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「ソフィア・レングール! おまえとの婚約を破棄する!」 ヨータイン王国の宮殿で開かれた第一王子の結婚パーティーにて、王子レジスから婚約破棄を言い渡された女性、ソフィア・レングール。人目を引くほど美しく透き通った金色の長髪をサラリと靡かせ、首をかしげた。 「……(わたくし)のことですか?」  自分の名が呼ばれたのだと理解できるまでに五秒かかった。知性を感じさせるような切れ長の奥二重に宿る碧眼が曇った。 「あぁ、そうだ。二度も言わせるな」  銀河のように輝く前髪を掻き上げ、面倒くさそうにレジスは答えた。 「じょ、冗談でしょう、レジス様! 今日は私たちの結婚パーティーのはずですわ! どうして今、婚約破棄などなさるのですか!?」 「ソフィアとは結婚したくないからだ」 「そ、その理由をお教えくださいませ! 私も理由なくして退くわけにはいきません」  レジスとソフィアの関係は、政略結婚だけではない。幼い頃から学友として共に過ごし、身分の差はあれど家族ぐるみで仲の良い関係だった。学園の高等部に進学してからは、交流が減ってしまった二人だが、今日まで婚約が解消されることはなかった。 「教えてさしあげましょう、レジス様」  茶髪のボブカットの女性がソフィアの横を通り、レジスの横に並んだ。そしてレジスの腕に抱かれた。 「あぁ。俺は、アネット・アンベリーを妻として迎え入れる」 「……ア、アネットですって!?」  ソフィア同様に驚く招待客もいたが、レジスとソフィア、アネットと学園生活を共にした学友たちは当然のことのように頷きソフィアを睨んだ。状況が理解できず、側にいた両親の顔を横目で見るが、両親もソフィア同様だった。しかし、相手が王子であるが故に、両親は反論できずにいる。ソフィアが言葉に詰まっていると、アネットがソフィアの前に訪れ、ソフィアの手を優しく取り潤んだ目で語りかける。 「私たちお友達なのに、こんなことになってごめんなさい。でも、この気持ちだけには嘘をつけなかったの」  アネット・アンベリー。彼女は遠い北の大地で生まれた平民だった。アネットが幼い頃に両親が病死し、天涯孤独に生きていたが、頭の良かったアネットは貴族たちが集うこの学園の編入試験を受けた。才能がある者はどのような身分でも受け入れるとした特別枠を設けていたのだ。しかし特別編入試験の合格率は低く、アネットは学園の創業以来、初の平民出身の入学者だったのだ。難関試験を合格した人物かつ可愛らしさもあるアネットだけに、入学当初から注目を浴びており、天真爛漫な性格でレジスに近づいていた。 ──レジス様に近づいた時、情けをかけるんじゃなかったわ! アネットがレジスに近づいていたことは、ソフィアも知っていた。馴れ馴れしいアネットに苛立つソフィアだったが、この程度で怒っていてはレジスの妻として情けないとして危害は加えずに目を瞑っていた。  ソフィアはアネットの手を雑に振りほどき、レジスに訴える。 「レジス様! 学友から婚約者を奪うような女がよろしいのですか!?」 「では、学友に手を上げる女ならばいいというのか?」 「何度も申し上げますが、私はそのようなこと一切しておりません!」  アネットとレジスが親しくなった頃、アネットが「ソフィア様に叩かれた」「ソフィア様に罵声を浴びせられた」などの嘘を周りに言いふらし始めた。ソフィアは、ただの妬みだろうと気にせずいたのだが、なぜかレジスと学友たちは、それを信じてしまった。ソフィアは反論したが、その言葉も届かないほど、レジスとアネットは仲睦まじくなっていたのだ。 そしていつしかソフィアは悪者になり孤立していたが、婚約が破棄されていないことだけが支えとなっていた。きっとレジスも何か思うことがあるのだろう。幼少期から共に過ごした思い出が、きっと私たちを守ってくれていると思っていた。 なのに── 「ふん、加害者は誰だってそう言う。俺は嘘つきの妻などいらない」 「嘘つきはアネットです!」 「まぁ、ソフィア様ったら、あんな残虐なことをしておきながら、ひどいですわ……」  アネットは右手の甲にできた傷を撫でながら、涙目でレジスに訴えた。 「この手の傷も、おまえがやったんだろ!」 「違います!!」 ──アネット、演出のために自虐したというの? どれだけ必死なのよ 「ソフィア様。レジス様との婚約を認めてくだされば、すべて水に流しますわ」 「あぁ、なんて優しいアネットなんだ。ソフィア、俺もアネットの意見を尊重する。いい加減、罪を認めろ!」 「絶対に嫌ですわ。無実の人間に罪を着せるなんて、次期国王として褒められた行為ではございませんわよ?」  ついにソフィアはレジスに対しても怒りの矛先を向けた。 「俺に歯向かうなんて、どういうことか分かってるな?」 「歯向かうだなんてとんでもございません。婚約者として、レジス様が誤った道へ進まぬよう、止めているだけですわ。隣の女性は常識を持ち合わせていないようですから」  ソフィアはアネットの方をきつく睨んだ。 「それにレジス様がそうなさりたくても、平民であるアネットとの婚約は国王様が許してくださらないはずですわよ」  ソフィアとの婚約も国王の助言があってこそ成立したのだ。公爵である父と国王は、ソフィアとレジスのようにかつては学友であり、仲が良かった。我が子を婚約させようという話は、ソフィアとレジスが物心つく前から話されていたのだった。成長するにつれ互いに惹かれ合い、婚約者として認められていた。 「父上からは許しを得ている」 「……なんですって!?」  本来、王子と平民が結婚するなどありえないことだが、学園に入学できるほどの聡明さと品行方正さがあれば次期王を産む母親としては、申し分がないのだろう。父親としてレジスを尊重したゆえの決断か。 ──なぜ今日に限って、国王様が欠席なのよ! 発熱なんてするんじゃないわよ!  今朝、国王が発熱をしたらしい。婚約パーティーを中止する話も出たのだが、レジスに任せたらいいとして、国王不在のもとに決行されることになった。 「……国王様の許しを得る時間があったのならば、私との婚約パーティーを中止する時間もあったでしょう!? どうしてパーティーを開いたのよ!?」 「ふふ、賢いソフィア様なら分かるはずですわよ?」   再びレジスの腕に抱かれたアネットは、ソフィアだけに見せるように悪い顔でニヤリと笑い、顔とは裏腹に良心的な声で伝えた。 ──この女、私を完全に悪者にするためにパーティーを利用したんだわ! 「ソフィア様にも素敵な男性をご紹介するわ。くじけず頑張ってくださいね」  内心は屈辱と憎悪で溢れていたが、ここで感情的になって泣きわめくほど惨めなことはない。だが、黙って身を引くほど、ソフィア・レングールはお淑やかではないのだ。 「……いいですわ。レジス様はお譲りします。平民にお下がりをあげるのが貴族の務めですもの」  アネットの顔が歪む。自分が思っていた展開と違い、納得いかないのだろう。アネットはかかさず両手を顔に当て、演技力が高いのか自然と涙を流す。 「……ひどい、ひどいですわ! 私のことを平民だからと見下して……私は努力してここまできましたのに……」 「アネット、大丈夫だ」  レジスがアネットの頭をひと撫でし、周辺の護衛に声をかける。 「妻になるアネットを侮辱した罪でソフィアを捕らえろ!」  護衛はソフィアを捕まえようとするが、護身術に長けているソフィアはひょいっと交わした。 「あら、令嬢一人捕まえられないようじゃ、国の護衛も落ちぶれたものね?」  ソフィアは文武両道の女性だった。これもすべてレジスのためだ。王子の横にふさわしい妻になるべく、自分の身は自分で守れるような強い女性を目指し、令嬢としての作法や勉学だけでなく、剣術や護身術などを習っていたのだ。ソフィアが血気盛んなのは、この幼少期があったからかもしれない。 ──レジス様のために習った護身術が、レジス様から逃げる術となるなんてね…… 「くそっ! 一斉に捕らえろ!」  屈辱を受けた護衛隊長が顔に青筋を立てて護衛兵に告げた。さすがのソフィアも一斉攻撃に勝てるはずがない。覆い被さる護衛兵どもの隙間から見えたアネットは、ソフィアを嘲笑っていた。 ──アネット、許さないわよ! *** 「ここに入っていろ!」と護衛兵に連れてこられた地下牢にソフィアは収容された。鉄格子に囲まれたここに囚われてから数時間経っただろうか。地下牢に入れられてもなお悲観的にならなかった。 「お腹が空きましたわね……。こんなことになるなら、パーティーでたらふく食べておけばよかったですわ」  食いしん坊のソフィアだが、今回ばかりは主役であるがゆえに、空気を読んで控えめにしていたのだ。ソフィアの腹の音を掻き消すかのように、コツコツと足音が地下牢に響き、ソフィアの目の前で止まった。 「ソフィア様。ご機嫌いかが?」  天使のような顔をした悪魔が微笑んだ。 「あんたのせいで最悪よ」 「そうですか。それは最高ですわ」 「性悪女ね……。それで、私はいつここから出られるわけ?」 「そうですわねぇ……明日の処刑の時に出られるんじゃないでしょうか?」 「処刑!? いくらなんでも、公爵家の娘が婚約破棄程度で死ぬわけないじゃない!」  ソフィアが悲観的にならなかった理由としては、これがあった。アネットがレジスの婚約者になったとはいえ、現時点ではまだ平民だ。公爵令嬢が平民に暴言を吐いたとて、課せられる罪はさほど重くないはずだと考えていたのだ。 「あら、レジス様はソフィア様の死刑執行に同意していますわよ」  アネットはヨータイン家のみが発行できる公文書をソフィアに差し出した。 ──レジス様の字だわ……  たしかにレジスが直筆したサインがある。幼少期からレジスの字を見てきたソフィアだからこそ、これが本物だと分かった。ソフィアは心が折れ絶望に苛まれた。 「嘘でしょう……。そんなレジス様が……」 「ふふっ、その顔が見たかったのよ。最高ね?」  鉄格子の外からアネットはソフィアの頬をつんつんと突いた。 「そうね。可哀想だから、死ぬ前に一つだけ教えてあげるわ。実は私、魔女なの」 「……魔女……?」  ソフィアは記憶を巡らせた。 ──そういえば昔、お祖母様が話してくれたことがあるわ  かつて、魔女と人間は共存していた。しかし流行病が出ると、発生源は魔女だという噂が流れた。人間と仲良くしたかった魔女どもは魔法を使わずに、人間を責めることをなく北の大地へと逃げた。しかし人間からは忌み嫌われ、時代と共に魔力は衰退。いつしか魔女はいなくなり、滅亡したと祖母から聞いていたのだ。 「えぇ。入学試験に合格したのも魔法のおかげ。あんたの周りから人を遠ざけたのも、全部魔法よ。国王を欠席させたのも私だし、レジス様を操って名前を書かせたのも私。あぁ、それと、この傷も」  アネットは右手の甲にできた傷の上に、左手をそっと手を置いた。次に手を離すと、傷は傷跡を一切残さずきれいに消えていた。 「どう? すごいでしょう?」 「……へぇ。手の込んだことするじゃない。でもそれならば、最初から私に魔法をかけて、レジス様を譲るように差し向けたら良かったのではなくて?」  魔女相手に怯むことなく口攻撃をするソフィア。顔だけは天使だった悪魔はついに顔まで悪魔のようになった。 「あんたの先祖が魔女だったから、魔法の耐性がついてはじき返されたのよ。人間に媚びたふしだらな魔女のね!」  自分に魔力を感じたことはないが、祖母がやたらに魔女に詳しかったことから、先祖に魔女を持つことは納得ができた。 「あんたと同じ血が混ざっているだなんて心外だけれど、今回は助けられたわね。それで、 あんたは、何を企んでいるのかしら?」 「ふふ、国家転覆よ!」  アネットは積怨を爆発させ、歯を大きく見せて嘲笑った。 「これまで魔女というだけで私たちを痛めつけてきたんですもの、今度は人間が痛めつけられる番よ」 「……つまり、レジス様を操作して国民を残虐的に痛めつけると。それこそ、最初から国民を手にかけたらよかったじゃない」 「それじゃつまらないもの。じわじわと苦しむ姿を見るのが楽しいのよ」 ──この女、狂ってるわ……!  ソフィアはひんやりと冷たい鉄格子を溶かすかのように熱い掌でぐっと強く握りしめ、アネットを睨んだ。 ──アネットを止めないと。今ならまだ間に合うはずよ。レジス様やみんなの呪縛を解かなきゃ……!  ふと、ソフィアは足にかすかな振動を感じた。 「地震?」  揺れはすぐさま大きくなり、ソフィアは少し体勢を崩した。 「あらやだ、急いで地上に戻らないと」  地上に続く長い階段を上るほどの余裕はないと判断したアネットは、指を鳴らし自身の足元に魔方陣を作った。魔方陣から浮かび上がる黒い光がアネットを包む。 「一人で逃げるなんて許さないわよ!」  ソフィアは鉄格子の間から腕を伸ばし、アネットの胸ぐらを掴んだ。すると、ソフィアから白い光が放たれ、黒い光からソフィアを守ろうとしていた。 「これは何!?」 「防御魔法……!? ソフィアの眠っていた魔力が解放されたというの!? ますますあんたを生かしてはおけないわ」  ソフィアが魔法を使えてしまえば、地下牢から脱出が可能になり、レジスたちの呪縛も解かれてしまう。それを恐れたアネットの魔力は強くなり、黒い光が二人を纏った。ソフィアが掴んでいたアネットのガーネット付きのネックレスがぶちんと弾けた瞬間、ソフィアの目の前が歪み、スンッと暗闇に落とされた。  暗闇の中、映写機に写されたかのようにある光景が目に浮かんだ。 「あなたは誰……?」  高い建物の屋上で天を仰いでいた女性が、ふっと重力に従って落ちる直前だった。 「待ちなさい!」  暗闇の中ソフィアが手を伸ばすと、視界はパッと明るくなり、ソフィアの知らない光──ネオンが遠くで光っていた。
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