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それから私は毎日大上さんのトラックの助手席に乗って、彼を手伝いながら仕事を覚えていった。
【産直バス】の運転手は野菜を運ぶだけでなく、参加する農家や販売先の開拓もする。
田屋社長によれば、大上さんは四十二歳。もう少し年上に見えるのは、二重瞼の鋭い目と眉間に刻まれた縦皺のせいかもしれない。
「ほら、さっさと積んで次行くぞ!」
「はい!」
「このバカ! もっと丁寧に扱え!」
「すみません!」
口は悪いけど、農家のおばあちゃんが持ってきた葉物野菜を大切に運ぶ大上さんは生産者さんたちから絶大な信頼を得ている。
私も早くこうなりたいと思う姿がそこにあった。
「田屋社長も大上さんも元々は農業生産者だったんですよね?」
「社長は【産直バス】を始めてからは畑仕事を娘夫婦に任せてるが、俺はまだまだ現役だよ。今は人参や白菜を作ってる」
「えっ! 【産直バス】の運転手との両立は大変じゃないですか?」
しかも桜さんのストーキングまでして! と喉まで出かかったけど、それはグッと飲み込んだ。
私が桜さんの働くネイルサロンの近所に住んでいることは大上さんには話していないし、もちろんストーキングの現場を何度も目撃していることも内緒だ。
「大変だよ。でも、俺には夢がある」
大上さんがハンドルを握りながらいきなりそんなことを言い出すから、私は吹き出しそうになった。
まさか元奥さんと復縁して、一緒に農業をやるのが夢だとか言わないよね? いや、言いそう。
笑いを嚙み殺して「夢ってどんな夢ですか?」と訊いてみた。
「レストランに買ってもらうだけじゃなく、市場には出回らない少量生産の珍しい野菜をもっと一般の人たちに食べてもらいたいんだ」
夢を語る大上さんの目は輝いていて、私もうんうんと大きく頷いた。
「そうですね。たとえば今の時期だとイタリアンレストランでは茹でたビーツとフェタチーズ、イタリアンパセリをミックスしたサラダなんかを出すんですけど、ビーツやチコリやアーティチョークを作っている農家さんはいてもなかなかスーパーでは見かけないから、一般消費者はどうやって料理すればいいかわかりませんよね」
「そう! そうなんだよ! って、おまえ、なんでそんなこと知ってるんだ?」
「実は私、東京のイタリアンレストランでずっと働いてたんです」
私がそう言うと、大上さんはトラックを急停止して私の両手を包むようにガシッと握った。
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