雪国の民宿

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雪国の民宿

2019年1月に、私は雪の降る中、 民宿に泊まりました。 現実から逃げました。 そんな事をしたのは生まれて初めてでした。 働いている場所の人間、父親からの視線が怖くて…。 『帰ってきたら必ず頑張る』 そう自分にも親にも誓い、夜行バスで都内から雪の降る街へと…。 けれど、私は嘘をつきました。 本当はもう疲れたのです。 お願いだから1人になりたい。 でも、貯金も無い。 だから新幹線でもホテルでも無く、高速バスと民宿にお世話になると…旅へと出ました。 1人になれたとしても、休日と有給を合わせて2日間が限界でした。 随分と弾丸になりましたが、本当に疲れてしまったのです。 『心の病気』は理解される事は難しい…。 息苦しい生活に耐えられなくなってしまったのです。 「残業が無くていいね」「お前の調子の悪さなんて分からない!分かろうとも思わない!」と、 『残業したかったら病気になれば?』 『本当に父親なのだろうか…』と思う同じような言葉を沢山もらい、 1カ月15日入っていたシフトは2日になり。 2日にされたところで確実に行ける保証なんてないのに。 『誰だって、いつ風邪引くかなんて分からないのに…。熱があると言えばいいのかな…。働く時に持病があるとキチンと伝えたのに…』 それに対して、 「大丈夫です。私、保健室で働いていい資格も持ってます。差別や偏見もあったりしますよね」 と、笑顔で寄り添ってくれたと思ったのに、 連絡網は私だけ無視され、私の仕事のデスクだけが話の輪に入らない場所に配置され…。 挨拶しても返事もされない。 でも、他に働く場所なんて無いから。 イジメでもパワハラであっても、少しでも働いてお金が稼げるなら…。 誰かに愚痴を言う事なんて無かったけど、今考えると随分と自分に厳しかったと思います。 家に帰れば父は厳しく、 仕事用の笑顔に慣れてしまった私の、本当の笑顔を忘れていたようでした。 愛情の裏返しだと思いましたが、心の休む場所がどこにも無くて。 『もう疲れた』 その言葉に尽きたのでした。 民宿に着いた時、温かくて。 まるで世界が違くて。 家での自分の部屋はフローリングで、 ここでは畳。 床暖房とエアコンが、 コタツとストーブ。 ベッドが布団で。 障子を開けると雪景色で。 ずっと、民宿を囲んだ街灯の灯りで照らされた、絶え間なく降ってくる雪と、積もっていく雪を眺めていました。 その時、コンコンッと襖の音が鳴ったのです。 「宜しければどうぞ、お風呂入る時はお声がけ下さい」と。 お漬物でした。それが、本当に美味しくて。 その後に入ったお風呂も、 入浴剤の香りで包まれ、少し温度の高い湯船も。 そして部屋に戻る時に、 「ゆっくり出来ましたか?」 と、笑顔で聞いて下さった民宿の方も、 本当に心温まったのです。 知ってる人が誰もいないこの場所で、 ニッコリと優しくしてくださり、とても救われました。 便箋とペンだけ持っていた私は、そこで沢山の言葉を綴りました。 次の日は駅前に行き、逃げるように出た自分自身にご褒美をしたかった…。 お土産屋さんでは、その土地の景色が描かれた葉書とボールペンを買いました。 すると、 「宜しければ」とニッコリし、売っているお菓子を3種類いれてくれました。 「ありがとうございます」と言い、民宿に戻り、なんだか涙が出たのです。 幸せだったのです。 人間が…温かい。 「息が詰まるところに居座る事は無い』 そう思い、2日間泊まる予定を1日半で帰ることに決めました。 「お仕事、大変ですね、またいらして下さい」と言って頂き、高速バスに乗り、地元へ着いたその足で職場に行きました。 そして辞めたい旨を言い、最後に笑顔で、 「お世話になりました!」と言ったのです。 笑顔の私にビックリしたのでしょう。 「何か…訴えたりしないよね?」と言われ、 私は、 「さぁ?」と。そのままの笑顔で言いました。 『ひどい事を言っている自覚はあるんだ…』 と、思ったひと言でもありましたが、 母に電話し、 「ゆっくりできた?」と言ってくれ、 声を聞いたら『安心』して泣きそうになりました。 「うん。思いつきで旅に出て、思いつきで帰って来た感じになっちゃったけど、ごめんね。あと、私は仕事にほぼ行けてないからさ。シフトも今月は2日しか入ってないし、辞めてきた。シフト減らされたところで、その日行けるかどうかも分からないし…。それは他の人も同じだと思うんだけど…。また履歴書だ!ごめん、直ぐに働く場所探すから」 と言うと母は、 「ずっと、その方が良いと思ってたよ、苦しそうだったから。少し休んでもいいんだよ?」と、言ってくれました。 私は、 「うん、そうしたいな」と伝え、涙が出ました。 「ただいま!」と言うと、 「おかえり、心配したよ」そう言って抱きしめてくれました。 母は、お腹を痛めて産んだ我が子を、一生心配し、大切にする。 そういう生き物なのでしょう。 元々優しい母が、もっと優しく感じた。 きっと、私も外では偽りの顔をする事に慣れてしまっていた。 そう思いました。 帰りの高速バスに乗る前に、どうにか買えたお土産のお菓子、受け取ってくれるか分からないけど、ドキドキしながら父に渡したのです。 「これ、ひとり旅のお土産。ごめんね、仕事の環境がどうしても苦しいから辞めてきたよ」 と言いました。 「自分が良いなら、良いんじゃない?」 と、お菓子を食べながら言いました。 身体は動いた分だけ疲れたけど、 心は本当に本当に満たされたのです。 あんなに満たされたのは初めてでした。 人の優しさと温かさを感じ、そこで書いた文章は、 のちに小説内に出て来る事になるのでした。 まさか、自分が出版するなどとは。 1ミリも思わなかったですが、思い切って行動したひとり旅は必要な時間でした。 ありがとう。 いつか、久しぶりに、お礼に行けたら良いな。
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