そばにいるための一つの嘘

8/20
前へ
/20ページ
次へ
 転げ落ちるようにふたりの遊びは度を越していく。  インターネットを駆使して洗浄の仕方を勉強し、ああでもない、こうでもないと互いの体を探り合った。どういう伝手を使ったのか、潤滑剤もコンドームも、必要なものはすべて律が持っていたから、実行するのは簡単だった。モノこそ入らないものの、指の一、二本なら耐えられる。異物感に耐えかね蹴とばし合うこともあれば、快楽の萌芽を夢中で追った日もあった。    大会に向け、忙しない空気に満ちた部室では、キューブを回す独特な音が規則的に響く。いつも通り皆の中心で楽しそうに騒ぐ律を視界に入れつつ、湊斗は赤本をぱらぱらとめくっていた。  隣では、後輩の小笠原がクロスワードパズルを猛烈な勢いで埋めている。ひとつのパズルを解き終わった彼女は、手元のパズル集から目を離さぬまま、気だるげに口を開いた。 「眠そうですね」 「夢見が悪いんだ、最近」    あくびを噛み殺して、フリスクを噛み砕く。 「ご愁傷様です。ちなみに、どんな夢を見るんですか?」 「どんな夢って……」  淫夢だ。律に抱かれて喘ぐ自分と、乞うように湊斗に縋る律を、何度も繰り返し夢に見る。言うに言えず、湊斗は言葉を濁らせた。  全身をまさぐられるところまでは、ここのところ律と頻繁に繰り返している遊びのせいだろうと納得できる。だが、なぜ後ろの穴に突っ込まれながら、善がる自分を想像しなければいけないのか。しかも、律の部屋に泊まった日に限って。  朝になって律の寝顔を見るたび、湊斗は自分の脳を叩き割りたい気分になった。 『湊斗。湊斗……、そばにいてくれ。おれをみて。お前のことが、好きなんだ』  湊斗を抱く腕の強さと、脳から犯されるような甘い声をうっかり思い出しかけ、慌てて湊斗は首を振った。夢とは思えないほど鮮明な快感を思い出すと、勃ちそうになる。  挙動不審な湊斗を眺めて、小笠原は合点がいったとばかりに目を細めた。 「さては、五十嵐部長の夢ですね?」 「……なんでもいいだろ」  図星をつかれて答えに詰まる。ふうん、とトーンを下げて、小笠原は貼り付けたような笑顔を浮かべた。   「あれだけ一緒にいれば、夢にも見るでしょうね。湊斗先輩と五十嵐部長、最近、前よりもっとニコイチ度が上がってますし」 「なんだよその謎単位」 「今作りました。近すぎてなんかあやしいというか、匂うというか、そういう尺度です。ちなみにその赤本、五十嵐って書いてありますけど、お気づきですか」 「共用にした。同じ大学に行くからな」  どうせ律は湊斗と違って参考書など一度しか使わない。ならば一冊を共有した方が経済的だ。   「ピアス、同時に開けましたよね?」 「他人にやってもらう方が確実だろ。あいつ、器用だし」  答えながら部室の中央に目を向ける。目が合うと、律は湊斗に手を振り、何かを示すように手のひらを差し出した。今の今まで食べていたフリスクの容器を投げてやれば、満足したように律は会話に戻っていく。 「……今、何も言ってなかったですよね? 何のテレパシーを受け取ったんです?」 「返しただけだ。律のカバンから取ってきたやつだって忘れてた」  答えるたびに小笠原の声が低く冷たくなっていく。 「この間、物件のページ見てましたよね? 一人暮らし用にしては広くありませんでした?」 「大学が同じなんだから、ルームシェアした方が効率的だろ」 「まだ受験もしてませんけど」 「どうせ受かる。俺はそうなるように勉強してるし、律は勉強しなくたって合格する」  ぱたりと本を閉じる音が、いやに大きく響いた。胡乱げな目をした小笠原が、呆れたように湊斗を見つめていた。 「湊斗先輩、部長と付き合ってるんですか?」 「なんでだよ」 「自分の胸に手を当てて考えてみてください。湊斗先輩、宇宙工学に興味があるって言ってませんでした? なら、その大学より向いているところ、別にあるのに」  絞り出すように小笠原は言う。上擦りかけた声を無理やり押さえつけたような声。感情の高ぶりを隠そうとすると、そういう響きになる。湊斗自身にも覚えのある声の出し方だった。 「気になる研究室があるんだよ」 「嘘。五十嵐部長がいるからじゃないんですか」  鋭い問いかけに、湊斗は肩をすくめる。   「そうだとしたら? そういう決め方は、ダメだと思うか?」 「いいえ。でも、もったいないな、とは思います。湊斗先輩は、五十嵐部長にこだわりすぎているような気がするんです。努力家で、真面目で、いつだって周りを気にしてくれて……先輩は、こんなに素敵な人じゃないですか」  違和感を覚えたのは、そのときだった。小笠原が湊斗を褒めてくれたことは何度かあったけれど、いつも聞き間違えかと思うほどさりげなく、からかいに隠して伝えてきたはずだ。こんな風に熱のこもった言い方を、普段の彼女はしない。   「張り合わなくたって、追いかけてばかりじゃなくたって、先輩なら、もっと……」  小笠原は胸を押さえて、顔を歪めながら言い募る。瞳が泣きそうに潤んでいた。 「小笠原?」 「あの人の何が、そんなに特別なんですか」  掠れた声でこぼした直後、はっとしたように小笠原は口元を押さえる。今度こそ見間違いようもなく、小笠原の顔は熱でも出したかのように赤くなっていた。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

58人が本棚に入れています
本棚に追加