第1話 タワマン

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第1話 タワマン

 窓がない…   風花は驚いた。高いところでも窓がなくっちゃ、お(そと)が見えない。  有紗ちゃんは良く見えるって言ったのに。 「ウチならタワマンだから、遠くも下もよく見えるよ。タンポポだってすぐに見つけられる」  有紗はそう言ったのだ。風花だってタワマンは知ってる。あのめっちゃ高い、ラプンツェルの塔みたいなお(うち)のことだ。あおかぜ幼稚園に通う、木島 風花(きじま ふうか)はその言葉に納得した。いつもは意地悪な有紗ちゃんだけど、今日は優しかった。  風花は早速タワマンのある場所へ行ってみた。近くで見上げると圧倒的に高い。これならきっとタンポポだってすぐに見えちゃう。でも、どこがお玄関なのだろう…。マンションの前をうろうろしていると、住民らしい老人夫婦がやって来た。風花はその後を追い、ちゃっかりエレベータにも乗れたのだ。老人夫婦は風花をチラ見したものの、特に何も言わずにエレベータを降り、風花も一歩遅れて降りた。そして周囲を見渡して驚いたのだ。さっきのお爺ちゃんとお婆ちゃんに『窓はどこですか』と聞けばよかった。二人はさっさと廊下の角を曲がって見えなくなってしまい、あたりは妙に静まり返っている。 「どうしよう…」  風花は急に心細くなった。知らない場所で、周りには誰もいない。今日こそはタンポポが見つかると思ったのに…。  取り敢えずエレベーターに乗ろう。乗り方なら知ってるし、『1』を押せば戻れるんだ。風花はエレベーターボタンに手を伸ばした。 +++  ヘッドライト、ヘッドライト、テールライト、テールライト…。   あの歌の通りだ。  2週間前に中学校を卒業したばかりの多摩 優季(たま ゆうき)は呟いた。タワマンから見える夕方の高速道路には、車が数珠つなぎ。あの1台1台に喜びや哀しみ、成功や失敗、恋も喧嘩も乗っかっているんだろうな。知りたいような知りたくないようなたくさんのドラマたち。その向こうには貨物用の港湾クレーンが並ぶ。  ここは高層45階、まさにステータスである4LDKの角部屋。誰でも手が届くステータスではない。両親が頑張ったのは良く判る。家族でワクワクしながら選んだ初めての自分たちの家。こんな所に住んでいいのかなってちょっと思っちゃう。  マンションの周囲は新たに開発された一角。小綺麗な公園もコンビニも、カフェや小ぶりショッピングモールまで揃っている。公園の木はまだ若木で、臨海地域の潮風にも健気に耐えているし、誰が座るの?って言う位、たくさんのベンチが並んでいる。先週まで住んでいた埼玉の賃貸マンションとは隔世の感がある。  引越しを見越して決めた湾岸地域の私立女子高は、鉄道網の延伸や乗り入れによって23区は元より千葉や埼玉、茨城から通っている生徒もいるそうだ。それを聞いて優季はホッとしていた。東京の真ん中で生まれ育った女子と話が合うのか聊か不安だったのだ。何しろ彼女たちは息をするように流行(さいせんたん)を呑み込み、纏い、嫌味なく可愛い。それに引き換え、野暮ったさの代名詞と言われる地域で育った優季は気後れした。何しろ通学路の脇には田んぼや立派なネギ畑が並んでいたのだから。その点、千葉や茨城から来る女の子たちは、あたしと大して変わらない筈。百均のネイルだって目立たないだろう。  入学しても、当面は学校とマンションの往復が続く。両親は職場が近くなって却って帰宅が遅くなった。部活は不安感から入らないつもりだ。その代わり、落ち着いたら道場を探さなきゃ。だから毎日が長い夜になる。ちょっとコンビニへ…と思ってもマンションの出入りにまで気を遣う。  そう、まるでホテルのようなロビーに静かに控えるコンシェルジュサービス。まだ未成年の優季にすら『お帰りなさいませ』と微笑んでくれるのだ。コンビニに行くのだって『行ってらっしゃいませ』。どう返していいのか迷ってしまう。『はい、行ってきます』なんて言おうものなら3時間は帰って来れないよ。早いとこ、ネコちゃんロボットコンシェルジュとかになってくれたら気を遣わないのに。 「あー、でもやっぱ何か買って来よう。小腹が空いたけど、ご飯には早いし」  優季は呟くと、バタバタと部屋を出てエレベータまで歩いた。シーンとした屋内廊下やエレベータホールで人に会うことは滅多にないのだが、その日はそこに小さな女の子がいて、エレベータボタンに手を伸ばそうと背伸びしていた。ショートボブに耳をくるっと出した愛くるしい子だった。 「一人なの?」  優季は声を掛けた。親が先に行ってしまったのかも知れない。女の子は気づかず、左足だけでつま先立ちして右手の指を懸命に延ばしていた。優季は後ろから女の子の頭越しでボタンを押した。 「!」  女の子が振り返る。 「一人で降りるの?」 「ううん。高い所からタンポポ探そうと思って来たら、外が見えないの」  なにそのかわいい言い訳。でも問いの答えにはなっていない。 「タンポポ探してるの?」  女の子は不思議そうな顔をして答えた。 「タンポポ大好きだけど、工場にはないの。ここは高い所だから遠くが見えるって有紗ちゃんが言ってたから」 「うーん。ここに住んでるのよね?」  女の子はまた不思議そうな顔をする。どうやら質問が届いていないようだ。優季は大きめの声で質問を繰り返した。 「ううん。知らない人について来た。迷子にならないように」  何となく状況が掴めた。有紗ちゃんとやらの言うことを真に受けて、高い所から大好きなタンポポを探そうと外部から入って来た。多分そんな感じ。優季は女の子の耳の近くにしゃがみ込んだ。 「ここからじゃ高過ぎでタンポポは見えないと思うよ」 「そう…」  女の子は残念そうな表情を見せる。 「とにかく下に降りようね。お姉ちゃんが一緒に降りてあげるから」 「うん。ありがと」  1階の玄関を出た途端、少し翳っていた女の子の顔色がぱぁーっと明るくなった。 「公園で探してみる!」  優季に向かって叫んだ彼女は、飛び立つ小鳥のように、あっという間に見えなくなった。f8423bea-6c62-420f-a3f7-2ad3e951cb4e
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