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誰が為
「どうしてそんな必要が」
マチルダは小さく肩を震わせた。
「木を隠すなら森の中」
「え?」
「喜三郎氏は傷を隠したかったのでしょう。なぜなら、それで犯人が分かってしまうから」
「傷を。隠す?」
「はい。犯人を示唆できる傷口があるなら、それは背中の刺し傷です。喜三郎氏の背中を刺せる人物。用心深い喜三郎氏が、唯一背中を見せた人物」
「それって……」
「それは。スカーレット夫人です」
「だからって」
震える指先がコールの袖を掴んだ。
「ここからは私の邪推なのですが。夫人は喜三郎氏と家政婦の関係を疑っていたのではないでしょうか。休暇を言いつけたのも喜三郎氏ではなく夫人でしょう。その最後の日に邪魔が入った。話し合うつもりだったかもしれません。しかし事故か故意か、背中を見せた喜三郎氏を夫人は刺してしまった。そして扉が閉まり密室となった」
「救急車を呼んでいれば」
「喜三郎氏は大丈夫だと言ったでしょう。そして料理の指示も。落ち着かせる意図があったかもしれません。手に血がついていたとしても自然と落とせます。とにかく喜三郎氏は夫人に刺されたことを知られたくなかった。部屋を訪れる三人には顔だけを覗かせ対応したのでしょう。しかし、そのまま死んでしまっては事実は露呈してしまう。妻を世間から守らなくては。そこで背中の傷を隠すために全身を刺した」
「どうして! そうまでして隠す意味なんか!」
「あったのでしょう喜三郎氏には。どれほどの痛みを伴ったか。しかし、それを超えるものがあったのでしょう。愛。と言うんでしょうか。私には分かりませんが」
「そんなこと。言葉で」
「日本人は愛情を言葉にするのが不得意だと聞きます。それを美徳と捉えるのは愚かに思いますが、その行為は喜三郎氏の愛情の深さを思わせます」
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