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4.裏切り
その夜、神父様とロマリンを置き去りにして、他の人々は教会を出て行った。父親に腕を掴まれたペーチャが引きずられていく。彼は泣きそうな顔で何度も振り返って僕を見たが、僕は微動だにせず見送った。
翌日、大きな物音で目が覚めた。ツンと生臭い風が鼻を擽り――。
「イゴール、伏せろっ!」
長椅子から身を起こした瞬間、突然強い光に照らされた。眩しさに、目の奥がズキンと痛む。
「ガキか」
光に目が慣れると、数m先の通路で、父さんが迷彩服の兵士に捕らえられているのが見えた。顔が血にまみれ、服も赤く染まっている。
「吐け、貴様の仲間はどこに隠れた?」
目を凝らせば、僕と父さんの他に生きている人はいなかった。グループの仲間達も、神父さんさえも、長椅子や通路のあちこちに倒れて動かない。
「居場所を言わねぇと、ガキを撃つぞ!」
兵士は、父さんの金髪を荒々しく掴んだ。別の兵士が小銃を構え、銃口が僕を狙う。
「……こ、工場だ……西地区の……」
「よし。確認する」
「お前も来いっ!」
父さんと僕は手錠をかけられ、ロマール軍のトラックの荷台に物のように転がされた。走行中も兵士の銃口が常に向けられている。やがて停車すると、兵士達の足音が遠ざかり――僅かな静寂のあと、激しい銃声が鳴り響いた。父さんの背中が震えている。僕も金縛りに遭ったように息が詰まって動けない。耳を塞ぎたいのに両手の自由もなく、ただ同朋の命が奪われる音を聞かされる地獄のような時間が続いた。
僕達は殺されず、ロマールに運ばれると、僕だけが大きな建物の狭い部屋に入れられた。コンクリートの床の上に薄汚れたマットと毛布が置かれ、隅に排泄用のバケツがある。壁の高い位置に鉄格子の嵌まった小さな窓があるが、北向きなのか昼間でも薄暗い。それでも2日に一度は、水っぽいスープと固いパンが1つ与えられた。
誰とも話すことがなく、死なない程度に生かされる、飼い殺しのような日々。窓から射し込む光の長さで、冬が近いことを知ったある朝、聞き慣れない騒音が近づいてきた。
「誰かいるか!?」
鉄のドアが開き――毛布から頭をもたげると、迷彩服に小銃を持った兵士が立っていた。兵士は僕を見ると、廊下に向かって叫んだ。
「生存者がいたぞ! 担架だ!」
僕はクラリナ軍に救出され、戦争被害者として本国に送還された。戦争は、連合国軍の支援を受けたクラリナの勝利で、ひと月も前に終結していた。
クラリナでは、ソニーク郊外にある福祉施設に預けられた。ここは身寄りのない子どもが成人するまで保護と教育を担っており、僕は心身の健康回復を目指しながら、途絶えていた勉強を受けることができた。
「イゴール、君宛てだ」
1年が過ぎたある日、担当のケアワーカーが、茶封筒を僕にくれた。傾けると、銀メッキの剥げかけた真鍮のクルスが掌にポトリと落ちた。十字架の裏を見る。刻まれたイニシャルは――間違いない。父さんのクルスだ。
「処刑は、3日前に執り行われたそうだ」
僕と引き離されたあとも、父さんは生きていた。ロマール軍の偵察兵として国境付近に潜んでいたのを、クラリナ軍が捕らえたそうだ。
終戦後、父さんは戦犯裁判にかけられた。戦犯とはいえ、父さんは敵国の捕虜になって、仕方なく偵察部隊に組み込まれたのだ。軽い刑期で釈放されるはずだった。ところが、ゾフカ市での工場襲撃と虐殺の事実を追及されたロマール兵が、自分の罪を軽減するために、父さんを売った。
ここでも父さんが“ロマリン”だったことが災いした。反論虚しく「売国奴」の汚名を着せられて、父さんはこの国に殺された。
神も正義も、この世にはない。それでも、僕はまだ死ねない。外国に逃げた母さんと妹、そしてもしも生きているならロマールにいる姉さんを探し出すまでは。
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