5・見ちゃダメ、見ちゃダメ、見ちゃ……

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5・見ちゃダメ、見ちゃダメ、見ちゃ……

 今思えば、その日記帳は直ちにゴミ箱に突っ込むべきであった。それほどその内容は、常軌を逸脱していた。なぜ私がそれを知っているかというと、読んでしまったからだ。  人のプライバシーを覗くなど、普段の私なら考えられない行動であるが、数ページをパラパラと開いてみた瞬間、ビジュアルのキツさに目を奪われた。姉は昔から右肩下がりのひどいクセ字で、極めて縦に長く字間が狭い。また、細い腕からは想像もできないほどに筆圧が強く、デッサン用の4Bの濃い鉛筆を好んで使用していた。  そんな黒々としたクセ字が、ノートを埋め尽くしているところを想像して欲しい。さながらイナゴの大群である。しかも句読点が殆どないのだ。これが文字ではなく音声だとしたら、無呼吸で叫んでいるようなものだろう。  その上、所々に「死ね」「殺す」「クソ女」など、雄叫びのような書き殴りも散見される。その光景はかなり狂気じみて、背筋に震えが走るほどのインパクトであった。 「うわ、見ちゃダメなやつだ、これ」  私の脳みそはそう警告を出していたのだが、指先が誘惑に勝てなかった。私はそのノートを自宅に持ち帰り、とりあえずは処分する予定でクローゼットに突っ込んだ。そのうち怖いもの見たさの欲求が薄れて、そこに置いた事さえ忘れるだろう。そう思っていた。  しかし、何日経っても寝室に入るたびクローゼットに目が行ってしまう。扉の隙間から、禍々しいオーラが漏れ出てくるのがわかるのだ。生きている時には、努めて疎遠にしてきた姉だったが、死んでからの方が存在を強く感じてしまう。そんな日が何日も続いた。  絶世の美女として生まれ、毒親に人格を歪められ、身勝手に生きて責任も取らずに四十路の若さであの世に逝った姉。いったい山下絢華とは、どのような人物だったのか。  妹でありながら、私は彼女のことを何も知らない。家族として、彼女の遺した人生の記録を辿るのも、供養のひとつになるのではないか。そんなどこかのポエマーみたいな言い訳を捻り出すほどに、私はその日記に憑りつかれていた。  結局、辛抱できずに最初の1ページを捲ったのは、ノートを発見してから約2か月後。その間にすっかり季節が変わり、もうそろそろ長袖では日中汗ばむようになってきた。姉が生きていたならば、間もなく42歳を迎えるころだ。  彼女のわずかな持ち物はあらかた処分が終わり、最後まで抵抗していた母も叔父に引きずられるようにして本家へ引っ越した。私が辛い幼年期を過ごした実家はもぬけの殻となり、取り壊しの準備が進められている。  姉が生きていたころと、何か変わったかと言われれば、表面上は何も変わっていない。私は相変わらず電車に揺られて会社へ出勤し、白衣を着て試験管を覗き込む。そして、休日には夫と映画を観たり買い物をしたり。そして、また次の週へと忙しく時間が過ぎてゆく。  しかし、私の心の内には大きな変化があった。日記の行間から沁み出した悪意や毒に蝕まれるうち、頭痛がしたり、眠れなくなったり、精神状態が不安定になった。それくらい姉の内面は醜かった。もちろん私だって時には嘘を吐くし、決して清らかな人間ではない。だが、姉の腐れ具合はそんな生易しいレベルではなかった。  自分は選ばれた人間であると信じ、欲望のためなら他者を犠牲にすることも躊躇しない。そればかりか、姉の悪行の中には法に触れるものも多々あった。それを知ったときは、警察に報告するべきかと迷ったが、今さら過去を法で裁いたところで、本人は墓の中である。薬物の一件と同じく書類送検で不起訴になるだけだろう。  それなら、黙っていた方がいい。また警察に呼ばれてあれこれ聞かれ、母が泣き叔父が怒り、家の恥を世間に知られるのではと怯えて暮らすより、私の記憶の中に封印した方がいい。私はそう決心し、姉の日記を読んだことは夫にさえも黙っておくことにした。まるで、姉の共犯になったような気分である。  やがて半年の月日をかけて、私は姉の日記を読み終えた。内容がキツすぎて、休み休みでないと精神が保てなかったのもあるが、あまりのクセ字と文法の崩壊(お察し)により、解読が困難を極めたことも長期にわたった理由である。  なお、先に述べた通りそこに書かれていた内容を、私は誰にも明かすつもりはない。しかし同時に、誰かにぶちまけたい気持ちも強かった。背負わされた秘密が重すぎて、どこかに吐き出さねば爆発してしまいそうだった。  そこで、私は鍵のかかったクラウドに、日記の内容をまとめ書きすることにした。そうすることで心のストレスを解放して、楽になりたかったのだ。要するに「王様の耳はロバの耳」である。  あの物語では、穴を埋めた場所に生えた植物が喋って、秘密がバレてしまうのだが、私の場合はサブスクのサービスなので、システムが暴走してあちこちにファイル送信でもしない限り、誰かに知られることはないはずだ。  日記を読んで、日記を書く。考えてみれば奇妙な行為ではあるが、原文はそもそも文書の体を成していない。狂人の叫び声にも似たカオスである。  それを私なりに読み解き、姉に都合のいいバイアスを正常化し、どうでもいい話はバッサリと割愛した上で、「恐らく事実はこうだろう」という解釈(多分に私の妄想も含まれる)にまとめ、三人称でリライトした。それが、これから始まる一連の物語である。  山下絢華という人間は、私の想像をはるかに超えた真性のクズであった。見た目が美しいだけに始末が悪い、きれいなクズだ。彼女はサイコパスの素質を持って生まれ、それを愚かな母が手塩にかけてモンスターに創り上げた。彼女が早逝したのはもしや「これは失敗作だな」と思った神の采配なのではと思えてならない。  さて、日記の内容を語るにあたり、姉を取り巻く当時の状況を整理しておかねばなるまい。最初のページは約25年前、姉が16歳になって間もない高校一年生の秋に始まっている。初めての夏休みが終わり、新学期になってしばらくのころだ。  姉は中学校までは地元の公立校に通っていたが、音楽学校の受験に失敗して、私立のお嬢さま学校へ通うこととなった。その学校は家から電車で小一時間の距離にあり、姉は通学途中で痴漢に遭った。それが、日記を書くようになったきっかけらしい。  とは言っても、痴漢に遭った恐怖や憤りを吐き出したかったのではなく、その時に助けてくれた他校の男子生徒に関することが、日記の多くを占めていた。どうやら姉にとっては、彼が初恋であったようだ。  それだけ聞けば、なんとも甘酸っぱい乙女の香りがするが、姉の場合は彼との出会いが狂気のスイッチだった。姉はそれから死ぬまでの長きにわたり、彼をストーキングしてプライバシーを漁り、同時に様々な男たちを喰い散らかした。彼女にとっての初恋は、性の毒沼への扉だったのである。  私は姉と年が離れていたし、当時は祖母の家から小学校に通っていたので、彼女がどんな青春時代を送ったのかイメージがわかない。普通に考えれば、あれだけの美貌を持っていたのだから、男なんて選り取り見取りだっただろうと思うのだが、日記を読む限り短い人生の全てにおいて、彼女はことごとく男で失敗している。  いや、男ばかりではない。姉は間違いなく女から嫌われるタイプの女である。その証拠に、これだけ長年の日記の中で、同性の友だちの話が何一つ出てこないのだ。日記に登場する同性はおしなべて、姉にとっての敵、もしくは攻撃対象であった。  容姿に難のある私がこう言うと「やっかみなんじゃないの」と思われるかもしれないが、もしも彼女があれほど人並外れた美貌でなければ、もう少し謙虚に生きられたと思うのだ。死んだ人間のタラレバを論じても、詮ないことではあるが。  日記は大学ノートから、やがてデジタルにツールを変えつつ、死ぬ前日までの四半世紀に及んでいる。読んだ私からすれば、オール黒歴史としか思えないが、書いた本人にとっては栄光の歴史だったのかもしれない。  最初の日付けは、1998年9月11日。その一週間前に、カリフォルニア州でGoogleが創設されたそうだ。当時まだ元気で仕事人間だった父が、スケルトンのiMacを買ったのは、その翌年のことである。日記は、そういう世紀末の慌ただしい時代を背景に綴られていた。  第一章/完
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