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吉次郎が帰ってきたのは五日後の夕刻だった。
夕餉の片付けを終えて縫い物をしようと寝所に入ると、神妙な様子で吉次郎が待っていた。
―――嗚呼、妾の件か離縁の話だ。
そう察して、意を決して主人の前へと腰を下ろした。
「お話があるようですね…?」
冷静に訊ねたが手が震えた。
吉次郎が北の山への逢瀬を始めてから、得意の縫い物で少しずつ簪飾りや根付を作り、離縁に備えて準備をしてきた。
裕福ではなかった実家での暮らしで商いの術は身につけたが、生計を立てるにはまだ物が足りない。
いくら手切れの小判を与えられたとしても商いが軌道に乗るまでには心許無く、追い出されるならもう少し先にと願った。
「近頃、遅くまで何か繕っているな?」
その問いに、ドキリとした。
「……、小春の簪飾りを…っ…」
思わず娘を口実にした自分に心底嫌気が差した。
微かに唇を噛み、心の中で娘に詫びた。
「そうか…、それなら良いのだが…」
そう言いかけた吉次郎は、何か躊躇うように口を噤んだ。
「ご要件はそれだけでしょうか…?」
早く本題に入って欲しくて訊ねた。
覚悟は出来ている―――。
固唾を呑んで、言葉を待っていると吉次郎は徐ろに懐に手を差し入れた。
「セツ、これを持っていろ」
そう渡されたのは銀の糸で束ねられた護符だった。
てっきり三行半かと思っていた為、内心、拍子抜けしてしまった。
「兄上が作ってくれてな。疫病払いと家内安全の護符だ。北の白狛山に住まう白狐の毛から紬がれた糸で束ねた。土地神の毛糸な故、狐狸妖怪をも退ける有り難い代物だ」
吉次郎は喜々と語った。
彼は狐狸妖怪の類が大の苦手で、それでいて信心深い。
毛糸については眉唾物だが、どうやら行方知れずだった義兄と再会したのは本当らしい―――。
「それと近頃、町内で物盗りや女攫いが相次いでいる。くれぐれも日暮れの後の外出は控えるように」
急に改まったように吉次郎は忠告し、厠に行くとそそくさと部屋を出た。
そんな背に頭を下げながら、離縁話でなかったことにセツは微かに安堵の溜息を零した。
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