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野菜マルシェで用意する試食用料理は黒キャベツのスープと、茹でた赤いビーツと白いチコリが華やかなサラダに決まった。
予算をオーバーするので試食には出せないけど、星形にくり抜いたチーズの間にイタリアンレタスと生ハムをサンドしてピックで留めつけた”ツリーサラダ”もディスプレイとして置くことにした。
「いいじゃないか! 赤・白・緑と彩りが綺麗でクリスマスらしいね!」
試作品を見た田屋社長が手を叩いて褒めてくれたけど、問題は味だ。
「旨い! 黒キャベツの甘みが出てるな」
大上さんが唸ると、その横でもう一人の運転手である健一くんも「サラダもソースのニンニクが効いてて旨いっす!」とサムズアップしてくれた。
健一くんは田屋社長の息子で、現在26歳。
社長はよく「芽衣ちゃんが健一のお嫁さんに来てくれたら嬉しいな」なんて冗談を言うけど、私は年下よりも年上が好みだ。
そう。大上さんみたいに包容力があって、ぐいぐい引っ張っていってくれそうな……。
って、私ったら何考えてるんだろう。
あんな未練たらたら男なんて、恋愛対象外だわ。
首をブンブン振っていたら、大上さんが「凄いな、おまえ。よく頑張った!」と言って私の頭をヨシヨシしてきた。
それだけでポーッとしちゃうんだから、我ながら情けない。大上さんは元奥さんのことをまだ愛しているのに。
最近は試作品作りに付き合ってくれていたからストーキングしていないみたいだけど、暇さえあれば桜さんの周りをうろちょろしているような男だ。
桜さん以外眼中にない人を好きになっても虚しいだけだよ。
試食が上手くいきそうだという高揚感はあっという間に雲散霧消してしまい、私はバスを降りるとトボトボと歩いて家に帰った。
「ただいまー」
玄関から声を掛けたのに、いつもは聞こえる父の「おかえり。遅かったな」の声が聞こえてこない。
「お父さん? 遅くなってごめんね。急いで夕食の支度するから」
リビングのドアを開けても父の姿がないので、一瞬トイレかな?と思ったけど、そこでハッと気がついた。
そういえば靴がなかった!
玄関に戻って確かめたら、やっぱり父のいつも履いている靴がない。
ご近所に回覧板を持っていくときは不用心にも家の鍵をかけないで行く人だから、鍵がかかっていたということはどこかに出かけたということだ。
でも、どこへ?
『徘徊』という言葉が頭に浮かんで、私は持っていたバッグを取り落としてしまった。
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