犬縁

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「あなたが好き、あなたを愛してる。  あなたのことを考えると眠れない。  あなたがほしい。あなた、あなた。」  私は、窓辺にあるジャスミンの鉢植えに水をやりながらブツブツと独り言を言っている。 実生活の私に愛している人なんていない。人間が苦手な私に恋人も友人も存在するわけがない。 人が近寄って来たら逃げて会話もできないからだ。 いつからこんなことになったのだろうか。 私はもともとこんな女なのかもしれない。 そんな私が何故ブツブツと愛を語っていたのかというと、うまれてはじめての恋をしたのだ。  ある日、私はいつもの帰り道を歩いていた。 私は片道1時間の道のりを通勤している。高校を卒業して、やりたいこともなかったから事務員として就職したのが今の会社でもう15年も働いている。 給与も待遇もまぁまぁだが、私にとっては居心地の良い場所だ。あの日も仕事を終えて、会社から10分歩いて駅に向かい満員電車に乗り自宅の最寄駅まで帰ってきた。いつも行くスーパーで夕飯の買物をした。今日は疲れていたから、ビールとお惣菜で済ますつもりだった。スーパーでお会計を済ませるとまた家まで10分歩く。商店街をぬけて右手に公園を見ながら歩くと最後の難所の坂が目の前にあらわれる。私の家は坂の上だ。疲れていると家が遠く感じる。私は、公園のブランコに座った。  昼間なら子どもたちが元気に走り回り、子どもたちの母親たちが井戸端会議をし、ベンチで老人が笑顔で座っているがしかし、今は人はいない。 私はビールを一つ取り出し呑んだ。疲れた体にしみるゴールドの液体が私を幸せな気分にさせてくれる。私は空を見た。きれいな満月だ。 「わん。わん。」  視線を地面に戻した。犬の鳴き声が聞こえて来るではないか。私はブランコを降りて滑り台へと向かった。その滑り台の下に犬がいたのだ。ダンボールに入れられた子犬だった。ダンボールには餌とタオルが入っていて、ダンボールにご自由にどうぞと書かれているのだ。私は、怒りを覚える。 ご自由に小さな命を捨てるなんて許せない。しかしながら私は賃貸アパート暮らしでペットは飼えない。どうしよう。 私は空を眺めて神様にお願いをした。 「どうか良い飼い主さんが来ますように。」 私はしばらく犬と一緒に過ごした。惣菜とビールを食べながら。 「大丈夫かい?」 私はびっくりして立ち上がった。そして、滑り台に頭をぶつけてしまった。 「失礼しました。犬の鳴き声がしたもので、捨て犬かと思いつい話しかけてしまいまして。」  そこには、ハンサムな男性が立っていた。私は緊張してしまい身体が固まってしまった。 「あの、いえ、あの。私困っていて。私の家では飼えなくて、でもこの子がかわいそうでだから、一緒にご飯食べて途方にくれてたわけであります。」 男性はニコッと笑った。 「優しい方なんですね。僕今、ペットを飼おうとしていたところだからこの子僕が預かります。」 「はい。」 「お惣菜美味しそうですね。からあげ。坂下のスーパーのでしょう。」 「はい。あっ、食べますか?」 「ありがとう。」 男性はニコッと笑いながら唐揚げを食べた。唐揚げをかっこよく食べれるなんてすごいと思った。  私と男性は犬とともに公園を出た。 久々にプライベートで男性と話した私は坂道を歩きながら無駄に心臓がドキドキした。だって、男性はアパートの先の大きな家の主なのだから。 その日は興奮して眠れなかった。羊を500匹も数えた。 そしてまた1週間経った日。私はまたしても仕事で疲れていた。スーパーで買物をしていると、ビール売り場に彼がいたのだ。 「あのときの。」 「はっ、あの、はい。私です。」 私はまた緊張した。 男性は唐揚げとビールを買っていた。 「あの、もしよかったら一緒に夕飯食べませんか?僕の家で良ければカンタもいますし。カンタはあのときの犬です。」 私は帰りたいような行きたいような複雑な気持ちで彼の家に行った。犬は元気そうだった。しっぽを振りながら飼い主さんを待っていた。私と彼はその夜たくさんの会話をした。私はゆっくりだが男性との会話に慣れていった。ふたりともお酒が進み酔っぱらった。グラグラと空気が揺れる。私はトイレに行きたくなり立った。ヨロヨロする私を彼が支えてくれる。彼からは良い香りがした。私はその晩彼の家に泊まった。  彼とはその後も友人として付き合っていた。 他愛もない話をして呑む時間は楽しかった。 カンタが運んでくれた縁に感謝していた。  なのに。 昨日の夜、いつものように帰宅したら彼の自宅の方が騒がしいことに気がついた。私はなんだか胸騒ぎがして、彼の家に向かった。そこは、ドラマの中で見たような事件現場になっていた。   彼は逮捕された。カンタの鳴き声が聞こえた。  彼には彼女がいた。モデルさんのように手足が長い素敵な女性だ。彼はその女性を殺したのだ。彼女を何度もナイフで刺して。彼は、人形が壊れていくみたいで気持ちよかったと語ったらしい。ニュース番組によれば、過去に彼に関わった女性3人も行方がわからなくなっているらしい。なぜ事件が発覚したかといえば、彼女のスマホがたまたま彼女の友人に繋がっていたから。 私は心が冷えた。私もそのうち殺されていたのだろうか。今、ニュースキャスターが話している彼の話を聞きながらうずくまる。 しかし、ニュースキャスターの一言で震えは止まった。彼は、美人は壊したくなるがブスには興味がないから安心して遊べると話したらしい。だから私は安心されたのだ。 笑えた。笑えた。そうだ。私はブスだ。だから彼は安心していたのだろう。なぜか涙が出てきた。 私は殺人鬼の彼を愛していたのだろうか。  犬にまつわる縁に幸せを感じていたのに。 私は犬が嫌いになった。犬の縁だとか、人を信じた私はバカだ。私は水をやったジャスミンの鉢を力いっぱい床に投げつけた。
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