家には既に私が居る

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「お客さん、起きてください……。 着きましたよ……」  運転手に声をかけられ、駅前のロータリーに止められたタクシーの中で目を覚ました。  頭が痛く、記憶が混濁している。 「あぁ、ありがとうございます」  財布から一万円札を彼に渡すと、お釣りを受け取って改札口に歩く。  仕事を終えて、自宅に帰るために駅に向かっていたのだ。  電車に乗って手帳を確認すると、取引先で商談をしてきた事が自分の字で事細かに書かれている。  その時初めて、出張中だった事が分かった。  だが、まったく記憶にない。 「はぁー……。 俺も疲れているんだな……」  帰れば妻と娘が自分の事を待っている。  彼女たちは俺の仕事を理解してくれていて、家族関係は良好である。  しかし一生懸命働いてきた事もあって、あまり家族との時間を作れていない現実が辛い。  出張は今日で終わったし、しばらく休みを取って旅行に行くのも悪くはないだろう。  帰宅したら、娘に行きたい所を聞いて企画しようと思う。  最寄り駅に到着して改札から出ようとすると、激しい雨が降っている。  傘を持っていなかったので妻に車で迎えに来てもらおうとスマホをポケットから取り出した。 「あれ?おかしいなぁ……」  圏外表示になっており、使えないのだ。  仕方なく駅前のコンビニで傘を買い、歩いて帰る事にした。  十分程歩いて自宅が見えてくると、何だかいつもと違った感覚に襲われる。 「俺にはこんな可愛い奥さんと娘が居て幸せだなぁ。  ご飯も美味しいし、言う事なしだよ……」  家には灯がついているのだが、自分が居ないのにいつもの様な楽しい会話が聞こえてくる事を不思議に思って、窓からダイニングを覗いてみる。 「どういう事なんだ……?」  そこには、私がもう一人居る。  妻と娘は何も不審がっている様子はなく、いつも通りだ。
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