夢にまで見た白雪の君

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夢にまで見た白雪の君

 「華鶴、華鶴か! 死してなお余に背くのか! 孔雀と博物館付きを庇い立てするか!」  羽の色の美しさを引き立てる、春の霞を流したような色の袖を揺らめかせている、細い腰の上に切り返しのある、ひらひらとした薄手の袴姿の青年は、真実の愛を受けられず破滅した皇后であった鳥と意図せず再会した皇帝の激情に晒されながら、その眼差しに深い哀切を込めていた。彼は皇帝の剣を胸に留めておきながら、観怜と希世を守るように両腕を大きく開いて浮遊していた。(陛下、お気を鎮めて下さいますよう)仕えるべき君主であり、『恋の時節』の覆せない効力によって見いだされた伴侶でもあった皇帝の身と心をただ案じている華鶴の蜃気楼のような後ろ姿を、観怜は押し黙って見上げていた。(これが、希世の心の中にいた鶴……)少し前の彼には、希世という共通の人間を想い合う鳥としての拒絶や反感が真っ先に感じられたであろうが、いざこの超常的な降臨と、同胞に対する伴侶の凶行を止め、その魂を救いたいという無垢で純粋な感情を目の当たりにしたとき、優しく暖かいもので少しずつ心に入り込んでくるのを確かに感じたのである。華鶴の干渉という異常現象を認めざるを得なくなった皇帝は、希世に止めを刺す好機を逃すまいと急いで華鶴から剣を引き抜こうとするが、柄は全く動かなかった。顔料から発せられた毒の効力以上に、自身のものとは理論の異なる魔術の働きがそうさせていることを悟った皇帝は、希世が床に走らせている、痙攣したように不規則な指の動きと、彼の背を艶めく緑の羽で包み込むように寄り添っている観怜を苛立たしげに交互に見ると、自身が創りだしたこの魔術空間の袋小路に追い詰められているあり得ない逆転をついに認識し始めた。希世が天上から華鶴を呼び寄せたのか、華鶴が希世に懸けた想いが奇跡を起こしたのか、皇帝にも原理の見当はつかない。血の一滴も流さず、胸に剣が刺さったままの華鶴の、心の内に染み入るような声は何とか留まっている希世の意識の中にも確かに届いて、彼が決別した過去の扉を開いてしまうと、万感の波となって押し寄せてきた。それは破れた色恋ではなく、神聖なものを目の当たりにした喜びの波であった。儚さをその身体で体現している華鶴だが、生命の執着を今や持たなくなったために、確かに運命と共にした鳥であった彼への愛着を切り捨て、ただ敵として警戒している皇帝の冷徹な視線を正面から受け止めて立つその姿には、不思議と熱のある質量が乗っているかのようだった。  (どうか、私の心を……)華鶴は羽衣のような細長い飾り帯を揺らして、どうにか魔術を操ろうとしている皇帝の胸元に入り込んでしまうと、彼の肩に滑らかな額を乗せた。炭を流したような黒髪を、首の後ろで一つに結んでいるだけにして、他の装身具を付けていない華鶴の顔を久方ぶりに間近で眺めた皇帝の瞳に、見染めた鳥の持つ純朴な可愛らしさを今また発見し直してますます見える景色が美しさを増したというような、繊細な愛情がその時一瞬だけ映ったのに気付いた観怜は、鳥という種族の意識がそうさせる以上に、華鶴の気持に寄り添った見方を得たのである。国防のための魔術に精神を蝕まれた皇帝の狂気は、いつしか鳥への偏執的な欲望と変わったが、それを癒せる唯一の鳥が華鶴であったのだ。『恋の時節』が鳥と人間の間でいかに強い盟約となるか、それは皇国の君主であっても例外はないのである。(一人の人間が変わるのを止められなかった後悔……慣れない古宮で、自分からその人間を拒絶した反省……百の目で見なくても、華鶴の気持が分かる)華鶴と皇帝の間には大きすぎる感情と思惑の行き違いがあって、その不和が致命的な結末をもたらしてしまった。その事実を再解釈することなく古宮に生き続けてきた皇帝は、彼にぴったりと身を寄せて白い羽を閉じている華鶴の、ただ一人の運命の相手に対する慈しみ深さの刻まれた目元に、華鶴の全てを強固に支配していた昔時に対する自責の念を今強く感じていた。  「……博物館付き。貴様が華鶴を呼んだのか」  殺意の減衰した皇帝がぽつりとそう問いかけると、希世には手品の解説を求められたように感じられたのか、彼は意図的に沈黙していた。  「本来であれば、貴様と孔雀に皇国で生きることは許さぬと言うところだが……」  皇帝が希世に向けた笑みには、鳥を食らう堕落した君主の醸し出す退廃は無く、晴れ渡る少年の爽快さがあった。  「貴様の奇術、悪くはなかった。……あの顔料の出す色以上に、せいぜい孔雀を余以上に輝かせてみせよ」  華鶴が希世と観怜に振り返る。彼は古宮で支えになってくれた希世との思い出もまた大切に羽の中に抱えているのであった。見せかけの楽園に暮らし、精神を擦り減らして、触れたら壊れてしまいそうだった華鶴の、皇帝との和解がもたらした心からの幸福そうな表情に、希世はこれまで空虚だった彼の魂までもが救済されたかのような深淵の心境に浸っていた。彼は傍にいた観怜に身を預けながら、声にならない別れの言葉を華鶴へ告げた。華鶴の優雅な微笑は、希世に応えるだけでなく、観怜にも向けられた何らかの暖かい伝言であるかのようであった。皇帝の腕に抱かれた華鶴の幻影が、地上から逆流する夜空の星のような神秘的な空想を観怜に与えて、天上へと還っていく。皇帝は(鳥がそこにいるから)と語った希世の言葉を思い返して、その方法で自身が鳥との結びつきをもう実感できないことを悔いていた。  「孔雀、余の心を見ろ。帰り道を示してやる」  華鶴を作っていた粒子を手の上で統制している皇帝は、希世と観怜の未来を見た。観怜もまた、異端者であった皇帝の心の一端を理解して、彼の提案に素直に乗った。羽を広げ、群青の瞳を皇帝に向けて、意識を集中する。(一つだけ綻んだ場所がある……壁画の真ん中、腹を切り開かれた孔雀……ここから出られるのか)観怜は安堵と華鶴から受け取った魂の中身の重たさにそっと目を閉じている希世の半身を、鳥の体温を分け与えるように空気の入る隙間もないほどしっかりと抱いて、皇帝の手から流れだした華鶴の幻影の欠片に囲まれて、魔術空間から二人でその姿を消したのであった。希世は恋人の想いも空しくついた眠りの中で、観怜の燦然とした羽に守られながら、華鶴の導きで観怜と勝ち取った明日にあらゆる希望の想像を働かせて、緑に彩られた夢の旅路に快くまどろんでいた。
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