昭和の人間ー愛犬との七年間ー

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 それは春だったはずだ。僕は小学生に上がり、宿題をせずに毎日叱られていた。叱られて泣きながらコンカギを抱き締めに庭に出る。そんな毎日の中、僕が学校から帰ると夕方にいるはずのコンカギがいなかった。お母さんもおばあちゃんもいなくて、おじいちゃんが難しい顔で居間のソファに座っていた。 「コンカギは?」 「いなくなった」  真顔で一言を返すおじいちゃんに僕は言葉が詰まる。 「みんな探しに行っている。探しに行くぞ」 「なんで? なんでコンカギはいなくなったの?」 「さあな。珍しく大きく鳴いたから鎖を放したらいなくなった」 「どうして……」 「探しに行かないのか?」 「行く!」  おじいちゃんは立ち上がり、壁にかかった軽トラの鍵を取る。僕は黙っておじいちゃんの背中をついていく。  おじいちゃんの軽トラの助手席に乗って、両手をギュッと握った。 「犬猫は死ぬときは姿を消すって言うからな」 「死ぬ……」  おじいちゃんの言葉に何も言い返せない。信じたくはない。 「先代も先々代も姿を消した。だが、お前はイヤなんだろう?」  こくんと頷いて見せる。もしコンカギの寿命が近いのであっても、僕は最期までコンカギの側にいたかった。  おじいちゃんの車は山道を進む。おじいちゃんの畑がある場所よりずっとずっと山奥。 「コンカギを呼べ」  おじいちゃんに言われて僕は叫ぶ。大きな声で。 「コンカギーーーー!! コンカギーー!!」  おじいちゃんは軽トラをゆっくり走らせる。僕は叫ぶ。 「コンカギーーーー!!」  喘息が起きても良かった。コンカギに帰ってきて欲しかった。今までずっと一緒にいたのに。これからもずっと一緒にいるはずだったのに。 「コンカギーーーー!!」  コンカギはきっと帰ってきてくれる。きっと応えてくれるはず。太陽はだんだんと山際に下がり、反対側から闇が広がっていく。 「コンカギーーーー!!」  コンカギの声なんか聞こえやしない。姿なんかどこにも見えない。それでも精一杯叫ぶ。 「コンカギーーーー!!」  喉がヒューヒューと鳴り出す。 「コンカギーーーー!!」  太陽は沈んだ。 「もういい。帰るぞ。もう充分だ」  おじいちゃんが言い放つ。僕の喉はゼイゼイと鳴り出して、まぶたにはいっぱい涙が溜まっていた。喘息の苦しさなのか、コンカギがいなくなった悲しさなのか僕に判別はつかなかった。  家に帰った僕をお母さんは、自分の車に乗せかえて病院に向かう。後部座席で横になる僕の頭はコンカギのことでいっぱいだった。 「コンカギってね、お母さんのお姉さんが名付けた黄金って意味だからね、コンカギは金の風になったんだね。最期まで賢かったね」  お母さんはそう声をかけてくる。僕は苦しすぎて何も言えなかった。 「誰でもね、死ぬときは来るんだよ。大事にしていたからコンカギは姿を消したんだろうね。逃げた訳じゃないんだよ」  先代と先々代のコンカギがいなくなったとき、お母さんは苦しかったんだろうか? そんな話を僕は聞くこともできなかった。ただよく分かった。僕は本当にコンカギが大好きだったんだ。
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