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人間の記憶なんて、たかが知れてる。5年や10年会わなかっただけで、意外とその人のことを忘れていたりするもんだ。知っている人を知らないと答えたり、知らない人を知っている人と間違えたり。
「う、嘘だろ……」
「嘘じゃないです」
「う、嘘だろ? 嘘に決まってる」
「いくら、10年も会っていなかったとはいえ、俺がお前のこと忘れるわけねーもん」
「……」
「なあ、お前伊藤だろ?」
「……違います」
僕は、伊藤ではなく、近藤だ。
困ったもんだ。道端で知らない人に声を掛けられたと思ったら、知らない人に間違えられた。彼は、久しぶりに友人に再会したと思い興奮しているみたいだが、残念ながら、人違いなんですよ。
興奮しているからか、さっきから人違いです、僕は伊藤ではありませんと説明しているのに、聞く耳を持たない。
「分かった、お前、俺のことからかっているんだろ? おいおい、俺のこと騙そうとしたって無駄だぞ。俺がお前のこと間違えるはずかない。お前は、絶対に伊藤だ」
「いや、だから、違いますよ」
しつこいな。このやりとりあと何回するつもりなんだろう? お前のこと忘れるわけないとか、お前のこと間違えるはずがないとか言ってるけど、思いっきり間違えているんだよな、この人。
てか、そろそろ気づいてもよくない?
こういう友人同士のノリってしたとしても、2ターンまででしょ? 伊藤だろ? 違います 伊藤だろの やりとりを、5ターンも続けている。さすがに人違いだって気付こうよ。
「お前、俺のこと忘れたか?」
「俺だよ俺、トランペットだよ!」
……知りません。
トランペット? え、何が?
「いや、ぽか~んとしてるけど、発端は、お前だからな」
「俺がさ、最初の自己紹介で趣味がトランペットですって嘘をついたことから、お前がトランペットってあだ名を俺に付けたんじゃねーか」
「 お前のせいでな、俺は3年間トランペット。教師以外からは、本名で呼ばれなかったんだからな」
知らない人の知らないエピソードを聞かされ、お前だからなと言われ、僕はなんと返せばいいんでしょう?
「あのですね、だから人違いです。僕は伊藤さんではありません。僕は近藤って言います」
「あなたのこと、トランペットって呼んだのは僕ではありませんよ」
「あれ? 違ったっけ?」
ようやく気づいてくれたか?
「トランペットって伊藤じゃなくって、西ちゃんが付けたあだ名だったっけ?」
西ちゃん…… え、誰?
「そうだ。西ちゃんだ。西ちゃんが俺のことトランペットって呼んだんだった。そうだ思い出した」
「あ、そーいや西ちゃんにもこないだ会ったんだけど、西ちゃんのやつ、髪の毛をなんか金色にしててな、ピアスも付けてた。あいつガタイいいから、もう見た目チンピラなのよ」
知らない人が知らない人の話を始める。
そもそも、その西ちゃんも本当にこの人が想像している西ちゃんなのだろうか。ここまで人違いだってことに気付かない人だ。西ちゃんは西ちゃんでない可能性も十分ある。
「あのーですから、僕、近藤って言います」
「伊藤じゃありません。こ、ん、ど、う、です」
知らない変な人にフルネームを教える気にはなれなかった。
「うわっ、お前まだその絡みやってんの? もういいって」
「学生時代お前よくやってたよな〜。『近藤です』ってお前がボケて、ら周りのやつが『お前は伊藤だろう』ってツッコむやつ。あの時は大爆笑だったけど、さすがに今はもう笑えないわ」
「ち、違いますよ。本当に、僕は近藤です」
「ていうか、顔、顔見てくださいよ、僕、本当に伊藤ですか?」
トランペットにじーっと顔を見られる。知らない人のことをトランペット呼ばわりすることはよくないかもしれないけれど、仕方がない。だって僕は、この人がトランペットと呼ばれていたことしか知らないのだから。
「あれ? 伊藤ってこんな顔してたっけ?」
やっと、気付いてくれたか?
「でも、歳を取るにつれて顔は変わるっていうし」
「伊藤だ。俺には分かる。絶対にお前は伊藤だ」
「分かりましたよ、分かりました。もう、僕は伊藤でいいです」
作戦変更。これ以上、伊藤だ伊藤じゃない論争をやっていてもきりがない。ここはきっぱりと認めて、この場を立ち去ろう。
「申し訳ない、今日は急いでいるんで、また今度ゆっくり。時間ができたら、またこっちから連絡するから」
「ああ、そっか。じゃあまた、連絡してくれよな」
「お前、俺のことトランペットって名前で登録してるんじゃないだろな? お前、今すぐ名前を広町忠太郎に変えとけよ。次会ったとき、名前変えてなかったら、ボコボコにしてやるからな」
ようやく、トランペットから開放された。長かった。知らない人から、知り合いのスタンスで話をサれることがこんなに苦痛だとは知らなかった。
全く、とんだ迷惑な男だ。広町忠太郎。
「……広町、忠太郎??」
「あーーーあいつ、忠太郎じゃん。大学のとき5回くらい、一緒に映画に行ったあの忠太郎か」
「あいつ、顔、変わったな〜」
人間の記憶なんて、たかが知れてる。5年や10年会わなかっただけで、意外とその人のことを忘れていたりするもんだ。知っている人を知らないと答えたり、知らない人を知っている人と間違えたり。
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