水槌良三の手記

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 親兄弟を失った私は、姉夫婦の家に引き取られることになった。  義兄は良い人であった。初めて姉夫婦の家に来た私を義兄は「今日からここが良三の家だ」と迎えてくれた。  その頃、姉夫婦の間には子供がいなかった。そのせいだろう。義兄の父母もまた年若い私を大層可愛がってくれた。舅などは義兄の養子になるよう私に勧めてくるほどであった。  姉の嫁入り前、近所の者が義兄の家について噂していたのを聞いた事がある。  何でも義兄は嫁を迎えるのが姉で二度目なのだという。前妻は子供が産めなかったので離縁されたのだと、近所の口さがない者らが噂していた。  そんなことを聞いたのもあって、私はもしこのまま姉夫婦が子供を授からなかったら、私が養子になって姉が離縁されないようにしようなどと考えていたのである。  しかしそれは杞憂に終わった。姉夫婦はそれから暫くして子供を授かったのである。  生まれてきた子供は男児であった。我が子を胸に抱いた姉を見て、私は喜ばしい気持ちと共に何とも言い難い虚しさを覚えた。  家を継ぐのは長男の役目である。姉に息子が生まれたとあれば、家を継ぐのはその子の役目なのだ。養子を取る必要もない。  私がこの家にとって食い扶持を減らすだけの存在になったことは明白であった。  小学校を卒業する年、私は卒業したら村を出て工場で働くつもりだと姉夫婦に伝えた。  この頃、葦船(あしぶね)にある大きな化学工場が工員を募っており、私は幾人かの同級生と共にそこへ就職することにしたのである。  義兄は私の決めた道を手放しで応援してくれた。姉は複雑そうな顔をしていたが、喜ぶ義兄の手前何も言えなかったのだろう、黙って頷いてくれた。  (わず)か三年という短い間ではあったが、私は姉夫婦に大変お世話になった。家を出ることに寂しさを感じなかったといえば嘘になるが、善良な義兄たちに「家から出て行ってほしい」などという言葉を言わせずに済んだことに私は安堵していた。  どのみち次男だった私には、故郷に住み続けるという選択など(はな)からなかったのだから、一時でも温かい家庭に迎えられて幸福だったと思わねばなるまい。  姉夫婦のもとを離れて六年が経った頃、化学工場で働いていた私は十和子(とわこ)さんという一人の女性に出会った。彼女は花嫁修行のために南海道の商家からやって来ており、工場の事務員として働いていた。  十和子さんは()(かく)世話好きな明るい女性で、いつも陰鬱な顔をして働いている私が気に入らなかったらしい。あれやこれやと世話を焼かれているうちに、私は彼女のことを好ましく思うようになっていた。  そんなある日、私が彼女と世間話していると、彼女は御母堂(ごぼどう)から手紙が送られてきたのだという話をした。 「私は気が強くて女らしくないから、嫁の貰い手がつくか親戚中から心配されていると言われたのよ」  おそらく、彼女は私に愚痴を聞いて欲しかったのだろう。しかし私は彼女と話すことに精一杯で、その意図を汲みかねたのである。  気付くと私は「それならば僕が十和子さんをお嫁さんに貰うよ」とつい口を滑らせてしまっていた。  そんな情けない告白でも結婚に至ったのは、(ひとえ)に彼女の器の広さのお陰である。  彼女と結婚してから間もなく、私は衛生兵として満州へ赴くことになった。  満州での日々については、私の胸の内に留めておくことにする。正直なところ、引き揚げ船に乗るまでの一年間を私はあまり思い出したくない。ただ二度とあのような悲劇が起きない事を願うだけである。  復員して暫くの後、私は義兄の戦死の報を契機に口無村へと帰郷した。  父が持っていた田圃(たんぼ)は川上に住む遠い親戚に売り払っていたので、私はそれを少しばかり買い戻して再び米作りに精を出す事にしたのである。  それから程なくして、妻が男の子を出産した。亡くなった父の名前から一文字拝借して、私はその子に修一という名をつけた。  修一が歩き回れるようになった頃、私は近くに住む猟師から山で人死にを見つけたとの報せを受け、死体を下ろすのを手伝いに山へと向かった。  男四人で山に登ると、先に来ていた駐在さんが腕を組んで「こりゃ酷いもんだ」などと死体を見ている。仲間達と共に覗き込んでみれば、なるほど確かに首の肉がごっそり抉られていた。  仲間の一人が熊の仕業かと尋ねると、猟師は首を横に振って「熊にやられたんなら、こんなもんじゃ済まねぇよ」と吐き捨てるように言った。それなら何だと続けて尋ねれば、猟師は「さあな」とやや歯切れの悪い返事をする。  猟師が何か隠し事をしているのではないかと疑った私は、彼を家に招いて酒を振る舞い、話を聞くことにした。しこたま酒を呑ませたお陰か彼の口はよく回った。  私が件の死体について尋ねると、彼は「ありゃ熊や猪なんかじゃねぇ」と面白くなさそうに答えた。それならば一体何の仕業なのか聞くと、彼は簡潔に「人や」と言った。 「儂ゃ、人が人を食った後の死体を見た事があるんじゃ」  彼はそれをどこで見たのか語ろうとしなかったが、私は彼がルソン島の方へ出征していたという話を聞いていた。  しかし私には、あの死体が餓えに耐えかねた人間に喰われたものであるとは到底思えず、首の傷跡が妙に疼くような気さえした。  あれは私から一切を奪ったあの女の仕業ではないか。そう思えてならなかったのである。  私は真相を確かめるために、何かと理由をつけては山に登った。  あくる日、私がいつものように山に登っていると、中腹に差し掛かった所で一人の子供を見つけた。青白い肌をして酷く痩せ細った少年は、たどたどしい日本語で私に助けを求めた。  私はその少年の中にカガチの面影をはっきりと見た。少年とカガチの間に何か関係がある事は疑いようもなかったが、かと言って今にも死にそうな子供を捨て置く事はできず、私はその少年を家に連れて帰る事にした。  自分の名も知らぬ少年に私は(てつ)という名を与えた。鉄は修一と共に育つうちに言葉を覚え、情緒も豊かになっていった。 「僕は山奥で暮らしていたんです」  鉄は十歳になった頃、自分の身の上を私に語った。 「僕は兄弟と共に日の光も差さぬ暗がりで生きていました。僕らは母なる領域を侵した者達に罰を与え、その肉を食べて浄化していましたが、僕はその暮らしが嫌になってしまった。地上では皆が土を耕し、日の光を浴びて生きている。僕はそれが大層羨ましくなった。だから僕は山から下りたいと告げたのですが、母に殺されそうになったのです」  そうして命からがら逃げ延びた先で私に出会ったと鉄は言った。 「僕はこのことを黙っておくつもりでしたが、おじさんにだけは話さなければいけないと思いました」 「何故だい」 「それはおじさんが水槌の血筋だからです」  鉄曰く、水槌家の先祖は弾圧から逃れた呪術師の一族である、と。  彼らは海を越えて口無村に移り住み、呪術の力によって村を豊かにしたが、その力を恐れた村人達に迫害され、トンビョウガミ憑きではないかという疑いをかけられてしまった。  村から追い出され居場所を失う事を恐れた彼らは、村の人間達と同じように生きる為に、呪術師としての知識と技術を秘密裏に継承していく道を選んだ。一族の長は末の娘を地下牢に幽閉すると、その子々孫々だけに呪術を伝えさせたのである。  その子供らは一生を地下牢で過ごし、劣悪な環境の中で呪術の習得をする事だけが許され、年頃になれば無理矢理子供を産まされたという。  僕の母は地下牢から出ると、地上にいた人間に罰を与えたのです、と言って鉄は私の表情を窺うような顔をした。    どのような事情があれど、カガチが私の家族を殺したには変わりなく、私には彼女を許すつもりなど毛頭ない。しかし私の先祖が彼女たちにした事もまた許されるべきではない。  私は考えた末に、彼女たちと我々の間に境界線を引くことにした。  私は山の中腹に祠を作り、この山にはトンビョガミという神が住んでいて、怒りに触れた者に罰を与えるのだという噂を流した。噂を信じさせる為に、私は鉄に力を借りてトンビョガミ憑きになったように振る舞った。  今、私の目論見通り、村の者たちはトンビョガミを恐れ、山に立ち入らないようにしている。  鉄よ。  十和子と修一は正しい事をした。私は最早狂ってしまったのかもしれぬ。彼女は私が死ぬのを待っている。もう長くはないだろう。書斎にある机の引き出しに幾許(いくばく)かの金を隠してある。もしお前が家を出るような事があれば、それを持っていきなさい。その代わりどうか十和子と修一を守ってやってほしい。私の家族がもう二度と惨劇に巻き込まれる事のないように。  十和子さん、すまない。貴女には苦労を掛けてばかりでした。貴女は正しい事をした。どうか自分を責める事のないように。  修一。お前は賢いのだから、勉強をうんと頑張りなさい。そうして立派な人になりなさい。母さんを困らせる事のないように。  こうして文章を書く事でどうにか正気を保っている。私はどうすれば良かったのだろう。十和子は、修一は大丈夫なのだろうか。  鉄へ  この手帳は目を通し次第、十和子や修一の目に触れる前に燃やしておくように。  彼女が私を見ている
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