名無しの妻へ

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 自分の名前が嫌いとは? 毒を持っているからということか。いや、誰だって、自分の名前が殺戮兵器となれば嫌悪するだろう。そんな周知の事実を、この死地で口にする意味がない。  それでは、こういうことか。  自分の名前を構成する文字が、自分の嫌いなものでできているということか。  ……いや、それにしたって、血を流しながら言うことではないだろう。  この女はどんな策略を——  直義の脳に、妻の姿が集まってきた。それらが妻の性質を直義に刻みつける。その切り口から、先ほどの走馬灯が顔を覗かせる。  そうか。この女の作戦は——  直義はフフフと笑った。隣の女は、流石に眉をひそめる。 「君は、どこまでも、恐ろしい人だ」  この女の謀略を悟った時、直義は女を抱きしめたくなった。  しかし、それが叶う身体ではない。  ならば、せめて、この言葉で彼女を包もう。  惰性でも、打算でもない。心の底からの言葉で。 「愛しているよ」  直義は、最後の名前を言った。  暗転。
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