言の蝶

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言の蝶

彼女が結んだ、言の蝶が空へ飛び立つ。 何て言ったの? そう聞いても、隠したがりの彼女は教えてくれない。 私はその蝶を追いかけた。 清廉なる朝も、陽だまりの中も、黄昏れる夕時も、星空が輝く夜の日も、 穏やかな春も 忙しなく過ぎる夏も 物悲しい秋も 耐え忍ぶ冬も そうして、冬の名残りが疼く二度目の春。 私はやっと、彼女が結んだ言の蝶を捕まえた。 虫かごにしまったそれは、ばたばたと羽を震わせながら、眩い鱗粉を撒き散らしている。 綺麗だ ただ、純粋にそう思った。 そして、その蝶を解きたくなった。 知りたかったのだ あの時、彼女が結んだ言葉を。 解いたら最後、きっと、この蝶は死んでしまうだろう。 ー命は大事にしなさい かつての、祖父の教えが脳裏を過ぎる。 それでも、好奇心を抑える事は出来なかった。 虫かごから、そっと蝶を取り出す。 さっきまで羽を震わせていたのに、何かを察したのか、蝶はすんと静かになった。 くるりと、頭の先から伸びる触覚のようなそれを、私はゆっくりと引っ張った。 しゅるり しゅるり しゅるり 解けたそれは、一つの言葉となって、 『愛してる』 断末魔のような鳴き声と共に、雫となって散っていった。 彼女の、声だった。 初めて聴いたその音に、私はとても酔いしれた。 夢見心地のままリビングへと向かう けれど、そこには誰も居なくて。 解けた言葉と共に、彼女は私の元から姿を消した。 あれから、私はずっと、言の蝶を追い続けている。 光と音が飛び交うネオン街 安いビジネスホテルの寝具 煌びやかなイルミネーションが輝く街中で 思い当たる生息地に出向いては、捕まえて、捕まえて、ひたすら捕まえた。 私の自室には、虫かごが壁を埋め尽くすように一面に積まれていて、その中で、捕まえた言の蝶がばたばたと羽を震わせている。 それらを解くと、ほら、あの時と同じ言葉が聴こえるんだ。 『愛してる』『愛してる』『愛してる』『愛してた』『愛してる?』『あいしてる』『愛してる』『愛してる』『愛してよ』『 』 それなのに、 それなのに、私の心は満たされない。 ああ、何故なんだ。 同じ言葉の筈なのに、音だけが違って聴こえるのは。 解いたものは結べないって 私は今も、あの蝶を追い続けている。
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