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2-1
「リン!!」
『ひっ』
すずが勤務するキャバクラの控え室に到着したソフィアとすず。ゴリラような風貌の店長が鼻息を荒くし頭に青筋を立てながら、ソフィアに怒鳴りつけたが、ソフィアは自分が呼ばれたと思っておらず、素通りした。
『ソ、ソフィア! リンは、私の源氏名。キャバクラではそう呼ばれてるの』
「ニックネーム的なものかしら? それなら無視は失礼でしたわね」
ソフィアはくるりと半回転し、気品高いカーテシーをしてみせた。
「ごきげんよう、店長さん」
「は、はぁ?」
いつものすずと違う様子に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする店長だが、次第に申し訳なさを一ミリも感じていないソフィアに対し、再び怒りが爆発した。
「遅刻したくせにいい度胸だな! さっさと着替えてきやがれ!」
ソフィアは店長に背中を叩かれ更衣室へ詰め込まれた。
「野蛮ですわね。ゴリラでももう少し知性がありましてよ」
やれやれと気にもとめないソフィアに対し、すずは店長に怯えているのか、ずっと俯いていた。
『ソフィア、お願い。あの人を怒らせないで。あれ以上怒らせたら、何されるか分かんないよ……』
「あんなゴリラの顔を伺いながら、過ごさないといけないだなんて嫌ですわ」
『……で、でも……』
ソフィアが無事に一日を終えられるのか心配なすず。オロオロとしながら、ソフィアの後ろをついてゆく。
更衣室には、ドレッサーが六つほど並べられており、その前にキャバ嬢たちが座りメイクをしていた。
「あら、皆様ドレスを着ていらっしゃいますわ。パーティーならば、私も準備をしましょう」
ソフィアはすずの鞄の中を開けるも、メイク道具は一切入っていなかった。
「あら、すず。メイク道具はお持ちでないの?」
『どうせ私なんかがメイクしても、変わらないよ』
「またそんな否定的なことを言いますの? まぁ私に任せなさい」
ソフィアは近くにいたキャバ嬢に、とても丁寧な言葉遣いに笑顔を添えて声をかけた。
「すみません、メイク用品を貸していただけないかしら?」
「誰がテメーなんか……に……」
真っ赤なリップを塗っていたキャバ嬢がソフィアの方を振り向くと、ソフィアから放たれる貴族のような眩いオーラに呆気に取られ、リップラインから思いっきりはみ出してしまった。吐血したかのような口元が完成した。
「ど、どうぞ……お使いください……」
「ありがとうございます」
メイク道具を無事に借りられたソフィアは、ドレッサーの前に座りメイクを開始した。
「そういえば魔法が使えるかもしれませんわね。早く済ませてしまいましょう」
ソフィアはアイメイクブラシを魔法で浮かばせて、ゴールドのアイシャドウを塗ろうとするも上手くコントロールができずに、頬をかすめてしまった。
『ソフィア! 魔法は禁止!! あの子が見てるよ!』
先程メイク道具を貸してくれたキャバ嬢が、目をぱちくりさせながらこちらを見ていた。「幻覚が見えるなんて自分は熱があるのではないか」と、店長に早退を申し込んでいたが、店長は「熱がないなら働け!」とパワハラ同然の言葉を放っていた。
「しょうがないですわね……」
しぶしぶ手動でメイクを再開した。ずずは自身が変貌していく様子をじっと黙ってみていた。
「よし、上出来だわ」
『こ、濃すぎだよ……』
まるで別人のように、キラキラと輝いている自分が鏡に映っている。すずは、少し歯がゆさもあったが、心の底からわずかに自信が湧いたのを感じた。
「あなた、自己プロデュースができていないから、自己肯定感が低いのよ。こんなにも素敵になれるんだから、しっかりなさい」
『う、うん……』
「あとはドレスに着替えたらいいのね」
ソフィアは立ち上がり、すずの指差す方へ向かった。
『向こうにかかっているドレスなら、どれを着ても大丈夫』
「あら、貸し出しですの? 人様のドレスを着てパーティーへ行くだなんて、なんだか不思議ですわね」
その言葉にメイクをしていたキャバ嬢たちが鏡越しでソフィアを睨んだ。ソフィアの世界ではドレスをレンタルするなんて文化はない。人の服を借りることなんて、急な豪雨でドレスが濡れてしまったり、破れてしまったり……そのような致し方ない理由でしかありえないことだった。
「だったら着なきゃいいだろうが。テメーがドレス着ようが着まいが、売上は変わらねーだろ」
メイク道具を貸したキャバ嬢の隣に座っていたお局キャバ嬢が、嘲笑した声でソフィアを煽った。周りのキャバ嬢もクスクスとソフィアを馬鹿にした。
『ひっ……! あ、あの子は、このキャバ嬢のボスだから、敵に回さない方がいいよ!』
「あら、ボスなら教えて差し上げなくては」
ソフィアは周りの視線をはじき返すほどの堂々とした態度で、お局キャバ嬢に近づいた。ソフィアは膝を曲げ、彼女と目線を合わせて丁寧に伝えた。
「あなた、ドレスコードってご存知かしら? 社交界はドレスコードが必要な場所ですから、着ない選択肢はございませんわ」
「はぁ? 何、当たり前のこと言ってんだ?」
「あら、ご存知でしたらいいのよ。今日も楽しみましょうね」
「……な、なんだ今日のあいつ……」
メイク道具を貸してくれたキャバ嬢が「私だけじゃなかったか……」と、ひそかに安堵した。
更衣室を出てバッグヤードへ行くと、店長はソフィアを何度も見返し、皿洗いをしていたボーイは、ソフィアのあまりの美しさに手を滑らせて床に落としてしまった。近くにいたキャバ嬢たちも「本当にあの根暗女?」と、怪訝そうにしていた。
「いやいや……化粧が上手くいっただけだろ。リン、さっさと席に着け!!」
またもや店長に背中を叩かれ、フロアに飛び出したソフィア。体勢を崩したが、持ち前のバランス感覚で転けることは免れた。
「本当に野蛮なんですから……」
ランウェイを歩くトップモデルのように、ソフィアは美しくフロアを歩いた。男女が楽しく会話をする華やかな場であるがゆえに、ソフィアは社交界と勘違いをした。
──社交界ではマナーが大事。どのような世界でも、令嬢たるもの品格を損ねた振る舞いは美しくありませんわ
店長に指定された席のヘルプにつくと、ドレスの端を持ち丁寧なカーテシーをした。
「初めまして。ソフィア……いえ、リンでございます。私もご一緒させてくださいませ」
席にいるキャバ嬢も客もソフィアのお嬢様キャラにケラケラと笑うも、その面白さが好機となり、ソフィアは無事ヘルプとして迎え入れられた。
『ソフィア、大丈夫かな……』
分からないことはすずが教えるとしても、そもそも生まれた場所も文化も何もかもが違うため、解釈違いも起きるのではないかとすずは懸念した。
「君、面白いね。あんなお辞儀をするキャバ嬢なんて、今まで見たことなかったな」
「ご挨拶にお辞儀をつけるのはマナーですわよ?」
自然と返答するソフィアに興味を持った客は、ソフィアに体を向けて質問を始めた。指名キャバ嬢の顔が引きつっている。
「キャバ嬢も飽和状態で、キャラ作りが大変なのか?」
「あら、私はありのままですわ」
ははっと笑う客は、口に煙草をくわえた。
『ソフィア、煙草に火をつけて』
ソフィアはライターの存在を知らず、マッチを探したが辺りに見当たらなかった。
──どうしましょう、マッチがありませんわ。でしたら……
ソフィアは煙草の前で指をパチンと鳴らした。小さな炎が上がり、驚いて息を飲んだ客とタイミングが合わさり、無事に煙草に火がついた。
『ソ、ソフィアーーー!! 魔法は禁止って言ったでしょう!?』
「マッチが見当たらなかったんですもの。つかないよりはいいでしょう?」
『ライターがあるから……。あぁ、どうしよう……なんて言い訳すれば……』
客は口から煙草を離し、大爆笑した。
「ちょっと、今の何!? 手品!?」
「えぇ、そんなところですわ」
隣に座っていた客も「俺も、俺も!」と、近くにいる指名キャバ嬢を越えてソフィアにせがんだ。自分を差し置いて人気になるソフィアに、指名キャバ嬢は苛立ちを覚えた。
「はっはっは。君、いいね。今度来たときは、指名しようかな」
「ありがとうございます」
ソフィアは取り繕うことなく挑んでいたために、やや噛み合わない会話もあったが、客と会話を楽しんでいた。ヘルプの席であるにも関わらず、指名キャバ嬢は置いてきぼりになっていたため、すずが『ちょっと抑えようよ。指名の子の視線が怖い……』とソフィアを止めた。
──あら、このご令嬢の思い人だったのかしら。それならば、自重しないといけませんわね。
「すみません、私はこれで失礼いたしますわ。人の恋路を邪魔する、あの女みたいな悪趣味はございませんの」
アネットと同類になるわけにはいかないわ、とヘルプ自らが席を立った。
『ちょ、ちょっと、ソフィア! 勝手に席から離れるのはルール違反だよ!』
「ルールが全てではございませんわ。あの子の恋路を邪魔しては可哀想ですもの」
『恋路ではないと思うけど……』
フロアを歩くソフィアの腕を店長が捕まえ、店の隅に追いやった。
「何、勝手なマネしやがんだ! おまえがいなくなって、あの客の酒の進みが遅くなっただろうが!」
「私の判断は間違っていませんわ」
「いつになく強気じゃねーか。まぁ、いつもの芋女よりはマシだ。その調子で、もう少し胸元でも開いて、固定客を作ってこい」
店長がソフィアの胸元に手を掛けようとした瞬間、ソフィアは店長の右手首を捻るようにして関節技でお返しした。
「い、いっでぇええ!」
店長の絶叫がフロアに響くも、ソフィアはきょとんとして店長に声をかけた。
「あら? いかがなさいましたか?」
ソフィアは、目の奥が笑っていない微笑みで店長の手をパッと離した。
『ソフィア! そんなことしたら、何されるか分かんないよ!』
すずはこの後に起る最悪な事態──殴られたり、蹴られたりすることを想像し、焦燥感に駆られた。
「ふん、やられたらやり返すまでですわ」
店長は動く左手を使い、ソフィアの腕を強い力で握りしめた。「来い!」と怒鳴り声と共に、バックヤードに連れ込もうとしたが、近くの卓に座っていた白髪まじりの髭を生やした七十歳ほどの男性がそれを止めた。
「おい、君。この席に来なさい」
「……こ、これは、これは神川会長! この女でいいのですか?」
「あぁ」
そう静かに呟く会長の周りには、若く爽やかなスーツ姿の会社員が数名座っていた。会長と呼ばれている上に、店長がひれ伏すあたり位の高い人であると、すずは察し身震いした。
──ソフィアが指名されるなんて……! ただでさえ、私も指名されたことないのに、どう振る舞えばいいか分かんないよ……!
どうしてリンなんか……と会長の嗜好を疑う店長だが、絶好のチャンスを逃がすまいとソフィアに耳打ちをする。
「いいか、リン。神川会長がこのキャバクラに来るなんて、おかしなことなんだ。それがどういうことか分かっているよな?」
「いえ、全く見当もつきませんわ」
「はぁ……。会長の周りにいる男どもが、接待はとりあえずキャバクラに連れてくればいいと安易な考えをしてここに来たに違いない。いくつものグループ会社を持つ会長からすれば、こんな安キャバに連れて来られちゃ、舐められてると不服に思うのも同然だ」
──つまり、男爵が公爵を安い酒場にご招待したということかしら? それならば、あまりいい気分ではないわね
「だから下手なまねは絶対にするな。そして会長をこの店の固定客にするんだ。いいな」
少し解釈が違うが状況を無事に理解したソフィアは、パーティーでご指名をいただいたのだからしっかりおもてなししなくてわ!と意気込み、目を輝かせた。
「えぇ! 公爵様を楽しませて参ります」
「こ、公爵……? 会長だ。名前を間違えるな!」
「あら、この世界の爵位ですの? まぁ私にお任せくださいな。お父様のご友人の公爵様たちとは、酒仲間なんですわよ」
『だ、大丈夫かな……』
この時代に爵位などないのだが、ソフィアは神川会長が公爵であると勘違いをし、自信ありげに席へ向かった。店長は不安そうにソフィアの卓を遠くから監視している。
「初めまして。リンと申しますわ」
すずに指示されたように名刺を差し出す。会長は片手でさっと取り、名刺を見ることなく胸ポケットにしまった。
「……なぜ店長に暴力を振るった?」
「正当防衛ですわ。それに、私は自分をあまり安売りしていませんのよ」
はぐらかすこともなく堂々とした返答に、会長は「ほお」と小さく微笑んだ。それを見たソフィアは、笑顔で会長に話しかける。
「あら、緊張がほぐれましたか? 先程、女性が話しかけていたときは、ろくに言葉を返していませんでしたでしょう? 会長さんももう少し笑顔でいてくれたら、この席ももっと楽しくなりますわ」
『ソ、ソフィア~~~!!』
ソフィアの欠点と言えば、まっすぐな心を持つがゆえの正直者。そして猪突猛進な行動力。アネットほどの悪人となれば話は別だが、下級の者を見下したりはしない。逆を言えば、上級の者に対しても敬意は払うものの、お世辞をつらつらと並べるようなこともしないのだ。
「終わった……」と絶望に打ちひしがれるすずと、みるみる青ざめていく同席の会社員たち。店長はソフィアを怒鳴りつけたかったが、ぐっと堪えて会長の言葉を待った。
目をぱちくりさせた会長は、今度は歯を見せて大きく笑った。
「はっはっは、面白い。ちょっとしたゲームをしようじゃないか」
「ゲーム……ですか?」
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