一つ屋根の下にいながら、陞も彼女も、此処でのそんな生活を壊したくないという思いが自然と芽生えてきた。お決まりの家庭という概念に嫌気が差していた陞と、家庭というものを知らずに生きてきた彼女にとっては、そんな擬似的な家庭のような空間が、殊の外、快適に思えた。そして、そんな生活を維持すべく、二人は互いの仕事に熱心になり、いつしかストイックな生活スタイルに変わっていった。  陞はいつしか酒もやめ、二人の生活は満ち足りたものになっていった。決して豊かでは無い、簡素で床に彼女の画材道具と、隅っこには寝具とお膳だけが置かれたシンプルで白が基調の部屋だったが、互いを必要としつつ、何より生きる気力が湧く生活というのを、二人は気に入っていた。やがては子供をもうけて、本当の家庭というものになっていくのかなと、陞は朧気ながらに考えていた。しかし、そんな生活は長くは続かなかった。突然、終わりがやって来たのだった。 「陞さんですね。警察の者ですが・・、」 彼の元に、連絡が入った。路上で彼女が倒れたという知らせだった。慌てて彼は部屋を飛び出し、現場まで駆けつけたが、その時、彼女は既に息絶えていた。鑑識を終えた警察が、陞の元にやって来た。 「オーバードーズです。」 警察がそう告げると、彼にも疑いの目が向けられた。動揺やショックを受ける間もなく、陞はあらゆる検査を受け、家宅捜索も行われた。しかし、陞は彼女が薬物をやっているなどとは、全く知らなかった。芸術家肌だったら、これぐらいの奇抜さは当たり前か程度に、彼女の感情の起伏を受け止めていた。そんな生活から抜け出したくて、彼女は陞との穏やかな日々を求めたのだった。そして、全ての捜査が終わって彼への嫌疑が晴れ、彼女の葬儀を済ませると、一人残された白い部屋で、陞は放心状態になった。そして、床に座りながら、 「家庭というのが、そんなにも遠いものなのか。そんなに求めてはいけないものなのか・・。」 と、一人自問自答した。そして、短い間ではあったが、彼女と過ごした、穏やかな二人だけの生活を思い出し、 「これ以上持ち崩すのは、もう沢山だ。一人でも真面目に暮らそう・・。」 そう思い立つと、彼は翌日には部屋を引き払い、住み込みで働ける仕事を探した。  それが数年前のことだった。もう家庭という二文字は、すっかり忘れてしまっているはずだった。それが、偶然手にした一冊の本で、再び全ての記憶が蘇ってきたのだった。振り払おうとか、悲しい思い出にフタをしてしまおうとか、そういうことでは無かったが、兎角、自分には不向きなものだと、そんな風に無意識にいってきかせていた、それが家庭というものだった。そして、それは温かくて、人を幸せにすることが出来るものなのかも知れないと、陞はそんな風に考え始めた。翌日、陞は休日だったので、電器屋街まで足を伸ばすと、 「すいません、これ下さい。」 と、一番小さくて手頃なラップトップを購入した。そして、店員にネット環境についてたずねると、部屋に早速持ち帰って、電源を入れると早速接続をしてみた。 「おー。これで繋がったかあ。」 彼は職を転々とするうちに、PC作業は身に付けていたが、周辺機器や接続に関しては無頓着だった。そして、それが上手くいったのを確認すると、付属のワープロソフトを起ち上げて、文章を書き始めた。手にした小説に感化された彼は、今から急に家庭を持つのは無理だろうから、せめて、温かい家庭でも描いた作品を書こうと、そう思い立ったのだった。創作は全くの不慣れな作業ではあったが、あの小説を見よう見まねで、陞は頭の中で家族を想定し、その中で彼らが暮らす様子を文字に書き認めていった。そうするうちに、彼の心は落ち着いていった。そして、一人暮らしの味気ない部屋が、創作を始めた途端、まるで家族の賑わいが聞こえるような、そんな錯覚さえ覚えた。彼の創作意欲はどんどん増していった。そして、気がつけばいくつもの作品を書き終えていた。しかし、ただ書いて満足するつもりで行っていた作業ではあったが、 「あ、そっか。書いたからには、誰かに読んでもらった方がいいのか・・。」 と、陞はネットで検索して、投稿サイトというのがあるのを知った。そして、今まで書いた作品を、全て其処にアップしたのだった。それ以降は、一本書き上げてはアップするといったことを繰り返しているだけだったが、ある時、 「ん?、何だこれ・・。」 と、自身がこれまで書いた作品に対して、読者からの反響があるのを知った。 「へー、こんな風になってるんだ・・。」 と、そのサイトのシステムを知らずに、ただただ書いてはアップを繰り返していた作品が、殊の外、人に読まれているのに、陞は今更ながらに気づいた。そして、彼の書く温かい家庭の世界観に共感する読者からの反響も少なからずあったが、 「現実は、もう少しシビアなんでは・・?。」 「そういう家庭だったら、いいですよねー。」 と、理想の心地良い家庭では無く、実際に厳しい状況に置かれていると思われる人達からの声もあった。そういうのを目にした時、 「そういうことは、書いてもいいのかな・・。」 と、陞は初めは躊躇したが、しかし、何かそうすることが、ひょっとした自身の使命なのかも知れないという、そういう感慨に至った。かつて壊してしまった家庭、築こうとして壊れてしまった家庭。そういう思いが、陞をさらなる作品へと掻き立てた。贖罪と希望。そういう思いを胸に抱いて、彼はひたすらに書き続けた。  やがて陞の書く物語は、家族との出会いと別れ、そして、深い絆と、苦しくとも何とか維持しつつ、みんなで困難を乗り越えていこうとする姿や、その失敗と挫折。様々な局面を描いていった。アットホームで温かな雰囲気に惹かれていた読者達も、陞の真剣な筆致に、目が離せないぐらい引き込まれていった。そんな風に、日中は仕事、そして夜から夜更けまでは書き物といった生活を繰り返していたが、やはり昔の荒れた生活が祟って、体は思うように動かなくなっていた。それでも、誰かと約束を交わした訳でも無いのに、まるでそれを守るかのように、陞は書くことに没頭した。そして今、彼は一人静かな病室で、思う存分、書き物にだけ集中することが出来る。医師や看護師からは、絶対安静をいわれたが、彼らが引き上げていくと、椅子に座りながら、あるいはベッドに横たわりながら、書き物を続けた。そして、読者から寄せられるコメントを見ながら、一日の疲れを癒やしつつ、作業を終えて眠りに就いた。そんな読者の中に、絶えず陞が描く家族像を真摯に受け止めつつ、丁寧なコメントを返してくる一人の人物がいた。初めは陞も読者の一人としか見ていなかったが、その関心の寄せ方が、まるで陞のことをじっと見つめるような、そんな雰囲気だった。そして何時しか、陞もその人物に宛てて作品を書いているような錯覚さえ抱くようになっていた。そんなやり取りが、何故か陞には得もいえぬ柔らかな温もりのように感じられた。しかし、その頃には、陞の病魔はかなり進行し、最初のうちは頻繁に来てくれていた同僚達も、彼が窶れていく様子を見るのが忍びないと思ったのか、その足も遠のいていった。彼を病室まで運んでくれた若い同僚も、最後には、 「すみません・・。」 そういって、姿を現さなくなった。しかし、陞は彼に感謝を告げて、別れの挨拶をした。そして、 「さて、これで天涯孤独の最後を迎える時が・・かあ。」 そういいながら、自身の痩せ衰えた顔を鏡に映し、残された時間を逆算しようとした。病室は快適な空間だし、食事もベッドも申し分ない。穏やかに最後を迎えるには、持って来いだ。しかし、彼には何故か、まだ何かやり残したことがあるような気がしてならなかった。 「まだ、指先は動くし、目は利く。頭も割と働くなあ・・。」 そんな風に体調を確かめながら、やはり書き物に没頭した。しかし、そんな日々も、長くは続かなかった。彼の作業時間は日を追うごとに短くなり、一日一〜二時間書くのがやっとだった。そして、何とか体を起こして、椅子に座りながら最後の投稿文を書いていたその時、静かに病室のドアが開いた。そして、 「こんにちは。」 と、一人の青年が、陞の部屋に入ってきた。私服姿のその青年は、明らかに病院関係者では無かった。陞は会釈をしつつも、 「あの、どちら様ですか?。」 とたずねた。 「いつもお話、拝見している者です。突然すみません。」 と、自身について簡単に自己紹介を始めた。陞はもしやと思って、 「あの、いつもコメントを返してくれてる・・、」 「あ、はい。そうです。」 陞の予想通りだった。そして、青年はニッコリと微笑んだ。そして青年は、ペンネームに彼の名の「陞」という字を見つけて、もしやと思い、彼の作品を読み始めたことを述べた。陞も、期せずして彼にやっと会えた、そんな気持ちで胸がいっぱいになった。すると青年は、 「昔、母さんが、アナタのお父さんの名は陞よって、そう教えてくれたんです。」 そういって、優しい眼差しで陞を見つめた。ハッとなった陞は、青年の顔をようく見た。間違い無かった。かつて自身で壊してしまった、あの時の家庭、そして、自分の元から去っていった、幼い頃の息子の様子が蘇った。 「す、すまなかった・・。」 陞は項垂れて謝ろうとしたが、青年はそれを制止した。そして、首を静かに横に振りながら、 「ううん。ボクはアナタの作品の中で、ちゃんと家族として過ごすことが出来ました。どうも有り難う。」 そういって、涙目で陞を見つめた。そして、痩せ細った陞の体を抱きしめながら、 「久しぶりだね。一人では逝かせないからね。父さん・・。」 そのまま暫くの間、二人は嗚咽しながら抱き合った。それから二人は、失われた時間を取り戻すかのように、それぞれについて語らった。青年は近くに宿を取り、毎日のように陞の病室に通った。そして、陞の凹んだ目は、穏やかさに満ちていた。その翌日、彼は逝った。青年は陞の額を優しく撫でながら、 「有り難う。父さん・・。」 と、彼と家族として最後に過ごせたことを感謝した。窓からは穏やかな夕日が、青年と陞の顔を照らしていた。
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