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「荷物はこれで全部かな」
「はい。リュックと自転車だけなんで」
「ホイール外してしまって良かったの? 外さなくても、後部座席を倒せば積めたと思うよ」
「大丈夫っす。駅まで親が迎えに来てくれるらしいんで」
「そう。優しい親御さんだね」
「ええ、まあ」
千尋はバックドアを閉めると、加賀美の方へと振り返った。
青年の顔や腕に残った傷は相変わらず痛々しい。加賀美は千尋の視線に気付くと、力なく微笑み返した。
「だいぶ男前になっちゃいました」
「ああ、そうだね」
後部座席で二人を待っていたコテツが退屈そうにあくびをする。千尋は助手席のドアを開けて、加賀美に座るように促した。
「行こう。親御さんを待たせてもいけないからね」
千尋が車を走らせていると、空き地にパトカーが数台止まっているのが見えた。加賀美はその光景を見つめながら、「忙しそうっすね」と呟く。
「死体が見つかったと思ったら、次は山火事だからね。駐在さんも消防団も大忙しだろう」
「お兄さんは今朝のニュース見ました?」
「ニュース? 見てないけど」
「山火事がちょっとしたニュースになってたんですけど、焼け跡からは何も見つからなかったって」
加賀美はルームミラーに映る千尋の顔を温度のない目でじっと見つめた。
「ああ、それなら駐在さんから少しだけ話を聞いたよ。何しろ家のすぐ近くが現場だからね。いろいろ話を聞かれたんだけど——山の中腹で火の手が止まって幸運だったと言われたよ。ちょうど祠のあった場所だ。近所の人には神様のおかげなんて言う人もいてね」
「……そういうことを言ってるんじゃないです」
「なら、どういうことかな」
「お兄さんは確かにトンビョガミを殺した。それなのに、焼け跡から何一つ見つかってないのはおかしいと思いませんか。仮に死体が焼けてしまったとしても、彼らの生活の跡すら見つかっていないのは奇妙でしょう」
「そうかな。神様なんだ。死体だって、生きてる証だって、見つからなくても不思議じゃないさ」
千尋が涼しい顔で答えるのとは裏腹に、加賀美は何とも言えない表情で歯を食いしばった。
「あのおじいさん、亡くなったそうですね」
「おじいさん? ああ、釜鳴さんのことか。そうだね。自殺だそうだよ」
「現場には遺書が残されていたそうです。例の強盗犯を殺害したのは自分だと。警察は山火事を起こしたのも、あのおじいさんじゃないかと疑っているみたいです」
「そう。良かったじゃないか。これで君は件の死体とまったくの無関係であることが警察にもわかったんだ。安心して岡山に帰ることができるね」
「そうじゃなくて! ……俺が言いたいのはそんなことじゃない。トンビョガミを殺して山に火をつけたのはお兄さんで、俺はそれを黙って見てた。犯人は俺らじゃないですか」
加賀美の言葉に千尋は前を向いたまま口角を上げた。
「そうだね」
「お兄さんはこのまま黙っておくつもりなんですか」
「まあ、そうだね。わざわざ喋る必要もない」
「俺はお兄さんを責めたいわけじゃないんです。心苦しいんですよ。死んだ後もなお、あのおじいさんは村の人から白い目で見られるんでしょう」
「そうだよ。嫌なら、君が警察に言えばいい。僕が山に住んでいたトンビョガミを殺害して火をつけたって。そんな与太話を誰が信じるだろう。死体もない。彼らが生きていた証拠もない。祠も燃えて、当時を知る人も皆死んでしまった。それでも君は僕を警察に突き出すのかな」
「そういうつもりじゃ……」
「加賀美君。僕もね、今の状況に思うことがないわけじゃないよ。それに君の言っていることは最もだ。僕も子供たちに教える時は正しいことをしなさいと言う。でもね、どうしたって僕たちの人生は死なない限り続いてしまうんだ。それなのにわざわざ苦しみを背負って生きる必要はない。そうだろう」
「それが誰かを犠牲にする方法であったとしてもですか」
「釜鳴さんはもう死んだ。死んだ人間には感情も思考もないのだから、犠牲なんて言葉はふさわしくないね。しかし君が心苦しさに耐えられないというなら、僕を警察にでも何でも突き出せばいいよ」
「そんなことしません……というよりできませんよ。俺だって見殺しにした共犯者なんだ。家族のためにも、このことは墓場まで持っていくつもりです」
「家族想いだね、君は」
車は村を抜けて街中へと向かっていく。誰もが村で起きた惨劇など知らないという風な顔で街を行き交う。
「そうだ。君は確か、人を殺す人間の気持ちが知りたいって言っていたね」
加賀美は一瞬肩を震わせて、ゆっくりと千尋に視線を向けた。
「教えてあげようか」
赤信号で止まった車の中で、千尋は平素と変わらない様子でそう言った。加賀美はしばらく無言で俯いていたが、顔を上げると首を横に振る。
「いいです」
「それは知りたくないということかな」
「知りたくない……そうですね。そうかもしれません。俺は理解できないから面白いと思ってたんです。俺の生活からほど遠い場所にあったからこそ、面白いと思えていた。でも、少し近付き過ぎました」
「そう。もう趣味はやめるの?」
「そうっすね。家族にも危ないことをするのはやめてくれって言われちゃいましたし」
車はどんどんと街中を進んでいき、この町に唯一ある自動車駅に辿り着く。
「全部、俺のせいっすね」
「何がかな」
「俺がお兄さんに出会わなければ、俺もお兄さんも何も知らないままいられたんだ」
「君のせいじゃないよ。遠からずこうなってたさ。それにね、僕はやっと本当の自分を取り戻せたようで清々しい気分なんだ。君には感謝してるんだよ」
加賀美は何も答えずに膝の上に乗せていたリュックを握り締めた。
「俺、もう行きますね」
「うん。気をつけてね」
「ありがとうございます。こてっちゃんもバイバイ」
加賀美は荷物を両脇に抱えると、少し遠くに停まっていた車へと駆け寄っていった。
「さあ、コテツ。僕たちも行こうか」
車に乗り込んだ千尋はサイレンの音を聞いて黙り込んだ。消防車がけたたましいサイレンと共に街中を駆けていく。それは村の方角へと走り去っていった。
「僕はもうどこまでも行けるよ」
千尋はハンドルを握ると、遠くの空を見つめて笑った。
(了)
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