そばにいるための一つの嘘

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 部活なんて面倒だと思ったけれど、やってみれば悪くはなかった。もちろん、後悔するのも早かった。 「あ、パズルの先輩だ」 「真面目じゃない方のパズルの人」 「雰囲気イケメンの方」 「なんだ、今日は優しいパズルの子はいないのか」 「おーい、五十嵐! ……あ、いや、茶髪は五十嵐じゃなくて、仰木か。すまん、すまん。いつもふたりセットでいるから、ついな」   「……どいつもこいつも……!」  散々な呼ばれ方に、湊斗は頬を引きつらせながら廊下を歩く。律に押し切られるまま始めた部活動は、毎日パズルを作ってビラを配るだけの簡単なものだ。ビラの下部にあるQRコードから回答すると、特別なパズルがもらえる仕組みになっている。狙った正答率に近い難易度のパズルを作れた方が、その日の勝者というルールだった。  子どもじみた勝負ごとは、一年、二年と活動を続けるうちに、いつしか学校中を巻き込む名物になっていた。一年目はふたりきりだったクイズ研究会も、最高学年に上がった今、総勢二十人の大所帯だ。 「誰か俺と一緒にルービックキューブの大会出ないかー?」  にぎやかな部室の中心で、楽しそうに律が騒ぐ。ノリのいい後輩たちが我も我もと続く中、湊斗は部室の隅で単語帳を眺めていた。眠気覚ましにぶどう味のフリスクを噛み砕き、ページをめくる。  外では雨が降り始めたのか、心地よい雨音が聞こえていた。ふと、雨のにおいに混じって、ふわりと甘い金木犀の香りが漂ってくる。顔を上げれば、栗色のカーディガンをまとった小柄な後輩――小笠原(おがさわら) 志帆(しほ)が、じっと湊斗を覗き込んでいた。カーディガンと同色の明るい色の髪をくるりと指に巻きつけて、彼女は見ろ、というように律に視線を送る。   「また五十嵐部長がなんか言い出しましたよ。湊斗先輩、構ってあげてくださいよ」 「キューブなら、俺じゃなくても腕自慢がたくさんいるだろ」 「どうせ最後は湊斗先輩と部長の一騎打ちじゃないですか」 「専門外だ。小笠原こそ、出ないのか、スピードキューブ」 「私はクロスワード一筋なので」 「ああ、そう」  ひとつ下の後輩は、短い会話が途切れた後もなお湊斗を見つめ続けていた。さすがに視線が気になって、しぶしぶ湊斗は単語帳を閉じる。 「……どうした」 「真面目ですよね、仰木先輩って。空き時間、いつも勉強してる」 「悪いか?」 「いいえ。見た目と違って努力家なの、ギャップがあっていいと思いますよ。あの五十嵐部長といつも一位争いしてるの、すごいなって思いますもん。私だったらとっくに心が折れてます。何やったって人並み以上じゃないですか、あの超人」  どうせ敵わないんだからよせばいいのに。  何度も言われた覚えのある言葉が聞こえた気がして、湊斗はぎゅっと眉根を寄せた。   「昔からの付き合いだから、もう慣れてる」    小笠原は何も言わなかった。代わりにほんの少し首を傾げて、湊斗の顔に向かって手を伸ばしてくる。真っ赤に塗られた爪先で、小笠原はついと湊斗の頭を指差した。 「気になってたんです。おしゃれっていうには、こだわりがないですよね。いつも同じ色ですもん。髪を染めてるのは、間違われるのが嫌だからですか?」  小笠原の目は、遠くで騒ぐ律を見つめていた。誰と、と言葉にされずとも分かる問いかけを前に、湊斗は小さく自嘲する。 「俺が何をやったって、二人セットの『じゃない方』だよ。別にそれが理由じゃない」 「なら、親への反抗とかですか」 「なんでそう思う?」 「私がそうなんで」  不意に小笠原が振り向いて、ぱちりと視線が合った。愛想のひとつもない声で、淡々と小笠原は続ける。   「ゲームはするな、漫画はダメ。男友だちなんて許さない。女子が集まる大学に行け。なんか疲れちゃって。髪染めて、爪塗って、お化粧して……好き勝手したら、ちょっと気が晴れました」  意味不明な部活にも入っちゃいましたし。  茶目っ気を滲ませた言葉に、そういえばこの後輩も、いつも隅でクロスワードを解いているなと思い当たる。派手な外見の割には内向的で、隅にいる割には賑やかな中央をいつも気にしている。  自分たちは、似たものどうしなのかもしれない。  気がゆるむまま話しかけようとしたそのとき、「湊斗」と甘やかな声が響いた。声を張っているわけでもないのに、よく通る声。体がぴくりと竦み、意識がすっと引き寄せられる。部室中の生徒が思わず振り向く様子を、肌で感じた。 「湊斗もおいでよ。スピードキューブで勝負、まだしたことないだろ?」 「……三×三×三はやった」  一番基本的なルービックキューブを思い出しながら言えば、「違うよ」と挑むように律は指を振る。   「五×五×五でやろう!」  複雑さを増したルービックキューブを手のひらに乗せて、律は朗らかに笑った。  ――また始まった。  頬を引きつらせて、湊斗はため息をつく。    「そんなもの誰ができるんだよ」 「慣れたら簡単だって。みんなやったことないっていうからさ。湊斗は器用だから、きっとすぐできるだろ? ひとりでやったって燃えないじゃないか」  黒く穏やかな瞳が、湊斗をまっすぐに見つめていた。  律はずるい。どういう言葉を選べば湊斗が断らないか、分かってやっているのではないかとすら思う。  舌打ちをひとつ残して、湊斗は立ち上がる。膝から滑り落ちた単語帳は、小さな手に受け止められた。 「どうぞ」 「ありがとう。悪いな、話の途中で」 「いえ。……あの」 「ん?」    口ごもる後輩を促してやれば、小笠原は困ったように耳を指さした。 「ピアス、開けたらいいのにって、言いたかったんです。きっと似合うから」 「雰囲気イケメンになれるって?」 「湊斗先輩はイケメンですよ。雰囲気じゃなくて、努力家な、その……心意気が」 「え」  真正面から褒められたことなんて、いつぶりだろうか。律とセットで褒められることはあれど、湊斗ひとりに目を向ける人はほとんどいない。  驚きに目を見開くと、小笠原は自分が何を言ったか気づいたように、ぱっと頬を赤くした。声を掛ける間もなく、気まずげに口を押さえて、彼女は早足に離れていく。    そんな部室の片隅での小さなやり取りを、五十嵐律は感情のこもらない目でじっと見つめていた。
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