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 出勤したら上司が解雇されていた。『旧世代的思想撲滅法』の対象になったのだ。 「おっ、遂にいなくなった〜万歳!」パソコンもスマートフォンも何もかも消えているその机を見て一緒に出勤して来た同期の氷野(ひの)朝美が諸手を挙げる。「本当にうざかったからなぁ〜歳と役職が上ってだけで偉そうに。矢代(やしろ)さんも散々やられたもんね。熱出した子どもが最優先に決まっているじゃない!」と言いながら勇んでパソコンを立ち上げる。 「何から何まで旧世代だったし、早めに定年退職させられて良かったね〜」と伊織の隣のデスクに座る新島(にいじま)さほりがからから、と笑う。「そういえば3課の長内(おさない)さんも対象になったらしいですよ。専業主婦の奥さんに向かって『俺が稼がなきゃ餓死にするしかない癖に』って言ったのを仁科(にしな)さんが聞いたって」 「うわっ、なんて典型的な旧世代的思想」と氷野が仰け反る。「実はちょっと良いなーって思ってたからショックー」 「長内さんは仁科さんに聞かれちゃったから即時解雇されたけどもっと他に対象者が居るでしょうに」と新島が見せてくれたスマートフォンの画面には一部の白なく黒が埋まっている。沢山列挙され過ぎて内容が頭に入って来ない。まるで姑が命令した買い物リストだ。……思い出す時、歳を取ることは辛いことだ、と苦しくなる。色々なことが、歳を取るごとに忘れっぽく、忘れられていく、というのは嘘だ。歳を取れば取るほど昔の出来事は鮮やかだ。今だって死んだ姑の皺としみの数を正確に数えられるほどはっきりと顔と表情の1つ1つを思いだすことが出来る。彼女は4年前に事故で死んだが、今生きていたら生きがいにしていたカルチャースクールを辞めさせられ、発狂していただろう。そしたら……  伊織が口を開きかけた時、先輩社員の早水(はやみ)菜穂が入って来て雑談はぷつん、と終わった。伊織と眼が合うと早水は彼女のデスクにやって来た。 「矢代さん、再来週のプロジェクトの資料、後で送って貰える? 打ち合わせ前に確認したいから」 「分かりました」伊織が返事をしたのがきっかけなのか、氷野と新島もそれっきりお喋りを再開せずに仕事に入った。伊織は自分に当てられたデスクトップ用のパソコンを立ち上げ、ファイルを開く。……パソコンを使う会社など今、どれくらいあるだろう? 新世代党が第1党になってから3年、パソコンは急速に姿を消しつつある。伊織の友人が勤める会社ではもう備え付けのパソコンは1台も無く、全ての業務を自分のーーーただしお金は会社が支給するーーータブレットとスマートフォンだけでこなしている。出勤すらしない。総理大臣の照橋がまだ議員身分だった頃の演説を思い出す。『使っているものの古さと考えの古さは比例する』
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