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私がバス通りに出て、ネイルサロンとは反対の方に歩き出して数分後。
大上さんから電話がかかってきたので、私は「もしもし」も「はい、芽衣です」もすっ飛ばして「いましたか⁉」と叫んだ。
「いた! 無事だ。今、電話かわるから」
「もしもし、芽衣か?」
「お父さん! 良かったぁ! 心配したよ。目つきは悪いけど、大上さんは私の職場の先輩だから安心して。車で送ってもらって」
「わかった」
父の横で「おい、聞こえてるぞ! 誰が目つきが悪いって?」という大上さんの声がして、私は泣き笑いした。
良かった。車に轢かれないで。
良かった。用水路に落ちて溺死しないで。
良かった。良かった……。
父が大上さんに連れられて帰宅したからと言って、私は抱きついて喜ぶような素直な娘じゃない。
「お風呂にお湯入れておいたから、先に入ってて。夕ご飯の支度するから」
「そうか? じゃあ、そうするか」
疲れた様子で頷いた父は、「猛くん、ありがとうな。良かったら一緒に夕飯食べていってくれ。こう見えてこいつは料理上手なんだ」と大上さんに言うと断る暇も与えずに脱衣所に行ってしまった。
「大上さん、本当にありがとうございました。そんな大した物作れませんけど、食べていってくれませんか?」
勇気を出して誘ってみたら、「おまえが料理上手なのは知ってる。じゃあ、お言葉に甘えるかな。善さんともっと話したいし」と言ってくれた。
父がお風呂から上がったので、三人で食卓を囲んだ。父の冷えた身体が少しでも温まるように、今夜は寄せ鍋にした。
湯気の向こうの大上さんは、いつもよりずっと朗らかで柔らかい雰囲気だ。
「『猛くん』『善さん』って呼び合うなんて、今日初めて会ったのにもう仲良くなったんですか?」
私は大上さんに尋ねたのに、父が「猛くんがな。車から『おーい、善さーん』って呼んでくれたんだよ」と嬉しそうに答えた。
「芽衣の帰りが遅いからスーパーで総菜でも買ってくれば、疲れて帰ってきても料理しなくて済むだろ? そう思ってスーパーに行こうとしたんだが、暗かったせいか途中で道がわからなくなった」
父が鍋をつつきながら、今夜のことをポツポツと話し出す。
私のためにスーパーに? そうだったんだ。「携帯も持たずに黙って出かけたらダメじゃない!」って叱らなくて良かった。責めるつもりはなかったけど。
「それで引き返したら、ますます自分がどこにいるのかわからなくなってな。頭が真っ白だよ。だから『おーい、善さーん』って声がした時は天の助けだと思った。猛くんは命の恩人だ」
目を潤ませた父を見ていたら、私も改めて大上さんへの感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
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