4.みんな大好き夏休み

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次の日のお昼前。紫月は校門付近に立っていた。委員会に行く前の楓さんが「見晴らしのいいところにいろよ。あと変な奴には絶対について行くな」などと口酸っぱく言われたので、その指示通り俺はわりと目立つところに立っている。本当は隅の方で待っていたいのだが、楓さんがあれだけ何度も口にしたのだ。きっと何か意味があるのだろうと、大人しく従っておいた。  そわそわと体が動く。だってあと少しで孝宏君に会えるから。 「キミも今日帰省するの?」  背後から聞こえた声にびくりと大げさなくらい体を震わせて、後ろを見る。きょとりと首を傾げてそこに立っていた人を俺は見たことがあった。 「僕もなんだぁ。一緒だねっ!」  えへえへと嬉しそうに笑っているその人は、一年生で生徒会の書記を努めている方だ。集会の時に前に立っているのを見たことがある。そう一方的に俺が知っているだけで、俺はこの人と話したことがあるわけではない。クラスが違えば、役員と一般生徒で立場も違う。接点などあるはずがなかった。だというのに 「僕もさ学校祭の話したかったのに、パパが帰って来いってうるさくて。楽しみにしてたのに!」  彼はまるで昔からの友人に話すかのように俺に向かって、言葉を投げかけてくる。もしや他の人に話しかけているのではと辺りを見渡したがここには俺と彼以外の姿は見当たらなかった。そうなれば、これはもうこの人の元々の性格なのだろう。 「僕ね、僕ね。西園寺くんと話してみたかったんだぁ」 「え、俺なんかのこと知ってるんですか…?」 「うん!当然でしょ!」 「え…」 「あんまりね、人前で話しかけない方がいいと思って我慢してたんだけど。他に誰もいなかったから話しかけちゃった。びっくりさせてたらごめんね」  彼の瞳はキラキラとしていて、そこに邪念など見えもしない。きっとまっすぐ、純粋にその言葉を発しているのだろう。  ほんの少し照れくさそうに頬をかいている彼はとても可愛らしい。俺と変わらないくらい小柄で裏表のない性格はとても愛嬌があった。 「けど、話せてよかった。キミはねとても良い人だ」 「……」 「だから、俺なんかとか言っちゃダメだよ!充分魅力的なんだから!」  校門の前に車が停まった。おそらく俺か千堂さんのどちらかの迎えなのだろうが、俺は彼から目を逸らせないでいた。彼はずっと屈託のない顔で笑っている。それはこちらをあざ笑うようなそれではなく、その瞳はずっと温かさを持っている。 「――紫月」 お迎えの車はどうやら孝宏くんだったらしい。彼は俺が固まっているのを見て焦ったのだろう。ほんの少し声色を変えて俺の隣にやってきた。長身の孝宏くんに見下ろされているのに、千堂さんは動じるどころか、変わらずにこにこと柔らかい笑みを浮かべている。 「人を見る目はあるって会長にも褒められるんだよ、僕」 「……あ、りがとうございます…」 「…うん!えへへ、話せてよかった。またね、西園寺くん!学校祭、絶対いいものにするから任せてね!」  てれてれと照れくさそうにしていた千堂さんは、孝宏くんに「お時間取らせちゃってすみません」と頭を下げた。そして、もう一度俺の方を見て「今度からはため口でいいよ!同い年なんだし!」とまた笑った。どうやら、千堂さんのお迎えも来たらしい。「坊ちゃん」と呼ばれた彼は、その人の方に走って行って車に乗っていた。ガラス越しに見えた千堂さんがこちらに手を振っているのが見えて、どうしたらいいのか分からなくてとりあえずぺこりと頭を下げた。   「…紫月?」  車がいなくなったというのに、まだぽかんとして動かない俺を見て孝宏くんは腰を曲げて俺と視線を合わせる。小柄な俺と同じ視線の高さにするには大変だろうに、彼は俺と話すときによく目を合わせてくれる。フードを深くかぶっているけどよくわかる。孝宏くんは心配そうに俺のことを見ている。 「あのね…」 「はい」 「…俺の事、良い人だって……」  孝宏くんは、一瞬ぽかんと口を開けたが、すぐににこりと笑った。俺があの人、千堂さんにいじめられていたわけではないのだと分かってくれたのだろう。  『良い子』と言われたのは何も初めてではない。天満くんや孝宏くんは何時だって頭を撫でてくれるし、永久くんたちも「しづはいい子だね~」とよく笑う。だから、その言葉は初めてではない。けれど、彼はたった今、会ってほんの少し会話しただけなのだ。たったそれだけだというのに、千堂さんは俺をいい人だと言った。「俺なんか」という言葉をつかうな、とも。お世辞だと考えるだろう。ただ、昔から視線には敏感でその目がなんて言っているのかなんとなく読めてきたから、彼が全く裏表なくそう言ったのだと分かってしまった。
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