第10話 エレガンス

1/1
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/67ページ

第10話 エレガンス

 菖は生成り素材のソファを指し示して優季を座らせた。 「ちょっと待っててね。何か飲むものとおやつを持って来るから」 「あ、有難う。何にも持って来なくてごめん」 「なんで優季が謝るのよ。いきなり誘ったのは私の方だから、私こそが用意しておかなくちゃだったのにさ。どうせ大したものはないから気を遣わないで」  さっと出てゆく菖を見送って、改めて優季は部屋を見回した。木の香りにお日様の匂い。そしてどことなく草の匂いも。要するにとても自然な空間なのだ。木は生きているって聞くけど、本当にそれが実感できる部屋だった。タワマンとは全然違う。確かにあちこち古くなっていて、壁紙も天上の板も色が変わっているし、ガラス戸なんて木の枠で、まさに昭和っぽい。多分、柱も天井も、壁も床も息をしているんだ。だから人は心地よい。今は午後の光だけど、朝の柔らかい光や、月明かりだってこの部屋の呼吸に一役買っているのだろう。  そうか。だから…、だから菖はあんなに自然で伸び伸びしている。この光や匂いの中で育って来たんだ。あたしが想像していた23区の都会っ子とは全然違う…。 「お待たせ~」  菖がトレイを持って来た。自然な動きでちゃっちゃと配膳する。 「紅茶にしちゃった。それにね、このクッキーはね、駅の近くのミドリ屋さんっていうケーキ屋さんのクッキーなのよ。店頭には並んでなくてさ、こっそり焼いてもらってるの。だから本当にホームメイドみたいで美味しいの。売るための装飾とか味を一切省いてるからさ、身体にも悪くない。食べてみて」 「へーぇ」  菖が座るのを待って、優季はクッキーに手を伸ばした。形も単純な丸である。口に入れた途端に、クッキーがふわっと溶けた。 「ん? なにこれ。凄い。美味し。ふんわりだ。クッキーなのに」 「でしょ? これは飲み物が無くても食べれちゃうんだよねー。私も作ってみよう!って挑戦したけど全然駄目。やっぱプロの技があるみたいで」  話しながら菖も頬張る。だけど食べ方はスマート。テーカップも淡い色遣いで、しかも可愛い絵柄。とても上品だ。優季がカップを持ち上げてその絵柄を眺めると菖が口を手で覆いながら言った。 「カップさ、可愛いでしょ。これでも九谷焼なんだよ。この作家さんのはみんな可愛いの。金沢の小さなお店で見つけたんだけど、東京では売ってないんだ。外には出していないんだって。絵柄が鳥さんとかお花とか自然の風景でさ、ちょっと和風なの。でも他の九谷みたいな色遣いじゃなくて、水彩画みたいに優しいのよ。だから前に一客割っちゃった時は、まじで泣いちゃったよ。お店に電話してみたんだけど同じのは二度と出来ないですって言われて。まあだからいいんだけどね」  その話にも優季は吸い込まれた。これが本物のお嬢様なんだ。セレブ…、いやそんなお金のイメージじゃない。お金に換算できない心のゆとり。本物のエレガンス。優季は23区女子の勝手な定義が色褪せるのを感じた。  紅茶を一口飲んだ菖は、背筋を伸ばした。 「それで風花ちゃん、タンポポ、めっちゃ喜んでたよ。有難う本当に。可愛いんだ風花ちゃん。近所に同じくらいの子はいないし、外に出ると車の音が聞こえないと危ないから、俊叔父さんも助かるって言ってた。時々見てあげてくれたら嬉しい」 「うん。あたしも風花ちゃんと喋るとホッとするの。タワーマンションって、あたしも慣れないから癒される。本間さんはお気に召さないみたいだけど」  優季は半ばボヤいた。
/67ページ

最初のコメントを投稿しよう!