3・彼女より私の方がいいに決まってるよね?

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3・彼女より私の方がいいに決まってるよね?

 1998年11月18日(水曜日) 「絢華ちゃん、今日も遅かったわね。どこかへ寄って来たの?」  毎週、水曜日になると夕飯ぎりぎりまで帰って来ない絢華を、母の祥子が苛立った様子で待っていた。自分だってデパートの北海道フェアから、ついさっき帰ってきたくせに。まだ冷蔵庫にしまわれていない、夕張メロンゼリーやホッケの干物を横目で見ながら、絢華はキッチンで水を一気に飲み干した。 「お友だちとおしゃべりしてたの。私、水曜日しか時間がないんだから、仕方ないでしょう?」 「変な人たちと付き合ってるんじゃないでしょうね。デビューした後に、色々書かれたりすると困るのよ」 「学校のお友だちよ」  そう言うと絢華は階段を駆け上がり、二階の自室に入って鍵をかけた。学生鞄を床に放り投げ、制服のままベッドにどさりと倒れ込む。スカートがシワになりそうだが、今日は足がクタクタなので構っていられない。  親には学校の友だちと遊んでいたと言ったが、そんなのは嘘だ。小さな頃から習い事ばかりだった絢華には、同年代の友人は殆どいない。今の学校でも、昼食を一緒に食べるクラスメイトが数人いる程度で、放課後に誰かと遊んだことはなかった。  では、何をしていたかと言うと「探偵ごっこ」である。絢華は公立高校での待ち伏せ以来、例の彼と彼女の後を毎週水曜日に付け回しているのだ。  あの日、校門の前で彼と何を喋ったのか、絢華は正直はっきりと思い出せない。せっかくシナリオ通りにストーリーが進んでいたのに、いらぬ横槍が入ったせいで、台詞が頭から飛んでしまったのだ。  彼の腕に絡めた女生徒の腕を、絢華がびっくりして眺めていると、ようやく彼が誰かと話をしていたことに気づいたのか、彼女は慌てて腕を外した。 「あっ、お邪魔しちゃった? ごめんなさい」  傍から見れば、何ということもない一場面である。しかし割って入られた絢華にとっては、ひどく無礼な物言いに思えたし、その後の彼女のふるまいも許せなかった。彼女は彼の耳元に口を寄せるように近づき、手に持った携帯電話をかざしてこう言ったのだ。 「私、先にマック行ってるから、遅くなるなら電話して?」  自分がロックオンしている男に馴れ馴れしく近寄り、親し気な様子を見せつける。これを絢華は、敵からの牽制と見なした。しかも彼らは、放課後にマックで待ち合わせるという。それも絢華には腹立たしかった。  女子高では下校時の飲食店利用は禁じられているのに、彼らは自由に放課後デートができる。校則が違うから仕方がないのだが、絢華にはそれがひどく不公平なことに思えた。さらには、彼女が携帯電話を持っていたのもムカついた。絢華の家では、母親が「不良になる」と決めつけ持たせてもらえない。その憧れのツールを、彼女はこれ見よがしに絢華の目の前でちらつかせたのである。  そして何より絢華の癇に障ったのが、彼女がルーズソックスを履いていたことだ。もしも普通の高校へ行っていれば、絢華も女子高生らしいファッションを楽しめただろう。それなのに母の一存で私立の女子高に送り込まれ、野暮ったいひざ丈スカートに紺色のソックスで過ごさねばならない。  絢華は記憶の中から、女生徒のルックスを思い浮かべた。量産型のロングレイヤーに、少し丸みのあるフェイスライン。目はやや大きめだが、鼻が低いため華やかさに欠ける。絢華の採点では10段階評価の5.5で、「まあブスではない」程度の平凡な顔立ちだった。  それなのに、彼女は自分が手に入れられないものを全て持っている。それが絢華には、とんでもなく屈辱的に感じられたのだ。  そんなどす黒い感情が沸騰し、絢華の思考は混乱を極めた。そのせいで、せっかく準備した小芝居も飛んでしまい、とりあえず適当なお礼を言って紙袋を渡して、逃げるように帰ってくる羽目になった。醜態をさらすよりは、謎の女でいる方が良いと判断したのだ。  それでも、数日のうちには向こうの方から接触してくると思っていた。それなのに、一向に何の気配もないので、絢華はどうしようもなくイライラしていた。過去に男からスルーされた経験がなく、次に打つ手が見つからない。かと言って、このまま「こういうこともある」で済ませるには、絢華のプライドは高すぎた。  絢華が「探偵ごっこ」という、ほぼストーキングに近い行動を始めたのは、それから数日後のことである。どうしても、自分に靡かない男がこの世にいることを受け入れられなかった絢華は、何か特別な事情があるはずだという結論に達した。そしてその事情を探るため、例の男子高校生の後をつけてみたのである。  しかし、ただ後をつけ回すにしても絢華の容姿は目立つ。そこで、駅のコインロッカーに預けた私服をトイレに持込んで着替え、メガネとマスクを着用した。かなり怪しい雰囲気だが、誰が見ても絢華だとはわからないだろう。その格好で絢華は学校帰りの男子生徒を尾行し、彼の家が公立学校から7駅目にあるマンションであることと、柳瀬(やなせ)圭一郎という名前であることを知った。  マンションはオートロックだったが、建物の下から見上げると、彼が6階の部屋に入って行くのが見えた。綾華はドアの配置を元に部屋番号を割り出し、ポストに書かれた苗字と郵便物から名前を突き止めた。ちなみに郵便物は、ピンセットを使ってポストから抜き取った。こうなると、もはや犯罪である。  女生徒の方も、同じやり方で尾行をした。彼女は電車ではなくバス通学で、郊外の戸建てに住んでいる。苗字は松本、下の名前は今のところまだわからない。庭に干してある洗濯ものから察するに、兄か弟がいるようだ。いかにも建売らしい小さな家を見て、その時だけ絢華は優越感に浸った。自分の家の方がいくらか立派に思えたからだ。  そんなことを何度か繰り返しながら、柳瀬と松本の情報を集めた絢華であったが、肝心の「なぜ柳瀬は自分にアプローチしないのか」については、いまだに答えが出ないままであった。  なにしろ前提が「柳瀬くんは私を好き」なのだから、事実とすり合わせが出来ないのは当たり前である。普通に見れば柳瀬と松本はカップルで、いくら絢華が美人だろうと、ちょっと話をしたくらいで心変わりする方がおかしい。しかし絢華にはそれが理解できなかった。恋や愛を言葉として知っていても、彼女の中にはプログラミングされていない概念だからだ。 「顔も普通だし、家もお金持ちじゃなさそうだし、だったら私の方がいいに決まってるよね?」  この疑問を煮詰めるうちに、絢華の中にひとつの仮説が生まれた。まず、そもそも彼らは付き合っていない。松本が一方的に柳瀬に付きまとっているだけで、騎士道精神にあふれた柳瀬は、疎ましく思いながらも松本を邪険に扱えないでいるのだ。  しかしそんな中で、柳瀬は電車の中で絢華に出会ってしまった。今すぐにでも絢華に交際を申し込みたいが、松本の気持ちを考えて行動に移せない。つまり、柳瀬は好きでもない女への義理のために、自らの想いを抑え込んで堪えている。──そういう在りもしない筋書きが、絢華の脳内で出来上がってしまったのだ。 「柳瀬くん、可哀そう」  ショータイムの始まりである。絢華はすっかり悲恋のヒロインになりきっていた。国中の男が憧れる美貌の姫が自分で、その危機を救った勇敢な騎士が柳瀬。そして騎士にまとわりつく悪役令嬢が、あのルーズソックス女だ。まるでラノベのテンプレのような相関図が妄想を支配し、絢華はおかしなテンションに陥っていった。 「柳瀬くんを、助けてあげないといけない」  綾華は謎の使命感に駆られて、瞳を輝かせた。どう考えても、綾華こそお邪魔虫の悪役令嬢なのだが、なぜか敵をやっつける大義名分を得たような気になっていた。もし誰かが絢華の考えを読めたなら、きっと「柳瀬くん、松本さん、逃げて」と叫ぶだろう。  この日から絢華のストーカー行為は、「松本の魔の手から柳瀬を救い出す」というミッションの手段となった。本人は良いことをしているつもりだが、本音は自尊心を守るためである。山下絢華の輝ける戦歴に、黒星が付くなどあってはならない。常人には全く理解できないロジックで、絢華の暴走はスタートしたのである。
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