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弟
「俺の弟が来週こっちに来るから」
「はっ?」
あんた弟いたの!? と驚かれる。
「言って無かったか。まぁその時は世話してくれると助かるんだけど」
「嫌よ。あんたの弟の世話なんてしたくない。どーせあんたそっくりなんでしょ」
「俺とは血は繋がってない」
「は? どういうこと?」
「ボスが拾ってきた子なんだ。元々は。俺が向こうに居る間良く懐いてさ」
「意味わかんない……とにかく世話なんてしたくないからね」
飲みかけのコーヒーを勢いよく飲んで、茜は席を立った。
「あと」
世間ではそれは他人って言うのよ。と、俺に言ってヒールの音をさせながら使い捨ての紙コップをゴミ箱へ捨てた。
「じゃあね」
狭い店内からまた一人人間が減った。こうして俺が直々に頼んでいるのに薄情な奴だ。俺はそう思いながら熱々のコーヒーをフーフー息をかけて冷ました。
「兄ちゃん。これ買ってよ」
街中のショーケースに並んでいるクリスマス用のプレゼント。弟の奏はガラスにへばりついてそれを見た。
「……サンタさんに頼んだら。俺には高すぎる」
奏の後ろからヒョイとそれを覗き込む。俺の予想通り、欲しがるオモチャの銃の下にある値札は俺にとっては大金だった。
「えーもしかして兄ちゃんまだサンタ信じてんの? あんな子ども騙し」
窓ガラスには手を付けたまま顔をこちらに向け、後ろにいる俺を小馬鹿にするように言った。
「信じてないなら来ないだけだな」
「あははっ。じゃあ今年もサンタは俺のとこには来ないのかー、残念」
その声色からはとても残念そうには聞こえなかったが、奏はくっつけていた手を上着のポケットに突っ込んで体ごと俺に振り向いた。
「……ボスに買ってもらえないか聞いてみようか?」
「んーん。いい。あの人いつも忙しそうにしてるから邪魔したくない」
「……」
「うー寒。早く帰ろ!」
ショーケースの前から動かなかったのは奏なのに、俺を引っ張って家路に就くのを急かした。
奏。俺の弟。
俺達には親がいない。正確には、いないと言うよりは親の存在を知らない。俺も奏も孤児で、いつから親がいないのか、俺達の親はどんななのかも知らずに育ってきた。
───今日からお前の弟だ。身の回りの事色々教えてやってくれ。
ある日の午後急に、ボスにそう言われた。俺はボスの隣に立つ子どもを見てコクリと頷いた。その子どもはボスのコートをぎゅっと握って上目遣いで俺を見ていた。
「俺、創って言うんだ。よろしく」
その子の目線に膝を折って、目線を合わせる。恥ずかしいからか人見知りをしているのか、俺から逃げるようにパッとボスのデカい体の陰に隠れてしまった。
「こら。挨拶しねぇか」
「……」
今度は両手でボスのコートを握り締めてしまって、顔さえも見せなくなった。
「ボス。この子の名前は?」
俺は立ち上がって子どもの名前を聞いた。
「おら。名前。教えたろ。ほら。……おい」
ボスが身を捩って子どもを引き剥がそうとする。だが却って一層その小さな身を縮こませた。
「……ボス。いいですよ。無理矢理しなくても」
「ったく。奏ってんだ。奏でるで、かなで」
ボスがその頭をポンポンと叩いた。
「……また一文字……。テキトーに名前付けましたね」
ボスのクセの一つ。
「おい、ンなこと言うなよ」
「……奏。おいで。ボスは忙しくてもう行かなくちゃいけないから」
「ん。ほら。この兄ちゃんは優しいから。ほら」
訝しげに俺を見る瞳と目が合った。警戒するようにしばらく俺を伺いながらも、握っていたコートからそっと手を離した。
「いい子だ。よろしくな、奏」
俺はボスがしたのと同じに、頭をポンポンと触った。まだ小学校低学年ぐらいか。その背丈からの年齢から察するに、知らない俺にすぐさま世話になれと言うのも酷だったろう。
「ほら、小遣い」
「ありがとうございます」
俺に折りたたんだ札を何枚か手渡して、ボスはこう言いながら俺とすれ違った。
───実験用じゃねぇからな。
「……わかりました」
俺は受け取った札をデニムのポケットに押し込んでボスの背中を見送った。そして俯いたままの子どもに、クレープでも食べに行く? と聞いた。
「……」
うる、とその瞳が潤んでいる。俺と同じ境遇なのか、ボスがいなくなって知らない俺と二人でいる事が辛いのだろう。
「……少し散歩でもしようか」
俺が手を繋ごうとすると奏はぎゅっと目を瞑った。蚊の鳴くような声で、ごめんなさい……と俺に言った。なぜ謝るのかわからなくて疑問に思っていると、瞬く間に奏の履いているズボンが、じわ……と濡れていった。
奏は、我慢しきれなかったのか緊張していたからか、漏らしてしまった。
「天気いいからすぐ乾くよ」
洗濯した服をパンッと叩いてお日様の下に晒す。冬の乾いた空気も相まって俺の言った通りになりそうだ。
「やっぱり俺のじゃ大きいな」
奏はあれからメソメソと泣いた。俺のベッドの縁でブカブカのズボンを身につけて泣いていた。
「奏。大丈夫だよ」
また膝を折り、今度は奏を見上げる。俺と目が合った途端ポロポロと新しい粒が転げ顔がくしゃっとなった。
「……兄ちゃんの俺に任せとけ。な?」
スンスンと鼻を鳴らし、鼻水も垂れている。俺はローテーブルに置いてあったティッシュで奏の鼻を拭った。
「俺もこのぐらいの年の頃はよくやったよ。気にするな」
「……う、ウソだ」
「本当さ。ボスに聞いてごらん。あ、誰もいないとこで聞いてくれよ」
「……」
うりゅ、とまた瞳にそれを溜めた。俺は奏の隣に座って、その小さな体を頭から抱きしめた。
「服が乾いたら、クレープ食べに行こう。今日は露店が出てるはずだから」
奏は俺の腕の中で、うん。と小さく頷いた。
「あれ、お前も来てたのか」
空港のコーヒーショップで紙コップを手にした茜と鉢合う。その長い艶々とした黒髪を簡素なゴムで縛り、薄いサングラスの中から俺を見た。
「仕方ないじゃない。ボスから直接電話もらったんだから!」
「俺が言っても断ったくせに」
俺も注文していたホットコーヒーを受け取り、冷ますためにプラスチックの蓋をカポリと開けた。
「だから、仕方ないでしょ! あんたが告げ口なんかするから!」
今日は更に増してえらくご立腹のようだ。
「失礼だな。チクったりしてないんだけど」
「フン。もうどっちでもいいわ。で、どんな奴なの? あんたの弟」
「今日は天気がいい。時間もあるし、外に行こう」
「嫌よ。焼けるじゃない」
展望台へと向かう俺に、茜は文句を言いつつも付いて来た。
「ほら。気持ちいい」
広い展望台にはちらほら客が散らばっている。少し強めの風が吹いて、コーヒーの湯気はすぐさまどこかへ消えてしまった。
「はあーっ。天気良すぎ。影に居るから。あたし」
「ほら」
俺はそう言って、かぽ。と被っていた帽子を茜の頭に乗せた。
「一緒に見よう。もうすぐ到着するはずだから」
ここからなら国際線の飛行機も見えそうだ。
「……わかったわよ」
茜は渋々俺の隣に来てコーヒーに口をつけた。それを横目で見て自分のコーヒーの温度を確かめてみると、チビチビ飲めば火傷しないぐらいの温度まで下がっている。俺はクリームと砂糖がたくさん入った自分好みの色をした液体を啜った。
「で? どんな奴なのって。弟」
「うーん……俺達みたいな役じゃない奴なんだ。奏は」
「じゃあ何してるのよ」
「知らない」
「は? あんたの弟なんでしょ? 向こうで一緒にいたんじゃないの」
「うん、一緒にいたよ」
「……なんで知らないのよ」
「ボスが何も言わなかったから。最初は隠してるのかと思ったんだけど、そうじゃないみたいだった」
「ふん。拾ったはいいけど使えなかったんじゃないの」
「いや……最初から何もさせる気じゃなかったと思う。俺に身の回りの世話しかさせなかったから」
「ふーん……お気に入りってことね」
「それも多分違う。俺の弟になってからボスは定期的にしか奏に会わなかったし」
「もー……じゃあなんなのよ」
「俺の人格形成のため……?」
「は? ……もういいわ。あんたも知らないってことね」
「うん。端的に言えば」
「それで俺の弟って言うんだもんね」
「……」
茜がズッとコーヒーを飲むと、彼女のリップが紙製のコップに形取られた。
「大体あたしになんの世話しろって言うのよ。自分の弟ならあんたが世話焼いてあげればいいじゃない」
「うーん……茜は引くと思うんだけどさ」
「……なに」
「俺、奏と何度も寝たことあって」
「は? どっちの意味で?」
「茜が嫌な顔してる方の意味」
「……信じられない。弟なんでしょ」
「うん。俺の弟」
「はぁ……そっちの好きなら余計あんたが世話しなさいよ」
「それでボスに離されたんだと思ってる」
「バレたってこと?」
「ボスにバレないことなんて何も無いさ」
俺は、世間の言う一口の量のコーヒーをやっと口へできた。
「……ボスが弟を心配してるの?」
「さぁ……わからない。確かに俺は奏のことが好きだったけど、それももう何年も前のことだし。それに奏にはここ五年ぐらい会ってない」
「そーなんだ。久しぶりに会うからあんたが暴走しないかあたしをお目付け役にしようってワケね」
「そうかも」
「ま、あんたの弟が常識人であることを祈るわ」
ぐいっと最後までコーヒーを飲み干し、あたし寒いからやっぱ中に入ってる。と両手で腕を摩りながら俺に帽子を返し、また空港内へと戻って行った。
───奏。
そう、茜の言う通り俺は奏を好意的な目で見ていた。仕事ではなく一人の人間として向き合った経験を初めてしたからかもしれない。今頃どんな青年になっているだろうか。ボスはあっちで元気にしていると言っていたけど。
他の人を好きになったことがないから良くわからないけど、慕っているボスとは違う感情を奏に抱いていたのは確かだった。
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