第9話 山の手の自宅

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第9話 山の手の自宅

 翌日、菖は欠席だった。先生が簡単に事情を説明したが、美月と衝突したことには触れなかった。勿論優季も言いふらすような真似はしなかったし、当の美月だってそうだ。空っぽの菖の机を中継点に美月と優季の間におぼろげなラインが横たわった。  菖はようやく翌週から登校した。優季にお礼を言ったものの、美月と話す時は何事もなかったような態度だ。体育すら普通にやっている。北三条さんって懐が深いな。優季は感心した。その週末の昼休み、その菖が優季の元へやって来た。 「多摩さん。この前思ったんだけど、多摩さんの背中はすっごく安心感あったよ。階段でも揺れないし、忍者の技でも習得してるの?」  優季は思わず笑ってしまった。 「まさか。中学まで武道をやってたから、体幹はあまり揺れなく出来てるかも」 「へぇ、凄いな。それでいきなりだけど、多摩さんって幼稚園の女の子のお友だちいない? タンポポが大好きな」  え? なんで知ってるの? 優季に緊張が走った。よく考えたら、相手はクラスカーストベスト3に入る菖である。 「そんなに怖がらないで。パパ活目撃じゃないんだから。風花ちゃん、私の親戚なんだ」 「し、親戚?」 「うん。可愛いでしょ。賢い子なんだよ」 「なんで知ってるの?」  菖は優季の前の席の椅子に座って、優季の方を振り向く。 「風花ちゃんのお父さんってさ、ウチのお母さんの弟なのよ。木島 俊って名前で、歳は離れてるんだけどね。それでウチにお見舞いに来てくれてね、その時に風花ちゃんがマンションのお姉ちゃんにタンポポもらったのーって話をしてね、その俊叔父さんがさ、私と同じ制服で同じリボンのJKだったよって言ったの」  なんてことだ。それで清鷗学院って判ったのか。 「俊叔父さんちの場所は知ってるからさ、その近くのマンションって言うとタワマンしかないじゃない。制服のリボンの色も同じだから同じ学年でーって考えたら多摩さんに行き当たったのよね。多摩さん、前に美月にさ、タワマンに住んでるの?とか聞かれてなかったっけ。あの子、随分皮肉っぽく言うんだなーって思ったから覚えてたのよ。この推理、当たってる?」  優季は浅く頷いた。 「やった。そっか。有難うね。風花ちゃんいろいろ大変だし、ちょっとだけ耳が聞こえないんだ。だから少しでも一緒にいてくれたら安心。従姉(いとこ)としてとても助かるの」 「耳が聞こえない?」 「左耳が難聴気味なんだって。小さい頃から工場の端っこで遊ばせていたから、機械がある方の耳に影響があったみたい。工場って凄い音だから」  優季は頷いた。確かに賑やかな工場だった。それで耳を髪からくるっと出していたのか。じゃあ風花ちゃんの右側から話し掛ければいいんだ。優季は風花の可愛い耳を思い出した。それほど悲しい話じゃない。 「それでさ、お礼っていう訳でもないんだけど、今日、帰りにウチに遊びに来ない? 反対方向で申し訳ないけど」  え? 反対方向ってどこら辺だろう。 「い、いいよ」 「よしっ。じゃ、放課後ね」  菖は軽い足取りで自席に戻る。北三条さん、頭もいいし感じもいい。直行直帰の殻を破るにはいいきっかけかも。 +++  放課後、優季は菖に連れられて校門を出た。 「北三条って長いし、言いにくいでしょ。他の子みたいに、菖って呼んでくれたらいいからね。私も優季って呼んじゃうし」 「うん、そうする。で、菖はどっちへ行くの?」 「えっと、品川まで歩くのよ。それで山手線乗って、新宿で乗換えて、中央線の二つ目」 「ど、どこ?」 「東中野」  東中野…。聞いた事のない駅名だ。 「そんなに遠くないよ。1時間はかからないもの。品川まで歩くのがね、夏とか暑そうだけど」 「ふうん」 「ここら辺って所々に風情のある建物もあるからさ、私、結構好きなんだ。古いアパートとか、狭い橋とか川べりの公園とか。東中野は海から遠いからさ、なんか新鮮に感じる。それに雨が酷くてもバスがあるから安心。乗ったことないけど」  23区女子も意外と普通なんだ。優季は少しほっとした。そして菖にくっついて行くこと30分。東中野駅からは大通りを経て細い住宅地内の道を辿る。意外と家ばかり。しかしその中には如何にもと言ったお屋敷も混じっている。車1台がようやくの道を入って菖が指さした家は、やや古びた、しかし瀟洒た木造家屋だった。 「ここよ。私のお爺ちゃんが設計した家なの。古くてあちこちボロだけど、私はこういう感じ大好き。さ、入って入って!」  木製の門扉を抜けて、片流れの大屋根の下、洒落た木の玄関扉を開けて見えたエントランスは、木の香りが今も漂う広い吹き抜けだった。高い天井から鈍い金色のプロペラがぶら下がっている。 「普段は玄関からは入らないんだけどね」  菖はさっさとスリッパを差し出す。おずおずと靴を脱いだ優季はスリッパに足を入れ、菖の後を歩く。玄関ホールの脇を通って入ったのは、正面に大きなガラス窓を(しつら)えた、これまた木の香りが漂う広いリビングだった。優季は室内なのに思わず深呼吸をした。
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