そばにいるための一つの嘘

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 仰木(おうぎ) 湊斗(みなと)五十嵐(いがらし) (りつ)に、ひとつだけ嘘をついた。ひとえに、大切で憎らしい幼なじみのそばにいたかったからだ。    湊斗と律は、同じ日に、同じ病院で生まれた。片や投資家一族で、片やサラリーマン一家。生まれた家に差はあれど、育った場所は、線路を跨いで徒歩五分のご近所さんだ。  生まれたときからそばにいたふたりは、同じ小学校に通い、同じ中学校で育ち、同じ街で同じ電車に乗って生きてきた。当然ながら、第二性の検査結果を見た日だって同じだった。    中学二年生の冬、校庭の桜の木が狂い咲きをした日のことだ。雪と桜が同時に見える奇妙な景色の中、教室中がそわそわと浮き足立っていた。  一枚一枚、手渡しで検査結果を配りながら、「自分だけで見るように」と担任教師が厳めしく告げる。しかし、教師の注意など、この年ごろの子どもたちにとっては春風に等しい。座って振り向くくらいならまだかわいい方で、生徒の大半は、中腰になって検査結果を覗き合い、ささやき声を交わしていた。 「五十嵐、やっぱりアルファか」 「当然だろ。あいつんち、親が両方アルファなんだから」  聞こえてきた言葉に、どくりと心臓が鳴った。冷たく強張った手で、湊斗は誰にも見られないように通知用紙を握り込む。気分の悪さに俯きかけたその時、湊斗の机に、にゅっと影が差した。 「湊斗。どうだった?」  艶のある短い黒髪と、溌剌とした瞳が印象的な少年――幼なじみの律が、湊斗の手元を覗き込んでいた。反射的に湊斗は検査結果を丸めて、ポケットの中にねじり込む。 「あっ、隠すことないじゃんか。見せろよ、結果」 「嫌だね。個人情報だって先生も言ってたろ。言うこと聞けよ、優等生」 「だって気になるだろ。俺たち、いつも同じだから」  無邪気な言葉は、いつもだったら嬉しく感じるのに、今に限っては痛かった。   「……同じ?」 「テストは同点。内申も同点。百メートル走だって三十一勝三十敗」 「何勝手に盛ってんだ。三十勝三十敗一引き分けだろうが。この間は犬が乱入してきたんだから、無効だって言ったろ」 「そうだったっけ? まあとにかくだ! 今回もきっと一緒だと思うけど、一応聞いておこうと思ってさ。俺、アルファだった」  当たり前のように律は言う。得意げでもなく、恥じることもなく、そうあるべくしてあった事実を口にする。だから湊斗も、当たり前のように答えるしかなかった。   「だろうな。むしろそれ以外なんだっつーんだよ」 「オメガかもしれないだろ。アルファどうしの親からは三割の確率でオメガが生まれるって、生物の教科書にも書いてある」 「なんでもかんでもできる天才がアルファじゃなかったら、世の中間違ってる」 「偏見だぞ、それ。運動能力はともかく、学力に性差はないんだから」 「理論上はな。でも、オーラっつうか、才能っつうか、そういう違いは絶対ある気がする。お前だって、自分はアルファだと思うって散々言ってただろうが」  格好つけて低めた自分の声が、不自然にくぐもって聞こえた。脳の一部がひどく冷えていて、律と話す自分の姿を上空から見下ろしている気分になる。そんな湊斗の内心など知りもせず、律はわざとらしく片眉を上げてみせた。 「一応聞いただけって言っただろ。湊斗もアルファだよな? 湊斗の兄ちゃんもアルファだったし」    肯定されることを疑いもしない無垢な笑顔。律の顔を見るだけで、心臓が握りつぶされそうだった。凡人は所詮凡人で、選ばれた人間とは並び立てないのだと、突きつけられた気分だった。 言いたくない。けれどずっと黙っているわけにもいかない。のろのろと口を開こうとして、声に出す直前で魔が差した。 ――俺が嘘をついたとして、誰が分かるっていうんだ?  両親とは不仲。兄とは疎遠。教師がまさか個人情報を漏らしはしまい。ならばこの嘘は、湊斗のふるまいひとつで真実に変わる。  唇をぎこちなく開いて閉じて、まばたきの合間に湊斗は覚悟を決めた。意識して口角を上げる。   「――ああ。俺もアルファだったよ」 「そっか、そうだよな。そんな気がしてた」  律は穏やかな笑みを浮かべてそう言った。これまで通り湊斗が律と『同じ』であったことにほっとしているようにも見えたし、ほんのわずかに、その事実を悲しんでいるようにも見えた。
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