293人が本棚に入れています
本棚に追加
翌日、散歩がてら近所の畑の一角にある野菜無人販売所に行ってみた。
「あら、芽衣ちゃん。ちょうど良かった。ブロッコリー持っていきな」
野菜の補充に来た嶋田のおばちゃんが、私が実家を離れていた十四年間などなかったかのように話しかけてきた。
嶋田のおばちゃんはうちの母と仲良しだったから、私のことも小さい頃から可愛がってくれていた。
小柄な身体のどこにそんなパワーがあるのか不思議なぐらいの力持ちで、広い畑を夫と二人で切り盛りしている。
噂好きなおばちゃんのことだから、私が実家に帰ってくることはとっくに知っていたのだろう。
「ありがとう。じゃあ、小松菜と白菜買うね。あ! 柚子もある!」
さまざまな野菜が少しずつ所狭しと台の上に並べてあって、奥の隅の方に柚子の黄色い実が二つ袋に入っていた。
形は歪だけど、お風呂に入れる分には全然問題ない。今夜は柚子風呂にしよう。きっとお父さんも喜ぶ。
料金箱に小銭を入れてから持ってきたエコバッグに野菜を詰めていると、嶋田のおばちゃんが「お父さんの調子はどう?」と訊いてきた。
「元気だよ。ピンピンしてる」
「それならいいけど。事故を起こした直後は呆然としてたから、気をつけてあげてね」
「うん、ありがとう」と笑顔で答えて、俯きながら歩き出す。
うちの父は先月、車を電柱にぶつけた。まだ七十歳になったばかりだから大丈夫だと思っていたのに、アクセルとブレーキの踏み間違いだった。
誰かを轢いたわけじゃないからまだ良かったものの、本人は相当ショックだったようですぐに免許を返納した。
病院で検査したら、軽度の認知症だと診断された。
それで私は実家に帰ることにしたのだった。認知症の父を一人にしてはおけない。火の不始末でもやらかしたら、ご近所に迷惑をかけるし。
でも、父は「一人で大丈夫だ」と言い張って、私が同居すると言ってもいい顔をしなかった。
結局、浜野辺市内で就職先を探して、事後承諾のような形で同居を決めた。
だから余計にギクシャクしているのかもしれない。
「あれ? またあの軽トラだ」
白い軽トラックなんてそこらじゅうで見かけるけど、お尻に赤いステッカーが貼ってあるのはイケオジの車だ。
奥さん、今日もネイルサロンに来てるの? 昨日の仕上がりに不満で直してもらっているとか?
勝手に想像しながら通りすぎる時にチラ見して、振り返ってもう一度見た。
見れば見るほどイイ男だわ。
顔だけじゃなく、連日送り迎えしてくれる優しさもある。奥さんが羨ましくなった。
最初のコメントを投稿しよう!