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信号待ちの車内で大上さんと見つめ合う。
たぶん勘違いなんかじゃない。大上さんも私のことを……。
あ、でも桜さんのことはもう諦めたんだろうか。
そう思った時、車の斜め前方に桜さんと彼氏が歩いているのを見つけてしまったのは、タイミングが良かったんだか悪かったんだか。
思わず「桜さん……」と呟いてしまった私を、大上さんが酷くビックリした顔で「え⁉」と見つめた。
「あれ、元奥さんの桜さんですよね?」
私が車外の二人を指し示すと、パッと振り返った大上さんが「本当だ」と言って彼らを目で追った。
桜さんと彼氏は手を繋いだままマンションに入っていったから、ここがどちらかの家なのだろう。
大上さんは向こうを向いているので今どんな表情をしているのかわからないけど、悔しそうにハンドルを叩いていた姿を思い出した。
「実は私、【産直バス】で初めて大上さんと顔を合わせる前に、ネイルサロンの前で大上さんを見たことがあったんです。ずっと張り込んでるから不審者かと思って近所の人に訊いたら、桜さんをストーキングしてる元旦那だって」
「ストーキングなんかじゃ!」
反射的に否定しかけた大上さんだけど、すぐに首を振って「いや、今思うとストーカーじみてたな、俺」と言って肩を落とした。
やっと信号が青になって、私たちを乗せた【産直バス】のトラックは右折することが出来た。
「桜さんには新しい恋人がいるみたいですけど……諦められないんですか?」
恐る恐る訊いてみたら、大上さんは長い沈黙の末に「諦めたら終わりだと思ってたんだ」という答えをため息と共に吐き出した。
「何でもそうだろ? 農業は特に天候や病害虫のせいで、あっという間に今までの苦労が水の泡になることがある。でも、そこで諦めずに頑張れば、いつかは報われる。俺はずっとそうやって生きてきたんだ」
大上さんの言葉に深く頷いた。
【産直バス】が軌道に乗るまではだいぶ苦労したらしい。「ここまで販路を拡大できたのはひとえに大上くんのおかげだよ」と社長が話していた。
「だから、桜のことも諦めたら終わりだと思ってチャンスを窺ってたんだが……とっくに俺たちの仲は終わってたんだよな」
「桜さんは新しい道を歩き始めてますけど、大上さんはまだそんな気にはなれませんか?」
「俺は……芽衣が何度も試作品を作ったりレシピカードを作ったりして頑張ってる姿に惚れたんだ。もう桜に未練はないよ」
「本当に?」
「さっきの桜のマンションの前に何度も張り込んでたのに、この一週間というもの全然何とも思わずに通り過ぎてた。未練なんてない」
きっぱり言い切ってくれた大上さんに抱きついたら、「おい! 運転中に危ないだろ⁉」と叱られたけど、彼の顔は真っ赤だった。
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