4.みんな大好き夏休み

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 天満くんが帰ってくるのは夕方になるだろう。普段は自宅から部下のような人たちに指示を出し、自分はパソコンと睨めっこしていることの方が多いのだが、今日はどうやらお偉いさんとのパーティに呼ばれているらしかった。夜に彼が来ることはまずないと言う事を見こされてか、昼間のうちに開催されたそれに心底嫌がりながらも出席している。電話の向こうの声音がそう告げていた。  きっと昔のように作り上げた笑みを張り付けて、嫌なことを頑張っている天満くんのために何かできないものかと思案した。そして、思いついたことが一つ。 「手伝う…ですか?」 「うん!」  包丁どころかピーラーを持つことさえ許されず、危ないからとキッチンに入ることもあまりいい顔はしない二人だったけれど、この前のキャンプの時に俺は初めてピーラーを使ったのだ。その時に怪我一つしなかった。思ったままを告げれば孝宏くんは不安そうに顔をしかめ、うろうろと視線はさまよっている。どうやら、何と言えば俺が諦めるかを考えているらしかった。 「怪我しないように気を付けるから、2人にも食べてほしいなぁ…って。だめ?」  ほんの少し首を傾け、伺うように孝宏くんを見上げる。彼の口からはうめき声のような小さい声が漏れて、左手で額を押さえている。彼の心はたぶん葛藤しまくっていて、俺もそうなると分かっていながら彼にあぁ言ったのだ。だって孝宏くんは俺に甘いから。  彼はおよそ一分ほど考え込んだ後、「分かりました…」と小さな声でそう言った。 「危ないことはさせませんからね」 「うん」 「包丁は怖いので持たせませんし」 「うん」 「火も使わせられません」  心配性な孝宏くんの言葉の一つ一つに頷く。IHだから火は使わないけれど、彼にとってはそう言う事ではないのだ。俺が火傷する可能性がほんの数パーセントでもある場所に本当は立たせたくない。それでも、キッチンで孝宏くんの隣に並ぶのは俺の1つの夢のようなものだった。油を使っているわけではないのに、「油が跳ねるからダメです!」と拒否するくらい彼は俺を入れようとしなくて、俺はただリビングのソファから眺めているだけだったから。こうして隣に立てるのはすごく嬉しい。  えへへ、と口からは情けない声が漏れて口元は緩んでいる。鏡をみなくてもよく分かった。そんな俺の様子を見て、孝宏くんは「楽しそうですね…」と頬を緩めた。 3人で生活するこの空間で料理を担っていたのは孝宏くんだけだ。いわゆる在宅ワークでも忙しい天満くんとそもそもキッチンに立ち入ることさえ許されない俺がいるのだから、必然的に彼が担うことになる。ハウスキーパーなりを雇えばいいのだろうが、この空間は何せ機密情報が多い。特に天満くんの書斎にはそう簡単に立ち入れない。そして孝宏くんは素顔を見られるのが嫌いなのだ。俺と天満くん以外の人間がいる場所ではフードは取らないし、あまり喋らなくなる。彼の心が休まる空間がほんの少しでも怪我されてしまうのは避けたい、というのが俺と天満くんのあいだで共通したこと。故に、この家には他人を入れないと決めている。 「…すごい」 「そんなことないですよ」 ぽかんと開いた口がふさがらない。俺は随分間抜けな顔をさらしているのだろう。彼の手でが動くたびにチキンライスが黄色い卵に包まれる。いったいどんな魔法を使っているのかと、お馬鹿なことを考えてしまった。3年間毎日、料理を作ってくれていた彼の手際はものすごくよくて俺が感動している間にもう3つのオムライスが出来上がっていた。  かくいう俺は孝宏くんが蒸して、皮をむいたジャガイモを潰して、彼が切った野菜と混ぜてサラダを作った。俺がしたことと言えば味をつけてまぜただけなのだが、終始にやけていたのだろう。孝宏くんはずっとそんな俺の様子を見て優しい顔をしていた。  
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