フォルマーの望み

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フォルマーの望み

 興奮状態を脱してすっかり小さくなったフォルマーに、わたしたちは話を聞くことにした。  っていうか、あれだけの聖水を浴びてまだ存在してるって、ほんとにマジで凄いんだけど。  ハイノさん、死ななくてよかった。  「フォルマー卿、良かったら話を聞かせてください」  ハイノさんは命の危険もあったにも関わらず、穏やかな微笑みを湛えてフォルマーに向き合い、そう声をかけた。  フォルマーは戸惑ったように何度もまばたきし、ハイノさんを見つめていた。  その顔は先ほどとは違い、瘴気も消え、すっかり普通の人の顔のようになっている。  「そなたを傷つけたと言うのに、私を責めぬのか?」  「生きてますから。ミアン様のお力のおかげで」  ニコリと微笑んでハイノさんが言うと、フォルマーは苦しげに眉を寄せてうつむいた。  「私は、そなたが羨ましい。恋人を救うためとは言え、あのような姿を人目にさらす勇気を持つ女性と共にあれるそなたが……」  「フォルマー卿、彼女は、私の恋人ではありません。別に婚約者がいますし、彼女の聖水は、それを必要とする全ての人に等しく与えられるものなのです」  「……なんと?! それはまことか?」  フォルマーが驚愕に目を見開く。  「はい。先ほども申し上げた通り、彼女は女神ですから」  「……なんと……」  フォルマーはつぶやいて、わたしをちょっと見つめ、まぶしげに目を細めてうつむいた。  それから、ぽつりぽつりと、彼の事情を語り始めた。  彼が治めていたバルリング辺境伯領は、先にカール司祭長からの説明でもあった通り、帝国との国境を擁しており、始終小競り合いをしている、そんなところだった。  王都から遠く離れた田舎で、更に危険とあって、なかなか嫁のきてがない。そんな彼を憂慮し、ある時宰相が一肌脱いで伯爵令嬢との縁を取り持ってくれた。  彼女は一つの縁談が破談になったところで、もう貴族家の令嬢としては年齢も高くなっていた。  フォルマーは実は小姓として修行していた折に、侍女として行儀見習いをしていた彼女としばしば逢っていたのだ。と言っても庭の隅で語らうだけの、今思うととても純情な逢瀬だったが。  その時彼はまだ若く、彼女には縁談も来ていたために諦めるしかなかったが、その彼女と再び会えたのだ。運命だと思った。  しかし、彼女は彼と顔合わせをした後に、彼との結婚を悲観して湖に身を投げてしまったのだ。  彼はショックを受け、結婚準備で訪れていたこの屋敷に引きこもり、自分の何がいけなかったのか自問自答していたのだ、と言う。  「ご自身が亡くなられていることに気づいてなかったのですね」  痛ましげな顔でつぶやいたハイノさんの言葉に、フォルマーは  「え……?」  と言ったきり、言葉をなくした。  「やはり、気づいていませんでしたか。あなたは、既に亡くなられています」  「……そんな……」  フォルマーはうずくまり、自身の手を見つめた。  戦闘中に大量に浴びた聖水のせいもあって、少しその指先は薄くなっていた。   「なんということだ……領地は、無事なのか? 領民たちは?」  すがるような目でハイノさんに詰め寄るフォルマーに、ハイノさんはあくまでも優しく答える。  「大丈夫。弟君のグレオス卿が逞しく成長し、守っておられます。結婚され、後継ぎとなるお子さんにも恵まれています。心配はいりません」  「そうか……そう、か……心配はいらないと……私はもう、必要ないのか……」  つぶやくフォルマーの目から一粒、涙がこぼれた。  「フォルマー卿、あなたは、ただ、運が悪かっただけです。たまたま偏見の強い女性に会ってしまった。気に病まずすぐに気持ちを切り替えていたら、きっとあなたも弟君のようになれていたはずです」  ハイノさんがそう説く。  「闇の神がお待ちですよ」  その言葉に、フォルマーはまだ何か言いたげにうつむく。  「どうなさいましたか? まだ、心残りがおありなら、ぜひ聞かせて下さい。できる限り私どもが力になります」  微笑むハイノさんにフォルマーはややしばらくためらった後に、恥ずかしそうにようやく打ち明けた  「私は……戦いに明け暮れていたせいで、女を知らぬ。このまま逝くのが、心残りだ……」  ハイノさんと二人、あ、と固まった。  たしかに、やっと結婚できると思ったらその相手に先立たれたのだった。  思えば、とことんついてない、気の毒な人なんだ。  「うーん……男として気持ちはわからなくもないのですが」  ハイノさんはつぶやいて、額に手を当てて考え込む。──やがて。  「残念ながら我々はあなたに直接触れることはできません。生者が死者と交われば、命を取られてしまいますから。ですが…」  ハイノさんはフォルマーを手招きして、なぜか部屋の隅に連れて行って内緒話を始めた。  少しして戻ってくると、わたしに向けこう言ってきた。  「ミアン様。どうか、彼に聖水を授けてやってください」  「は?」  わたしは唐突な言葉に首を傾げる。彼はもう散々聖水を浴びてるはずだけど。  「あなたの聖水を直接いただくことで、彼の心残りが消え、その魂が救われるのです」  ハイノさんに至極真面目な面もちで見つめられ、思わず、う、と小さくうめく。  「直接ってことは…」  ハイノさんはコクリと頷く。  ふと傍らを見れば、そこには縋るような眼差しのフォルマーがいて。  しばし額を押さえて考え込む。  やがて、深くため息をついて答えた。  「──わかりました」  了承するしか、ないでしょう?  「どういう形でします? 立ったままでいいですか?」  フォルマーは騎士なわけだから、ひざまずいて頭を下げる彼に頭上から注ぐ形なら、儀式っぽくて格好がつくような気がするんだけど。  そんなわたしの言葉に、ハイノさんはフォルマーを振り返る。  フォルマーは顔を曇らせ、  「できれば……その……」と、またハイノさんを手招きで呼び寄せ離れると、ゴニョゴニョと内緒話して戻ってきた。  戻ってきたハイノさんはひどく深刻な面もちで、こう言った。  「ミアン様。立ったままでは彼の心残りは解消できません。しゃがんだ形で、上から注いでほしいのです」  ハイノさんは至って生真面目に言ってるんだけど、傍らでいかついおっさん(の霊)が恥ずかしそうにモジモジしているのは、実にシュールだ。  「しゃがんで、上から……それはつまり、さっきみたいに跨げと……?」  フォルマーの顔がパアッと輝くが、ハイノさんは眉を寄せて小さく唸っている。  「それだと、ミアン様と接近し過ぎていて、危険です」  それを聞き、シュンとうなだれるフォルマー。なんだか、わんこみたいに見えてきた。  しゃがんで、上からで、跨がない、となると、もう、一つしかやりようはないよね。  「となると、わたしが台に乗ればいいんですね?」  大広間の奥に目をやる。  そこにはお誂え向きに、大きな大理石の台がある。  今は古い燭台が乗っているが、恐らく花を飾ったりもしたのだろう。作りもしっかりしている。この台の前にフォルマーを座らせれば、多分高さはちょうどいいのではないだろうか。  フォルマーはそれを聞き、キラキラと目を輝かせた。異論はないようだ。  「では、その形でお願いします」  ハイノさんは微笑んで頷く。  フォルマーはいそいそと花台の前に移動し、緊張の面もちで膝をついた。  わたしは一拍遅れて彼の元に向かう。  精一杯真面目な顔をして……嫌だとか気が進まないとか、そんな内心は絶対に表に出ないように。今までの儀式で身につけた“慈愛の女神スマイル”を浮かべて。  台の脇には、ハイノさんがどこからか探してきた木箱が踏み台代わりに置かれている。それを使い、その上に立った。  フォルマーは両膝をつき少し頭を下げ、組んだ手を体の前に下ろしている。  わたしはスカートをふわりとさせ、脚を出さずにしゃがんだ。  「フォルマー、顔を上げなさい」  静かに声をかける。  フォルマーが緊張の面もちで顔を上げるのを待って、静かにスカートの前を開いた。  「……おお……」  闘いに明け暮れた戦士の、感極まった感嘆の声が漏れる。  やがて、フォルマーの瞳から静かに一筋の涙がこぼれ落ちた。  「このような絶景をお見せいただけるとは……女神よ……!」  わたしは深呼吸をし、気持ちを落ち着かせて、静かに告げた。  「フォルマーよ、あなたに光の神に祝福されし聖水を授けましょう」  そっと下腹部に力を込める。  シュィィーシィーーー……  大きく開いた太ももの間の小さな谷間から、恥ずかしい音をさせて一筋に薄金色の細い噴泉がほとばしり、厳めしく皺の刻まれた騎士の額を叩いた。  騎士は神妙な──いや、恍惚とした面もちでそれを受け、顔面一杯にその水を浴びる。  わたしが放つ聖水(おしっこ)が、騎士の眉間に刻まれた皺を解き、鼻の両脇に流れ、頬を伝って顎に落ちる。  やがて、騎士の顔が変化しだした。  がっちりと張った顎はほっそりと代わり、皺と傷が消え、肌は滑らかに。  やがてそこに現れたのは、光輝くような美青年の姿。  待って、誰これ? まさか、見習い時代のフォルマーなの?! ビフォーアフターが激しすぎる!  やがて彼は、それを……わたしの放った聖水を、軽く開いた口元に両手を添え、押しいただくように恭しく飲み始めた。  ──ひっ!!  思わず、声にならない悲鳴を上げる。  チィーー……  ようやく勢いを減じた聖水(おしっこ)が、ピタピタと台の上に滴り落ち、フォルマーは満足げなため息をもらす。  「……ああ……」  その琥珀色の瞳がうっとりとわたしのそこを舐め、  「素晴らしい……我が、女神よ……もう思い残すことはない……」  その姿が白く輝き始める。  「フォルマー……」  闇の神のもとに召されようとしているフォルマーにどうしても伝えたくて、声をかける。  「あなたは、美しいですよ。戦いの風雪に削られたあなたの姿も充分に美しいと、わたしは思いますよ?」  それを聞いたフォルマーは、またホロホロと涙をこぼした。  「ありがとう、女神よ。これで何も思い残さず、闇の神の元に逝ける──」  フォルマーは白い光に包まれ、そしてその光と共に、やがて消えた。  「……終わっ、た……?」  わたしは台の上にしゃがんだまま、少しポカンとしていた。  「ミアン様」  ハイノさんがハンカチを差し出す。  あ。びっくりし過ぎて、拭くの忘れてた。  わたしはありがたくハイノさんのハンカチを使わせてもらい、彼に返してから、その手にエスコートされつつ台を下りる。  「顔、めちゃくちゃ変わってましたね」  つぶやく。  「元は、ああだったのかもしれませんね。伯爵令嬢はそのイメージで会って、余りの変貌に絶望してしまったのかもしれません」  「結局、小姓時代も、綺麗な顔だけしか見てなかったってことなんですかね」  なんだかやり切れない気分で、ため息をつく。  「それにしても、最後がこれって、なんか微妙なんですけど」  わたしは小さく唸った。  強い相手だった。三人だけで、よく戦ったと思う。  けど、決まり手があれでは……。  「ミアン様にしかできないことですよ。素晴らしい聖女の御業です」   ハイノさんがクスリと笑いつつ言う。  その言葉にわたしはため息をついて  「……いいですけど」  と、こぼす。  フォルマーの強い念が失せると、屋敷にたまっていた瘴気も残らず消えていた。  あるいは、フォルマーが一緒に持って行ったのかもしれない。  「浄化完了ですね。帰りましょうか」  わたしはハイノさんとリンツを振り返り、言った。
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