兵庫県明石市在住の35歳男性の願い

1/1
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

兵庫県明石市在住の35歳男性の願い

太田祐(たすく)は兵庫県明石市で暮らしている35歳の会社員。妻と娘の3人で3年前に購入した戸建て住宅で暮らしている。 友人に誘われたゴルフから帰る途中、祐の運転していた車がガードレールを突き破って転落した。前日遅くまで残業をしていたから疲れが溜まっていたのだろう。 祐は転落事故の直後意識を失っていたが、しばらくして意識を取り戻した。 意識は辛うじてあるものの身体は動かない。助からないだろうことは何となく分かる。 祐がぼんやりと車の外を見ていると、そこには少年と白い猫が立っていた。 「あんたが太田裕か?」と声が聞こえる。 「そうだけど、君は?」と祐は朦朧とする意識の中で尋ねた。 「説明が難しいんだけど、俺は君たち人間が「死神」と言う存在だな」 「死神か……。やっぱり、僕は死ぬんだな」と祐は少年につぶやいた。 「そっちじゃない!」と声が聞こえた。 「えっ? 死なないのか?」と祐は聞き返す。 「そういう意味じゃねーよ。お前は死ぬ。これは確定! いいな?」 「ああ、そうだろうな」 「そうじゃなくて、お前は少年に向かって話しているよな?」 「ああ……そうだよ。少年の死神なんだろ。それがなにか?」 「そっちは俺の助手だ。死神はこっち!」と猫は言った。 祐の死神のイメージは、鎌を持ちフードを被ったガイコツだ。 白猫が死神? イメージが湧かない…… 「死神って猫なの?」思わず祐は聞いた。 この会話は猫にとってはいつものことだ。「本当に?」とか「猫なのに?」とか「死神だニャー!」とか言われている。不名誉なことだ…… 「いろいろだ。犬も牛も鳥もいる。俺はたまたま猫」と猫は説明する。 「ガイコツの死神はいないのか?」 「ガイコツはいないなー。だって、ガイコツの必要性がないだろ?」 「なんで? 死神といえばガイコツじゃないか」 「ガイコツって、動かねーよ。見た目が怖いけど、自分で動かない死神ってどーなの?」 「そう……だな。じゃあ、人の死神はいないのか?」 「人は見たことないな。死神定例会議でも会ったことない。理由は分からないけど、人だと死にかけの人に感情移入するからかな?」 「へー。死神の世界にもいろいろあるんだ……」 「そうそう、大事なことを伝えるのを忘れてた」と猫は言った。 「僕が死ぬこと?」 「それもある」 「それ以外に重要なことある?」 猫は少し間をおいて言った。 「お前、最後に叶えたい望みはあるか?」 祐の顔が少し緩んだ。 「最後に俺の願いを叶えてくれるのか?」 「お前の人生について話してみろ。お前の願いを叶えるべきだ、と俺判断したら叶えてやろう。ちなみに、寿命を伸ばせとかはダメだ」と猫は言った。 「死神が感動しそうな話か……。分かった」 そう言うと祐は話し始めた。 *** 僕が妻の葵(あおい)と初めて会ったのは、高校に通学する電車の中だった。 高校1年生の時に僕の高校の制服を着た女子生徒が、毎日同じ時間に同じ車両に乗っていることに気づいた。1年生の時は毎日顔を見かけていたけど、一度も話しをしたことはなかった。 高校2年生になった時、葵と同じクラスになった。 僕は演劇が好きだった。 休み時間に演劇の雑誌を見ていたら、葵が話しかけてきた。葵も演劇が好きだった。 僕たちは意気投合して有名な劇団の公演を一緒に見に行くことになった。 その後、僕と葵は定期的に演劇の公演に行くようになり、3回目の公演のときに僕たちは付き合うことになったんだ。 僕の高校生活は葵との生活だったと言ってもいいだろう。 でも、大学生になると事情が変わった。僕は大阪の大学、葵は東京の大学に進学したから。大学に入学して半年後に葵とは自然消滅した。よくある話だ。 僕は大学生の間、何人かの女性と出会って、付き合って、別れてを繰り返した。 僕たちが再開したのは僕が社会人3年目の時に参加した同窓会だった。 葵は東京の大学を卒業した後、東京の会社に就職していた。 一方、僕は大阪の大学を卒業した後、東京の会社に就職した。 葵に久しぶりに会った僕は、別れてからの出来事と僕の近況を伝えた。 僕が住んでいたのは浦安で、葵は葛西に住んでいた。「近くに住んでいるんだね」と盛り上がって、その後、二人で会うようになったんだ。 葵と何度か会っていて、僕は葵に特定の男性がいることに気付いた。 僕と会っている時に誰かから頻繁にLINEがきていたから、何となく気付くよね……。 僕は勇気を出して葵に「付き合っている人がいるの?」と聞いたんだ。 そうしたら、葵は職場の上司と付き合っていることを教えてくれた。その男は結婚していたから、二人の関係は不倫だね。 僕は葵に「その男と別れて僕と付き合わないか?」と聞いた。でも、葵は「僕よりもその男の方が好きだ」と言った。残念ながら、僕は振られた。 それでも葵のことを諦められなかったから、去り際に「その男と別れたら、僕に連絡してほしい」と葵に言った。 半年くらい経った頃、葵から連絡があった。不倫相手との間に子供ができたらしい。 僕は葵に「不倫相手と結婚するのか?」と聞いたら、葵は「むこうの家庭に迷惑をかけられないから、一人で育てる」と言った。 僕はその時のことをよく覚えていないのだけど、「一緒に暮らそう」と葵に言ったらしい。 その後、僕たちの生活は始まった。葵のお腹の中には子供がいたから、葵の両親を安心させるために僕たちは結婚した。 しばらくしたら葵は出産のために明石市の実家に帰ることになった。葵が実家に帰ったタイミングで、僕は東京の会社を辞めて明石市の会社に就職した。葵には相談しなかったけど、葵が子供を育てるのに実家に近い方がいいと思ったからだ。 僕が東京の会社を辞めて明石市の会社に就職したことに葵は驚いたけど、特に怒ってはいなかった。 生まれてきた娘が結衣(ゆい)だ。 僕は結衣の本当の父親ではないけど、初めてパパと呼んでくれた時は本当に嬉しかった。 実は、今日は結衣の5歳の誕生日だ。 車のトランクの中に買ったプレゼントが入っている。 家に帰ったら渡すはずだったんだけど、こんなことになってしまって。 結衣の成長が見られないのが残念だ……。 *** 話を聞いた猫はゆっくり「70点」と呟いた。 「70点か……」 「感動は70点だけど、おまけしてやる」 「本当?」 「奥さんも結衣ちゃんも可哀そうだし、二人がちゃんと生きていけるように、応援するよ!」 「ありがとう」 猫は「最後の望みは何だ?」と尋ねる。 「僕の願いを叶えてくれるんだ。ありがとう。ちなみに、個人的なお願いでもいいかな?」と祐は遠慮がちに言った。 「いいぞ。二人が生活できるための金か? それとも……」 「じゃあ、言うよ」 「言えよ!」 「本当に……言うよ」 「だから、言えよ!」猫はキレている。 「僕の……パソコンのデータを……全消去してほしい」 「はぁ? 奥さんは? 結衣ちゃんはどうした?」 「パソコンのデータ消去はダメか?」 「ダメではない。ダメではないぞ。約束したからな……」 「じゃあ、頼む」 「分かったよ……ちなみに、エロ動画か?」 「ああ……」 そう言うと祐は遠くを見たまま動かなくなった。 *** 「午後4時34分、亡くなったみたい。いい顔をしてるね」と少年は言った。 「そうだな。これで、安心してあの世に行けるだろう」 「この人の願いもみんなと一緒だったね」 「そうだな。20~30代男性の10人中8人は『エロ動画消してくれ』だ。まあ、可哀想だから消しといてやるか」 「そうだね」 そう言うと猫と少年は事故現場から立ち去って行った。 死神の仕事はまだまだ続く……
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!