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やっとすべての荷物を家の中に運び終えてもらったので急いで出かけようとしたら、父が怒った顔で声を掛けてきた。
「おい! 母さんの部屋に全部詰め込んだままでどこに行くんだ⁉」
「市役所! 今日中に手続きしないといけないでしょ?」
また何か文句を言われる前に「行ってきまーす!」と玄関で声を張り上げて飛び出すと、外の道路にまだ引越し屋のトラックが停まっていた。
空は明るさを保ちつつも、夕焼けの名残のバラ色が溶けて夕闇が迫っている。
バス停まで走りながら、「私が実家に帰ってくるってわかってたんだから、二階を片づけといてくれてもいいのにさ!」と父への文句が口をついて出た。
昔、私が使っていた二階の子ども部屋が物置状態になっていたから、仕方なく引越しの段ボールや家具を仏間に運び入れてもらった。父はそれが気に入らないらしい。
「あーあ。前途多難だなぁ」
お母さんっ子だった私は子どもの頃から父とは相性が悪かった。
二年前に母が病死してからは、法事以外で連絡を取り合うことはほぼなくなっていた。
これから先、ずっとあの父と二人暮らしか。重いため息が零れた。
バスは遅れているみたいで、バス停には三人並んでいた。その後ろに並ぶ。
こんなところにネイルサロンなんてあったっけ?
手持ち無沙汰でバス停近くのピンクの屋根のサロンをまじまじと観察した。
【四十歳からのネイル】だって! おばさま限定のサロン? まさかね。
サロンの貼り紙を見て"おばさま"と思った私も、あと八年もすれば四十という歳になってしまった。
まだまだ若いつもりでいたけど、独身でここ数年は彼氏なし。
そのうえ父親と同居なんて、結婚がますます遠のいてしまう。
またため息が零れそうになったとき、道路の向こう側に白い軽トラックが停まった。
サロンのお客さんを迎えに来たのか、運転手は軽トラックに乗ったまま降りようとしない。
あんなところに停めて邪魔よね?
二車線しかない道路だから、バスが来たらすれ違うときギリギリかも。
それにしてもバス、遅いなぁ。
もう五分も遅れている。この先ノンストップで駅まで走ってくれないと、市役所が閉まってしまいそうだ。
もう! あの軽トラのせいでバスがノロノロ走ったら、絶対間に合わなくなる!
そうは思ってもバス停を離れて文句を言いに行くわけにもいかず、私は軽トラックの運転席の男に「早くどけ!」と念を送った。
私の強い念が届いたのか何なのか。ふいに男が私の方を見た
え? 何、あのイケオジ!
四十代後半ぐらいの男性は精悍な顔つきのイケメンで、ぽーっと見惚れてしまった私はバスが来たことに気づかないほどだった。
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