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 鍵を回し、「ただいま」と言いながら入ると「ぴんぴろりん」と軽やかな音が耳に入る。炊飯器の音だ。次いであさひの「おかえり」という声が伊織を出迎えてくれる。その声は心なしか弾んで聞こえる。靴を脱ぎ、リビングに入るとタブレットを広げ、学校の宿題をやっている娘の姿が目に入る。アパートには当然あさひの部屋もあるのに彼女は何故かリビングで勉強をしたがる。伊織はその邪魔にならないよう、声かけを最低限に留めながらハンバーグを電子レンジに入れ、朝の残りの味噌汁を温める。  あさひは今、小学6年生の11歳。2年生の時に和巳たちが死に、毎日が家に帰るのが遅い伊織を1人待つ生活に様変わりにしたが一時も悲しみも寂しがりもしなかった。伊織はその健気さと気丈さに1人涙したがずっと後になってその話をするとあさひは首を振った。 「あんな人たち、わたしのお父さんやおじいちゃんおばあちゃんじゃないよ。お父さん、お母さんと同い年の癖に旧世代的思考過ぎだって分かってずっと恥ずかしかったんだから」  あさひを見ていると「新世代」と呼ばれる世代が旧々世代と旧世代はおろか、当世代から見ても何から何まで進んでいると分かる。  例えば公園で思い存分大声をあげてもボール遊びをしても怒鳴られたり禁止されたりしない。問題事故(トラブル)が発生しても大人の介入なく子ども当人で問題解決を試み、成功を収めている。その対話力たるや舌を巻くほどだ。「子どもだから」は旧世代的思考だ。今はその枕詞に意思意志を封じ込められたりせず、役所に暴力虐待の通報を1本入れるだけで絶対に話を聞いて貰えて、無期限に離れることも本人の言葉で可能だ。これは皆、伊織たち当世代が子どもの時に得られなかった無視されていた特権だ。照橋以前の政権は全て旧世代と旧々世代の言いなり天下だった。彼らの意見と気持ちは鶴の一声であり、若い伊織たちは前倣え式に従わされた。新世代の学生は今、体育館や校庭で「前ぇ、倣え!」と怒鳴られることも言わされることもないそうだ。  照橋が総理大臣になってこの国は劇的に変わった。日米安保条約は破棄され、米軍基地は廃された。兵士が退去したことを知るや否や島民がこぞって跡地にリュウキュウアサガオの種をばら撒き、使えないようにした、いうのは有名な逸話だ。同姓同士の結婚も選択的夫婦別姓も出来るようになった。雇用の男女平等化が徹底され、工事現場や歌舞伎ですら性別が不採用の理由に出来なくなった。 もし偏りが出る場合は届け出を出し、受理されないといけない。 「さすがのお父さんも矯正教育を受けたら変わるんじゃないかな」と伊織が温めたハンバーグを取り出しながら言った。 「えー、それってやつでしょ? 変わらないと思うなぁ。そんなの当世代のお母さんが1番分かってるでしょ。今日ね、職員室の電話ずっと鳴りっぱなしだった。全然授業にならなかった」あさひはそう言いながらタブレットとノートを学校の鞄に閉まった。
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