水槌良三の手記

2/3
前へ
/30ページ
次へ
 次に目覚めた時、私は病院の寝台の上にいた。体が思うように動かず、目だけで周りを見渡せば、傍らによそへ嫁いだはずの姉がいて、私の手を握っている。  姉は大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら、「よう生きとった。よう頑張ったね」と私に励ましの言葉を投げかけた。  私は姉が泣き止むのを待って、自分の身に何が起きたのかを尋ねた。姉は難しい顔をしたきり黙り込んでいたが、やがて「リョウちゃん。気をしっかり持って聞いて頂戴ね」と言って、訥々(とつとつ)と話をしてくれた。 「お父さんもお母さんも、お姉ちゃんもお兄ちゃんもみんな、みんな死んでしもうた。助かったのはリョウちゃんだけなんよ」  そう言って再び泣き崩れる姉を見て、私は漸く私以外の家族が皆、殺されてしまったのだと理解した。  私の家族だけではない。近所の家の者も数人殺されてしまったのだという。  犯人はまだ捕まっていないのだと姉は言ったが、私の脳裏にはすでにカガチの顔が思い浮かんでいた。 「カガチじゃ。カガチの仕業なんじゃ」  私は姉にそう訴えたが、姉はカガチの名を知らぬようであった。私が地下牢に閉じ込められていた娘の事だと言うと、姉は真っ青な顔をして私の口を塞いだ。 「そんな事、滅多に言われん。(うち)が憑き物筋じゃって知られてしもうたら、お姉ちゃん、離縁されてしまうわ。それにあの子はよう喋らんし、まともに歩きもできんのよ」  姉の言葉に私は愕然とした。私の知るカガチは聡明でお喋り好きな娘であったし、最後に見た際には梯子を登ろうとしていたのだ。そんな筈はなかった。  おそらく彼女は、姉の前では愚か者のふりをしていたのだろう。ところが姉の代わりに食事を運びに来たのが分別のつかない幼子だったものだから、騙してやろうと思ったに違いない。  私は己が情けなかった。私が彼女の言葉を信じて檻の鍵さえ開けなければ、家族が死ぬことはなかったのだ。  私を突き動かしたのは、悲しみではなく憎悪であった。ふつふつと胸の内から言い表しようのない怒りが湧いた。  あの女を生かしてはおけない。私は亡き家族と悲しみに暮れる姉のために、そして私自身の贖罪のために、仇を討つことを決めた。  それからほどなくして、私は首の傷も癒えぬうちに家族へ最後の別れを告げに行くこととなった。  久方ぶりに帰った家は誰もおらず、がらんとしていた。姉が掃除をしてはくれていたが、皆の寝所には所々血の跡が残っており、ここで惨劇が起きたのだと私に知らしめた。  それでも不思議なもので、私は棺桶も見ているというのに、実はこの棺桶の中には誰もおらず、弟たちがひょっこり柱の陰から姿を現すような気さえしていた。  私はそれではいけないような気持ちになって、姉に棺桶の中を見せてくれと頼み込んだ。  姉は私の言葉に難色を示し、「リョウちゃんは見んでええ」と首を縦には振ってくれなかった。姉は湯灌(ゆかん)の際に皆の遺体を見たのである。「子供が見るもんじゃない」と言って譲らなかった。  私は仕様がないので、手伝いに来ていた義兄(あに)にお願いすることにした。姉も義兄が決めたことには反対しまいと考えてのことだった。  義兄も最初は渋い顔をしていたが、私があまりにしつこく頼むので、ついには観念して集落の長に頼んでくれることになった。   「お姉さんの言うように、良三が見るには辛いかもしれんぞ。それでもええんか」  義兄は最後の最後まで私にそう問いかけたが、私が「構いません」と答えると、一つ頷いて棺桶の蓋を開けてくれた。  初めに見たのは二歳の妹だった。妹は小さな首を掻き切られて死んでいた。それでも眠っているうちに亡くなったのか、思っていたよりもずっと安らかな顔であった。  次に三人の弟たちを見た。三つ子のようにそっくりで元気だった弟たちは、皆一様に頭をかち割られて死んでいた。頭皮から剥き出しになった赤いものが目に入って、私は咄嗟(とっさ)に目を逸らしてしまった。義兄はそんな私の肩に手を置くと、何も言わずにそっと棺桶の蓋を閉じた。  兄の遺体には多くの傷が残っていた。腕についた無数の切り傷が、兄の必死の抵抗を物語っていた。最後は胸を突き刺されて息絶えたのだろう。兄の胸にはぽっかりと穴が開いていた。けれども兄は最後まで勇敢に戦ったのである。私はそんな兄が誇らしかった。  二番目の姉には目立つような傷はなかった。あとから義兄に聞いた話だが、姉は腹を裂かれて死んでいたのだという。腹の中身が出たままでは湯灌もできないからと、姉が臓器を押し戻して縫い針で縫ってやったのだと義兄は言った。  両親の棺桶を開けようとした時、それまで黙って私に付き添ってくれていた義兄が本当に見るつもりなのかと再び尋ねてきた。今更引き下がるつもりもなく、私が「はい」と答えると、義兄は悲痛な面持ちで蓋を開けてくれた。  正直なところ、棺桶の中を覗いた時、私にはそれが本当に父や母なのかわからなかった。  兄や姉は胡座をかくような姿で桶の中に入れられていたのだが、父と母は胴がぽつんと桶の中に置かれていて、その隙間を埋めるようにして手足が差し込まれていた。  気付けば私は地面に倒れ伏して吐き戻してしまっていた。周りの大人たちに介抱され、別れの言葉も言えぬまま棺桶から引き剥がされることとなった。結局父母の死に顔を看取ることは敵わなかったのだ。  葬式は(つつが)なく終わった。八つの棺桶は村の若衆総出で担ぎ、墓地まで運んだ。  鳴り物の音が村中に響き、皆が口々に送り念仏を唱える中、私だけが父の位牌を手に黙々と歩いていた。  私が墓地に着いた時、そこには既に深い穴が掘られていた。土の中に埋められてしまえば、皆とはもう二度と会えないように思えて、途端に寂しい気持ちになった。  しかし私には、皆がどんどんと土の中へ埋められていくのを見守ることしかできなかった。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加