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不幸中の幸いか、記憶が退行しただけで済んでまだ良かった。記憶喪失の経験はないし漫画でしか知らないけれど、『頭に強い衝撃を与える』だとかそう簡単に戻るものではないのだろう。それでも何かきっかけがあるのならと私を頼ろうとしている。
「正直な話、僕は記憶が戻らなくていいと思っている。それじゃ大変かもしれないけど仕事さえ覚えればいいだろうし、仕事先の人も親戚みたいなもので甘いからなんとかなるよ」
「仕事だけ、ってそんなわけにはいかないでしょ。友達とか恋人とか」
「僕が高校生までの記憶しかないからかな。その後の人間関係を気にする事ができないのかもしれない」
それもそうか。ない記憶に執着なんてできるはずがない。勿論私としてはさっさと記憶を取り戻して欲しい。私に振り回された記憶までしかないだなんてあんまりだ。
しかしもう少し手伝いたくとも、こちらにもこちらの都合がある。
「静、そろそろ編集さん来る頃なんだけど、ちょっと話は中断してもらえる?」
「あ、じゃあそこに僕も同席したい」
「いや、仕事の話だよ。同席さすわけないじゃん」
「僕がいないと望が編集さんを怒るかもしれないから」
それは静らしい配慮だった。本当に困っている元カレだからよかったものの、世の中には悪意を持つ人間はいくらでもいる。そんな中簡単に住所を教えられたんだから、私はそれをした編集社を怒るだろう。静がいればそう怒らない。いや、怒りは静に向く。こちらとしてもただの社員である編集者を怒るとかはできればしたくない。
「同席は許す。ただ事情を話すまでで、仕事の内容になったら席を外して」
「わかった」
こうして漫画家と編集と漫画家の元カレというありえない三者での打ち合わせが始まるのだった。
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