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 テーブルの上に赤ワインの入ったグラスが三つ並べられた。どれも同じ量が入っており、一見しただけでは違いが分からない。 「一つだけに高級なワイン、ロマネコンティが入っている。残り二つはどちらも味が似ていると言われているが、安物だ。ロマネコンティを当ててみせたら、リンを指名しよう。一番高価なシャンパンタワーを入れてやってもいい」  それを聞いた店長が「ちょっとお待ちをー!!」と叫びながら慌てて駆け寄り、会長の機嫌を伺いながら質問をした。 「も、もしコイツが外した場合は……」 「当然、店側がロマネコンティ代を負担しろ。それがゲームだからな」 『ひっ……!』  百万円ほどする高級ワインを店側が負担するなど、安キャバにとって大赤字だ。店長はなんとしても当ててほしいところだが、根暗でワーストワンキャバ嬢のリンに期待などしていなかった。 「リン。外したら、給与から天引きだ!!」 「そんな心配はご無用ですわよ。レングール家の名において、失敗は許されませんもの」  ソフィアは、給与というものが何を指すのか分からなかったが、外すなんてありえないことだと強気の姿勢でいた。 『そもそも天引きなんて、できるわけないじゃん……! しばらくタダ働き決定だよ……どうしよう……』  すずがグラスに近寄り、目を凝らして覗いてみたり、匂いを嗅いでみたりするも何一つ違いが分からなかった。きっと口にしたところで、すずには分からない。これがソフィアに分かるというのか。 『頼むよ、ソフィア……』 「では、始めますわね」  ソフィアはグラスを丁寧に手に取り、そっと香りを確かめる。一口も飲むことなくグラスを置き、残り二つも同様にそっと嗅いだ。 「あら?」 首をかしげるソフィアに対し、会長は意味ありげに微笑んだ。実は三つとも安物のワインが注がれているのだ。会長はソフィアを利用して、ロマネコンティをタダで飲もうとしているのではない。弁の立つ彼女が、どう外して言い訳をするのか興味があったのだ。 ──さて。どう言い訳を並べるか、お手並み拝見といこうじゃないか  会長は冷静さを装いながらも、ソフィアの次の一手を興奮気味に待っていた。 『ソフィアーー! しっかりしてよ!! 飲んでいいんだよ!? なんで手が止まるの!?』  すずの声が届いていないのか、ソフィアは再びグラスを手にすることはなかった。ソフィアの背後で涙目のすずは、両手を合わせ『お願いします、お願いします……』と神頼みをしている。 「そこのあなた。いけないわよ、高級なワインを入れるのを忘れていますわ。入れ直して来ていただけるかしら?」  ワインを注いできたボーイに優しく注意をし、会長に向かって謝罪をした。 「きっとボーイの方も、高級なワインを扱うのに緊張したのね。失礼いたしました。少々お待ちいただけるかしら。その間、こちらでもお飲みになって」  ソフィアは手慣れた様子で、会長のグラスにウイスキーを注いだ。 「……匂いだけで分かったのか?」 「えぇ。匂いにも色にも深みが全然ありませんでしたもの。レングール家の長女の目は誤魔化せませんわよ」  ソフィアの家、レングール家は広大な土地と気候に恵まれ、ワインやウォッカなどを醸造して領土を繁栄させていた。レングール家の一人娘であるソフィアも勉学に励み、酒には詳しかったのだ。さらにソフィアは、風邪を引けばホットワインを飲まされ、傷を作ればアルコール度数の高い酒で消毒されていたためか酒に強い体質になり、そしていつしか酒豪になった。 「完敗だ。試すようなことをして悪かったな。君がどう外して、どう言い訳をしてくるか楽しみにしていたのだが、まさかこんな展開になるとはな」 「あら、わざとでしたの? もう、意地悪ですのねー!」  嵌められたことを気にもとめないソフィアは、けらけらと陽気に笑っていた。 「リンにこの店で一番高いシャンパンタワーを」 『えぇぇえーー!?』  想像もしていなかった展開に、すずや店長、キャバ嬢たちは驚き唖然とした表情でソフィアを見ていた。ソフィアは「シャンパンタワーって何ですの?」と何一つ分かっていない様子だったが、無愛想だった会長が笑っているので良しとした。  シャンパンタワーなど滅多に出ることがないこの店では、ボーイが慣れない手つきでタワーをつくり、ゆっくりと運ばれた。 「あら、危ないですわね」 「シャンパンタワーは嫌いだったか?」 「いえ、初めて見たものですから。でも、これでは飲みにくいのではなくて?」  店長が手でソフィアの口を押さえ、代弁した。 「いや~、この子はまだ新人でして、シャンパンタワーを見慣れていないだけなんですよ~。このすごさすら、まだ理解できていなくて。ぜひとも会長のお力で、この子にシャンパンタワーをたくさん見させてあげてください~」  店長はソフィアの耳元で「ふざけるな! 一番の売上げだぞ! シャンパンタワーを頼みまくれ!!」と一言告げ、バックヤードへ戻っていった。近所の酒屋に電話し、酒をあるだけ持ってこいと頼み込んでいる。 『な、なんとかなったのかな……』  緊張状態だったすずも、ふっと肩の力が抜けソフィアの横にそっと座った。 他の卓についていたキャバ嬢たちがお礼を言いながら乾杯をしに来るが、ソフィアの耳元で「調子に乗るな」や「枕営業でもするの?」などと蔑まされた言葉が放たれた。 ──どの世界も女性の嫉妬は陰湿ですわねぇ  ソフィアは言葉を気にも止めず、目線をネックレスに向け、すずだけに聞こえる小さな声でソフィアは話しかけた。 「アネットはいないわね。魔法でネックレスを制御させている可能性もあるけれど……」 『探している人が誰だか分かんないけど、キャバ嬢の様子はいつもと一緒だよ』 「そう。ならば、ここではなさそうね」 ──アネットは一体どこに……  自分と同様にアネットも誰かに乗り移ったのであれば、外見だけでは判断できない。ソフィアはネックレスが反応するか見ていたが何も起らなかった。 「リン、何をぼうっとしておる。もっと飲め、飲め」 「はいっ! いただきますわ~!」  アネットがいないのであれば……今日は飲み明かすまで。酒豪のソフィアは、酒を浴びるほど飲んでいく。 「やっぱりお酒はいいですわね~!」 『飲み過ぎだよ!!』 ソフィアの活きのいい様に気分がよい会長も羽振りが良く、ソフィアの卓は大繁盛だった。 「リン。ここの環境は君に相応しくない。もっと質の高いお店に行くといい」 「質の高いお店……」 ──つまり高貴な方々がたくさん集まるパーティーってことよね。そちらの方がアネットがいる確率が高いかもしれないわ 「そうですわね」 「何かあればいつでも連絡してきなさい。どこに行っても応援するよ」  会長はメッセージアプリのQRコードを出した。連絡先を交換しよう、という意図だがスマホが分からないソフィアには何一つ伝わらず、にこやかに首をかしげた。一歩間違えれば、とても失礼な行為にあたるだろう。すずは慌ててソフィアに告げる。 『ソフィア! スマホを手に取って。右下にある緑色のボタンを押して……』  すずのアシストにより、ソフィアは会長の連絡先を無事にゲットし、会長をお見送りして一日を終えた。バッグヤードにて、今日の日払いを店長から渡される。 「今日の給与だ」  店長が今まですずに見せたことのない、満面の笑みを向けていた。このゴリラが笑うほど不気味なものはない、とすずは全身に鳥肌が立った。 ソフィアは、かつてすずが手にしたことないほどの分厚い封筒を受け取った。 『ソフィア、すごいよ! 一日で三十万円も稼ぐなんて!』 「三十万円……?」 ──通貨の価値が分からないけれど、すずが喜んでいるあたり、金貨百枚ってところかしら ちなみに、ソフィアの世界で金貨一枚は三十万円の価値がある。公爵令嬢のソフィアにとって、金貨百枚=三千万円もさほど大きな額ではない。 「この調子で、明日も頼むぞ! 明日は今日の倍以上、稼ぐんだな」  店長に肩をポンポンと叩かれ、ソフィアは汚いものを拭うように肩を払った。 「はぁ? 明日なんてございませんわよ。こんな空気の悪いパーティー会場なんて、もう二度と来たくありませんわ。では、ごきげんよう!」 『ちょ、ちょっと、ソフィア!? 何考えてるの!?』  店のガラス扉を背景にカーテシーを一回見せたソフィアは、そのまま去って行った。すずは慌てて追いかける。 「ま、待て! ゴルァ!! 誰が底辺のおまえをずっと面倒見てきたと思ってんだ!!」 店長は扉から顔を出し叫んでいるが、ソフィアは歩みを止めず、目的なくただまっすぐ進んだ。「最後まで野蛮でしたわね」とため息をつき、背後をとぼとぼとついてくるすずを見上げる。 「ほら、変われたでしょう?」 『うん……。でもさ、稼げたのにどうして辞めちゃうの?』  ずっと離れたかったキャバクラから解放されたというのに、すずはどこかまだ思い悩んでいた。 「あなた、あの男を嫌っていたじゃない。離れられたというのに、未練があるの?」 『日払いがなくっちゃ、お父さんに殴られる……風俗に売り飛ばされちゃう……』  感情の起伏が激しいすずにソフィアは顔をしかめた。 「まったく、次から次へと問題が出てくるわねぇ。とにかく家に帰るわよ。アネットは明日探すわ」 『……』  足がドシンと重くなったのを感じたがその場で立ち止まることはなかった。家へは帰りたい、いや、必ず帰らなければいけないと強迫観念があるようだ。 ネックレスがぽうと一瞬光ったが、お酒がほどよく回り反応が鈍くなっているソフィアは気づかなかった。 ***  深夜0時過ぎ。都内の総合病院で昏睡状態だった女性──相田晴子が、パッと目を覚ます。 「ふふふ……」  晴子は地獄から這い上がった悪魔のような笑みを浮かべた。
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