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3節 カミキル
「おなかは空いていますか?」
耳打ちされた質問に疑問符が飛び交う。
含みを持たせた言い方だ。だから素直にかぶりを振る。和菓子を想像した時に感じた空腹など忘れていた。
「実を言うと当店は特殊でしてね。空腹を感じなくなるんです。また、電波が届かないくらいの僻地で、出入り口も今では開かないようになっています」
首に絡められた腕が離れていく。
自分で確かめろ。そう言われているような気がした。
白いケープを脱ぎ去って受付台へ向かう。戸棚からスマートフォンを探し出して、震える手で画面ロックを解除した。圏外だ。
胸騒ぎがした。端末を握りしめて足早に出入り口へ行き、取っ手をつかんで引く。開かない。何度試しても。
「神域から出るためには、神である私の許可が必要です」
たしなめられて取っ手を離す。腕が痺れている。その痛みが、これは夢ではないのだと教えてくれた。
「ここは美容院に見せかけた結界の中です」
「かみ――」
「それと、神長は宮司の名字です。紙切神社に祀られた私の名前ではありません」
自分は神である。普通ならば笑い飛ばすであろう宣言に何も言えない。嘘を吐いているようには見えなかったからだ。
「紅子はまさに一条の光です。見えるだけのヒトなら、ごまんと出会いました。その中で芸を本気で喜んでくれたのは紅子だけなんですよ」
あたしは突っ立って告白を聞いていた。
「すぐにでも神隠しをしたいと思いました。ですが、あの頃は未熟で、ヒトを招き入れられる広大な神域を維持できませんでした」
考え方が飛躍しすぎて頭が回らない。だが体は正直だ。心臓が異常な速さで警鐘を鳴らし、手がじわじわと濡れてきた。
混乱する中でスマートフォンを取り落とす。足元で鈍い音が立ち、身を震わせながら後ずさった。
逃げ場はない。神長もそれを承知しているのであろう。何も言わずにゆったりとした足取りでこちらへ寄ってくる。右手にはなぜか、はさみが握られていた。
目はそらさず、距離を取っては詰められてを繰り返しているうちに、とうとう待合室の壁に背中が当たった。
「私は『簡単には帰しませんよ』と言いました」
追い打ちをかけるように左腕が迫ってきた。神長は壁に腕を突いてあたしを囲う。次いで持ち手を返してはさみを差し出してきた。
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