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旅の空
離陸直前に張りつめた機内の空気が和らぎ、一瞬止まった時計の針がふたたび動き出すように、乗客も乗務員も動き出した。
「コールさんは、そのー。過去の事件なども覚えてらしゃるんでしょうか? 例えば日本とか。東京での事件なんかも」
「読んだ記事なら全部覚えています。特に興味を惹いたものなら詳細に」
「す、凄いですね。では。資産家、金剛喜三郎の事件はどうでしょうか?」
機内販売が通り過ぎるのを待つようにマチルダが問いかけた。
「ああ。見出しが躍った事件でしたね。自室で全身めった刺しの、ご婦人の前で失礼。自室で喜三郎氏の遺体が見つかり、しかも密室だったというやつですね。捜査の結果、自殺だったと」
「そうです。その事件です。実は私、未解決だと思っているんです」
「それは、なぜ?」
「だって、自分で全身を刺せますか?」
「ああ。当時、世間も騒ぎましたね。自殺は不自然すぎると。ただ喜三郎氏は用心深く、窓もない自室に他者を入れる事はなく扉もオートロック。暗証番号なしでは出入りが不可能なうえ、凶器のナイフには喜三郎氏の指紋しかついておらず、本人の手も自身の血で濡れていました。そして扉や壁の血痕から、それらを利用して自身で刺したと断定されました。つまり他殺としても、それはそれで不自然です。なにより完全な密室ですから」
コールの反論が分かっていたかのようにマチルダは軽く頷いた。
「事件の詳細。コールさんはどの程度ご存じですか? もちろん情報の範囲で構いません」
どんな意図があるにせよ束の間の語らい。過去の事件とマチルダの関係を詮索するのは、コールにとっては無意味だった。
「現場は東京の八本木ヒルズ。喜三郎氏が所有する最上階の自宅。死因は全身を刺されたことによる失血死。喜三郎氏は愛妻家で有名でした。年の離れたスカーレット夫人は、異国の地ということもあり他者やメディアから色々と言われたようですが、すべて喜三郎氏が矢面に立って守っていた。そんな喜三郎氏の死に、スカーレット夫人は三日三晩意識を失っていたとか」
コールがひと呼吸間を開けたが、マチルダは黙ったままだった。それを見たコールは話を続けた。
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