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律の熱がようやく収まりを見せてきたころには、辺りはすでに静まり返っていた。とっぷり日が暮れて久しい夜の校舎に、人気はない。真っ暗な部活棟の片隅に、ふたり分の足音と、ひそめられた声が響く。
「……この性欲魔人! お前俺のケツが壊れたら一生恨んでやる」
「ラット起こしてたんだって。許してくれよ。軟膏だって塗っただろ?」
「強姦魔」
「人聞きの悪い。湊斗だって俺に突っ込んだくせに」
「何回やったか知らないけど一回と十回は対等か? ええ? どの口が言ってるんだ?」
足音が止まり、代わりに「あいたたた」と細い悲鳴が上がる。ひとしきり頬をつねりあげたところで律の頬を開放すると、律は上目遣いに湊斗の様子を伺ってきた。
「ほんと悪かったって。ちょっと触ってみたら、湊斗も後ろ、準備してくれてあったから嬉しくて。調子に乗った」
「嬉しいだって?」
自身もまったく同じ理由で律に対して興奮した覚えがあるだけに、何も言えなかった。それ以上の文句を吞み込んで、代わりに湊斗は律をじとりと睨みつける。
「律。お前、本当に発情期だったんだろうな」
「残念ながら、さすがに素面じゃここまで盛れない」
「オメガのフェロモンに当てられたときだって、三、四回抜いたら収まってただろう?」
「抜き合いと抱き合うのじゃ、違うだろ? 湊斗と最後までやるのは初めてだったし、気分も乗るって」
朗らかに律が言う。声音や表情こそいつもと変わらないが、律のふるまいには、どこか浮ついた雰囲気が見え隠れしていた。言いようのない違和感に、湊斗は無意識に足を早めようとする。しかし、酷使された体は、急な動きについてこられなかった。
がくりと膝が抜ける。舌打ちして受け身を取ろうとしたが、予期した衝撃は襲ってこなかった。
当たり前のように腰にまわされた律の腕が、湊斗の体を支えていた。
「大丈夫か、湊斗?」
違和感が強くなる。
「……やめろ、それ」
「それ?」
湊斗は弱弱しく律の手を振り払う。意味が分からないとばかりに、律はきょとんと湊斗を見つめていた。震える手を握り込み、湊斗は律をきつく睨みつける。
「一度寝ただけで女扱いか? それともお前、まさか俺が好きだとでもいうつもりじゃないだろうな」
ゆっくりと律はまばたきをする。先ほどまで浮かんでいた笑顔が消えて、律本来の冷めた顔つきが残った。何を考えているのか分からない律のこの顔が、湊斗は苦手だ。
「答えろ。いくらなんでも、突っ込まれるまで俺が起きないなんてあり得ない。おかしな薬を盛ってまで、こんなこと、やる理由があるか?」
固い声音で問い詰めれば、律はいつものようにきれいな笑顔を浮かべて、肩をすくめて返した。
「ずるいことしたのは謝るよ。ほら、湊斗は痛いの、怖がるだろ? 最初だけ、スムーズにしたかっただけ。それに、お前だけ俺に突っ込むのはフェアじゃないだろ?」
「それは……」
足音が響く。湊斗が開けたはずの距離を、容赦なく律は詰めてくる。
「それとも湊斗は、良くなかった? 俺、お前に突っ込まれるのも、突っ込むのも気持ちよかったけどなあ」
「いい悪いの話じゃない」
「そういう話だよ。湊斗は変なところで潔癖だな。今までと何にも変わらない。言ってみれば、少し突っ込むものが変わっただけなんだから。そうだろ?」
湊斗は目を泳がせた。律があまりにもいつも通りに言うものだから、違和感を抱えている自分がおかしいのかと思えてくる。
「男も抱いてみたかったし、アナルも興味あったし。何より楽しいことは湊斗とふたりで一緒にするに限るだろ? まあ、ラットでムラムラしてたっていうのもあるけどな!」
「お前な……」
からりと笑う律を見ているうちに、へなへなと力が抜けてきた。その場にしゃがみ込む湊斗を見下ろしながら、律はわずかに目を伏せる。
「……別に湊斗が大好きで、ずっと叶わぬ思いを抱えてました、なんてオチはないから安心しろよ」
暗がりだったから、律がどんな顔でその言葉を口にしていたのか、湊斗には分からなかった。「当たり前だ」とほっと息をついた湊斗は、差し出された律の手をしっかりと握って立ち上がる。
「資料室、汚れが残ってないか明日の朝一で確認しろよ。俺はやらないからな、律」
「分かってるって。しかし、学校でやるのってスリリングでいいな。思ってたより悪くなかったし、またやるか、湊斗?」
「馬鹿言え。やるにしたって次は家だ」
「真面目だよなあ」
くつくつと喉を鳴らして律は笑う。部室棟を出たふたりは、そのまま警備員に見つからないように校門を抜けた。懐中電灯の光が、ぼんやりと校舎の窓を浮かび上がらせる。遠ざかる警備員の足音を聞きながら、ふたりは共犯者じみた笑みを交わした。
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