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ベッドから車椅子なしには動けなくなった頃、玲は自分の身の周りの整理をしてくれるように兄に頼んだ。
馬鹿なことを言うな、お前は絶対に治るんだから、と兄は叫ぶ。でも、玲は知っていた。この三年間、花現病患者は増え続けているのに、薬もワクチンもないままだ。誰にでも発症する可能性があって、必ず最後は死に至る病だ。進行具合も花の現れる頻度も人によって全く違うけれど、治ったなんて話は聞いたことがない。
「玲、俺、色々なものを調べて、頻繁に騒がれてる話を聞いたんだ。何の科学的な証明もないんだけど、花現病の原因は恋煩いなんじゃないかって……」
一回り痩せてしまった兄が言う。きっと、仕事の合間に兄は様々な文献を調べ、あちこちの医者や研究者を訪ねたのだろう。
「お前の机の上に、たくさん青紫の桔梗の花があった。もしかしてって思ったんだ。もし、お前が会いたい相手がいるなら、教えてくれないか?」
(……雅、みやび、みやび)
玲の心に、凛とした雅の姿が浮かぶ。青紫の美しい桔梗の花のような人。あんなに華やかな泉にも、きっぱりと自分の気持ちを伝えていた。己の心一つまともに伝えられない自分には、永遠に手の届かない人だと思う。
玲は、兄の言葉に首を振った。そんな人はいない、と小さく呟く。慶は眉を下げて悲しげに、そうか、とだけ言った。兄が帰った病室で、玲は久しぶりに桔梗の花を見た。自分のすっかり細くなった指や手首から幾つも咲きこぼれる花に驚く。
(まだ、こんなに。……そうだよな。ずっと忘れられるわけなんてない)
玲が左胸に手を当てれば胸から花が現われ、大切な名を口にすれば首から花が生まれる。白い上掛けが青紫の花でひらひらと埋まっていく。
(ああ、きれいだな。花畑みたいだ。……こんな綺麗な花の中にいたら、まるで雅に抱きしめられてるみたいだ、勝手な気持ちで、悪いけど)
玲の想いを語るように、次々と花が生まれ、目の前が青く染まる。瞼が段々重くなっていく。
(もう一度、会いたい)
そんな気持ちも、意識の底に沈んでいった。
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