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1節 紙を切る
かじかむ両手で鈴紐をつかんで揺らす。境内に清らかな音が響いた。
身が引き締まる思いで二拝二拍手をする。
『神様に名乗りなさい』
手前に引いていた右手を戻して指先をそろえた時、両親の教えが脳裏をかすめた。合掌を続けつつ、目を閉じて心の中で打ち明けていく。
――紙切村まで、新幹線で二時間かかる場所より参りました。一条紅子と申します。村に住んでいた小学生の頃、境内に設置されている遊び場をよく利用していました。大変お世話になりました。
紙切神社には芸事・縁結びの神がいる。
参拝するのは七年ぶりだ。神はあたしの声を覚えているだろうか。
――春から共学の大学に進学して、顔が好みの先輩と出会いました。積極的に話しかけていますが、後輩という立ち位置から一向に抜け出せません。今年は女の後厄です。先輩に振り向いてもらえるようにお力添えをお願いします。
思いの丈を伝えて目を開けた。
合わせていた両手を下ろし、気をつけの姿勢を取る。目に映るのは、厳かな雰囲気が漂う拝殿だ。その先の本殿にいるであろう神に向けて深く頭を下げる。
数秒後、下唇を軽く噛みながら顔を上げた。
これで良かったのか。込み上げる感情を振り切るように会釈をして、神前から退く。後ろは誰も並んでいない。
「明日から大学かぁ」
期待と不安を半分ずつ言葉に乗せて、拝殿の軒下から出た。雪化粧をした階段が穏やかな光に照らされている。
日陰から出たばかりの私には眩しくて、右手の甲を額にかざした。赤いマニキュアを塗った爪が逆光にかすんでいる。
「神長」
口をついて出た名字に目を見開く。
「ハッ。未練たらたらじゃん、あたし」
額にかざしていた手を下ろして歩き出す。
天気の良い日に紙切神社へ来ると思い出してしまう。過去を断ち切るために願掛けをしたはずなのに。
濡れた階段を下りる際、利き手とは反対の手すりを握ったことに、深い意味はない。左側に手すりがあったからそうしただけだ。手首にはめた、神長とおそろいのシュシュを視界の端に収めながら、自分に言い訳をする。
それにしても、昔と変わらず澄んだ空気だ。
杉に囲まれた境内を見渡しつつ、参道の端を進む。人はまばらだ。それでも、おみくじ掛けと絵馬掛けの様子を見れば、三が日の混みようが想像できた。
立ち止まって眺めていると、絵馬を奉納する小学生の自分が脳裏によみがえった。同時に書いた内容を思い出して顔が熱くなる。火照る体を冷ますためにそそくさと立ち去る。
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