そばにいるための一つの嘘

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 ばちり。  耳元でホチキスのような音が響いたと思ったときには、ずきずきと鈍い痛みが湊斗の耳たぶを襲っていた。 「……痛い」 「そう? 思ってたより痛くなかったけどな」 「お前、鈍いんだよ。昔から注射とか血液検査とか平気だったろ」 「普通だって。湊斗が痛いの苦手なだけだろ。転んだら泣くくらいだし」 「いつの話だ」  互いの耳には、目立たぬ小振りなピアスがひと組埋まっていた。穴が安定するまでは付け替えられないと店で聞き、がっかりしながら「これは?」「いいんじゃね何でも」の二つ返事で選んだものだ。ひと月もすれば安定するらしいし、そうなったらまた律を誘って、好みのものを見繕いに行けばいいだろう。ぼんやりとそう考えながら、湊斗は律の机にあったフリスクを、我が物顔で噛み砕く。  ミントの味。律はフレーバーのついたものを好まないのだと思い出す。普段であれば湊斗用の菓子も置いてあるというのに、珍しい。顔をしかめながらタブレットを飲み込んだ瞬間、ふと湊斗は律の異変に気がついた。  顔が赤い。  そろそろテストかあ、などと言って勝手に人のノートを見ている幼なじみは、普段通りを装ってはいるけれど、目が潤んでいるし、どこか落ち着きがないように思えた。 「律、風邪引いてんのか」 「え? 引いてないけど。なんで?」 「顔赤くね?」 「湊斗くんとふたりきりだから、ドキドキしちゃってぇ」 「馬鹿言ってんな」  わざとらしくしなを作る律の頭を叩いて、湊斗はそのまま律の額に手を当てる。 ――熱い。   「熱あるじゃねえか。体調悪いなら言えよな」 「いや、悪くないんだって。本当に。熱いのは、まあ、そうなんだけど……」    うろうろと決まり悪そうに視線を動かした律は、珍しく言い淀む。黙って見つめていると、観念したように律はため息をついた。その吐息が、妙に色っぽいものだから仰天する。この男相手に色気を感じたのは、記憶にある限り初めてだった。 「……匂い、しただろ。アクセ屋で」 「匂い?」 「オメガのフェロモンだよ。ひとり、具合悪そうな店員がいただろ。多分、発情期に入りかけてたと思う」  その言葉に息を呑む。オメガのフェロモンなんて感じなかった。感じられるはずがない。だってそれは、アルファとオメガだけが交わせる特別な香りなのだから。  答えに詰まった湊斗を見て何を勘違いしたのか、慌てたように律は言葉を重ねる。 「いや、俺、ラットの抑制剤はちゃんと飲んでるから! でも、なんていうか、合わないっていうか、効きが弱いみたいで。湊斗はそういうの、ないんだな」 「……俺、昔から薬が効きやすい体質だから。知ってるだろ」 「これに限っては羨ましいよ。オメガの人たちもさ、予定通りに発情期に入れることばっかりじゃないんだろうな。だから仕方ないって分かってるんだけど、匂い嗅いじゃうと、こうなるから困る。……盛った猿みたいで、嫌なんだけどな」  赤らんだ顔の律から、なんとなく目が離せなくなった。形の良い唇が忙しなく動く。こめかみに浮かんだ汗が、首筋を伝い落ちていく。いつしか湊斗は、口内に湧き上がった唾液をごくりと飲み下していた。 「……どんな感じなんだ?」 「え? そりゃ、湊斗だって分かるだろ」  きまり悪さと恥じらいの混じった律の表情に、どくどくと脈が早まっていくのを感じる。気づけば湊斗は、考える間もなく口を開いていた。   「抜けばいいだけの話じゃねえの」 「湊斗?」  手を伸ばしたらすぐに触れられる距離だった。あぐらをかいていた体勢を、少しだけ変えて、律と真正面から目を合わせる。   「俺も、少し当てられたから。お前と、『同じ』だ。律」  ぱちぱちとまばたきをした律は、次いで目と唇の両方に、きれいな弧を描いて笑った。  どちらともなく手を伸ばす。手にしていたものをいくつも落としたのは分かったけれど、拾う時間も惜しかった。熱を持て余した指と指とが絡み合う。くぐもった声を封じ込めるように、ふたりはもつれ合いながらベッドの上へと倒れ込んだ。
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