氷解

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「すまなかった…。母に子供達の世話を願ったのは私だ。子に乳を飲ますだけで草臥れていたお前を見ていられなかった…っ…。柊木家の跡取りとして己の身の振り方に戸惑うばかりで、お前を省みる事をしなかったっ…。私の浮気を疑い、離縁の支度までしているとは…っ…、ここまで窶れるまで気付いてやれず、本当にすまなかった…!」  耳元で告げられる懺悔にセツは涙が溢れた。  ――解っていた。  吉次郎自身、義兄に代わって家を取り仕切らなければならず、藩主の懐刀としての重圧に苦しんでいた事――、幼妻を気に掛けられる余裕など無く、変わってしまった日々に只々我武者羅だったこと―――…。   セツ自身、そんな主人を支えたいとは思ったが何をどうしたら良いのかが分からなかった。  名家の嫁として変えねばならぬこと憶えることが多過ぎて、この二十年、互いに互いを支え合うには、あまりにも余裕がなさ過ぎた。  それ故に相手を思い遣る事ができなかった。歩み寄る術が分からなかった。 「旦那様…っ…吉次郎様…っ…!ごめんなさいっ…!不甲斐無い妻でっ…、私が情けないばかりに…!」  積年の後悔が嗚咽と共に溢れた。  すれ違っていたのだと解って、不器用過ぎたのだと知って―――、やっと掴めた主人の温かさに涙が溢れた。 「不甲斐ないのは私の方だ…。ずっと言いたい事も告げず、伝えたい事も黙っていた」  止め処なく流れる妻の涙を拭い、吉次郎はその頬を撫でる。  初めて真っ直ぐに互いを見つめ合った。 「お前は蒲公英(たんぽぽ)に似ているな…。素朴で可愛らしく、綿毛のように側に在るだけで心が安らぐ…。もう私を見て、俯いたり怯えないでおくれ。無理もするな。具合が優れない時はちゃんと教えろ。慎ましく働き者のお前を手放したりはしない。決して見捨てなんてしない。これからもずっと側に居てほしい。ちゃんと夫婦になろう。セツは誰が何と言おうと私の自慢の嫁だ…」  吉次郎のその想いは、セツが欲していた言葉の全てだった。  嬉しさと有り難さに何度も頷き、言葉を噛みしめる。  涙に化粧が剥がれ、ぐしゃぐしゃの顔だった。  みっともない顔だったけれど、もう気にならなかった。
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