別れ

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別れ

「連ドラ、出ることになった」 彼の、形の良い唇が言葉を形取る。 店内に流れているお洒落な洋楽が鼓膜に触れた。 ぶるりと身震いした鼓膜が、私に似てると思った。 「へえ…」 私の空返事に彼は少し寂しそうに眉を寄せた。 私の感情を煽るみたいに、 今日も窓の外は晴天だった。 「…良かったじゃん」 「……ありがと」 付け足すみたい言った私に、 付け足すみたい省吾が言う。 自分の心を覗いてみる。 自分のことしか考えていない、暗い感情がクツクツと渦を巻いていた。  ほんと最低。 省吾の報告を聞いて、はじめに出た言葉が『おめでとう』じゃなかった自分を、心の内で叱る。 カシャ。 隣のテーブルでカップルが自撮りをしている。 私達には出来ないことだったから、今更羨ましいと思った。 「それってさ、別れるってことだよね」 私が顔に一切の表情も出さずに言うと、 彼はぐにゃりと顔を歪めた。 「……うん。ごめん」 平気だよ。 声が出なかった。 窓からの日差しが痛い。 もう、秋なのに。 「ほんと、ごめんな」 「謝んないでよ。そういう約束だったじゃん」 口角をぐいっと押し上げる。 彼が好きだと言った頬の肉が持ち上がり、目が細くなる。 ふと足元に視線を泳がせると、スニーカーの紐がほどけていたけれど、タイミングは絶対今じゃないなと思って、やめた。 数秒の沈黙がわたし達の間を流れる。 隣のカップルの声が、やたらとうるさかった。 「ねえ、省吾(しょうご)」 隣に負けないくらい大きな声を上げたら、少しの視線を浴び、省吾が若干嫌な顔をする。 「離婚届、書いとく?」 私は奥歯が見えるほど口角を上げて、 にやりと笑う。 笑ってくれれば良かった。 でも、省吾はスと悲しい顔をする。 省吾にそんな顔は似合わない、そう思った。 そんな感情が透けて見えたのか、省吾は無理矢理笑ってみせた。 こういう演技は、へたくそだ。 「うん、書こっか」  冗談、だったのにな。 私は何だか投げやりみたいに、 大学帰りのリュックからルーズリーフを取り出して、机の上にバンと置く。 でも、それからすぐに、イライラしてる自分が馬鹿みたいに思えて、ペンケースは優しく置いた。 そこからは黙って黙々と、離婚届を書いた。 わたし達の間に流れる二度目の沈黙を、隣のカップルのシャッター音が埋める。 最後に『離婚届』を書くとき、 芯がボキッと折れた。 力、入ってたみたい。 「はい、名前書いて」 私は自作の離婚届とシャーペンを差し出す。 省吾は黙って受け取って、やっぱり黙々、相変わらず下手くそな字を記した。 私はその様子をじっと瞬きを我慢しながら見ていた。 なんだか、瞬きをしたら負けな気がした。 瞳孔に膜を張るその雫が零すのは、少し悔しかった。 「ねえ」 省吾のつむじに声を掛ける。 彼、いよいよ顔は上げなかった。 「ん?」 彼の手は止まらない。 「夫婦って、なんだろね」 「案外難しいね」 「紙切れに判を押して提出するだけで、夫婦になっちゃうんだもん。変だよ」 「俺らだって、同じことしたのに、夫婦になれなかったね」 ズキッと胸のあたりが痛んだ。 それを表すように、紙の上で芯がボキッと折れた。 カチカチ。 彼がシャーペンのヘッドを2度押した。 「不思議」 「ね」 彼は書き終える最後まで顔を上げなかった。 私はじっと書き終えるのを待ちながらぼーっと過去を振り返る。 大したことはしていない。 省吾の仕事上、彼氏自慢はできなかった。 インスタに『#大好き』とか付けて投稿することなんてできなかったし、会えるのも我が家だけ。 水曜日の午後5時から8時まで。 普通のカップルらしいことは出来ていない。 でも、幸せだった。 ある意味、夫婦だったのかもしれない。 コトン。 省吾がシャーペンを置いた。 それから顔を上げ「はい」とペラッペラの離婚届を手渡してきた。 「せんきゅ」 今度は私が書く番だ。 シャーペンを握ると、じんわり省吾のぬくもりが伝わってきてジワッと涙腺が緩んだ。 いけないいけない、と首を振りながら省吾の字の隣に書き込む。 なんだか隣のカップルが私達の沈黙の間に入ってくるのが嫌で嫌で、わざと口を開いた。 私より仕事を選んだ省吾を、心の何処かでは恨んでいたのかもしれない。 そっとひどい言葉が口を飛び出す。 「私、待ったりしないよ」 「……え?」 「省吾が大御所になって、一般人と結婚してもいいようなご身分の俳優になるまで、待ったりしないよ」 我ながら、優しくないよなあ、と思う。 「……わかってるよ。待ってもらおうなんて思ってない。」 「だから、省吾も待たなくて良い」 「……は」 「どこぞのお姉さん方と熱愛出しちゃっても良い」 「え、何言って……」 「綺麗な女優さんと、結婚報道だしちゃっても、、別にいい。」 「……おい」 「第二子誕生のニュースも、黙って見る」 「」 「省吾の写真、ネットにばら撒いたりしないから安心してよね」 「…くるみ。」 「あ……私達写真撮ったことなかったね、はは…」 「くるみ!」 省吾の声に顔を上げる。 その拍子に涙が弾けた。 離婚届、の文字が涙で濡れる。 「その冗談……好きじゃねえ」 私は涙を拭いながら 「ごめん……」 口をモゴモゴさせる。 ふと、省吾の頭上の時計に目をやると、 ああ、もうすぐ7時半だった。 もうすぐ、ばいばいだ。
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