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鳥が鳴いている。ししおどしが鳴る。春めいていて暖かい。
とても、穏やかな時間だ。
それなのに。……それなのにどうして、このおばあさんは、変なことを言うんだろう。
「驚かれるのも無理はないですわ」
ほほほ、と。
「世間の一般常識から外れていますればね。道理に外れているとわたくしをなじる身内なぞもおります。……けれどもそのような輩にはわからずともよい。未来を立派な帝王に仕立て上げることのみが、わたくしの目的なのですから」
あたしは、なにも言えない。……なにも。
「コロは……公子は。その目的にほんとまあよく貢献してくれています。いまどき珍しい、けなげで、気丈な子です。頭もよいし、流されることを知っていながらして一本芯も通っている。なにより、自分をわきまえている。……あの子にとってはわたくしは鬼以外の何者でもないのでしょう。あの子を人間から畜生へと堕としたのはほかでもなくわたくし、天王寺薫子でございます。……わたくしはあの子の人間としての人生を奪いますれば」
「――じゃあどうして!」
こんな大声を出した時点ですでに自分でも、失礼だとはわかっていた。とってもえらいひとに向かって。でも。……あたしは声を上げずにはいられない。
「どうして……公子さんにそんなことするんですか? そんなことしたんですか? 駄目じゃないですかそんなの……犯罪なんじゃないですか……」
「あなたはお優しいかたなんですね。……公子にも、あなたのような仲のよいお友だちがいるのであればすこし安心しました。あの通り、未来以外にはほとんど興味関心を示さない子なものでして」
「でも……」
――あたしの足なんか必死で舐めていた公子さん。
「……公子さん、すごくつらそうでした。未来さんに、泣きながら謝ってました。……公子さんは虐待されてるんじゃないんですか?」
「そういうことではないのですよ。……あの子は犬として当然の反応をしているだけなのです」
「だって……だって、公子さんは人間ですよね」
「ええ。おっしゃる通りです。あの子は見た目通りの人間、ホモ・サピエンス。戸籍上は天王寺家の養子になっていますので、法律上も問題なく人間、もっともいまどき奴隷制など数千年古いのでしょう。小学校から大学まで通わせました。いまこうして同僚の須藤さんともいっしょに働いているわけですから、あの子は社会的にも人間です、なにもこの家に閉じ込めて外に出さないわけではないのですよ。……人間として最低限のことはわたくしはあの子にもしてまいりました」
「じゃあ……じゃあ、なんで。あたし、もっと、わからないです……」
「帝王に必要な素質というのはいろいろとございますがね、わたくしは、ペットを飼えばよろしいのではと考えました。……それも人間のペットであれば。すがたかたちがおなじなだけ、効果的なのですよ。……けれどあなたもお思いになるでしょう? 誘拐も監禁などご法度だと。天王寺の名前に傷がついてもいけません」
「そんなの現実的に無理なんじゃ……」
「ええ。わたくしもそのように思っておりました。……なので公子はやはり贈りものだったのでしょう。――あの子の母親はいっときだけ、天王寺家の使用人でございました」
「……公子さんのお母さんが?」
「それも末端。使用人の使用人の使用人、とでもいったところでしょう。生娘でしたよ。酸いも甘いも、嚙み分けるどころかそんな味そのものを知らないような。……無邪気ですが愚かな娘でした。家もなく、ただの根無し草だったようで。そもそもが住み込みという文字だけに飛びついてきたような娘です。やたらと明るくはきはきしていて雇ったと使用人は申しましたけれども……三歳の公子を連れてこの屋敷の端に住みはじめ、二年後には、五歳の公子を置いて屋敷を出て行っておりました。……おおかた男でしょう。あちこちに依頼して探させましたが、けっきょく、見つかることはありませんでした」
あたしはまた、すごい話を聞いている……のだ。
「さすがに、幼子を置いていかれたのはそのときがはじめてでございましてね。でも母親も生死すらもわからない、父親は不明。……施設に預かってもらおう、そしてあの子のことは忘れようと、一族の会議で問題として持ち上がるくらいだったのです。もちろんのこと、施設の社会的意義は否定いたしません。天王寺家グループは福祉事業に対しても積極的でございますればね。――けれどもそのようなもったいないことはさせませんでしたのよ、わたくしは。……もともとが親から見放された子なのです。捨てられた、とのちにわたくしたちを恨むくらいであれば、わたくしが引き取ると一族に申し上げましたよ。そのほうが長い目で見て一族のためにもなりますでしょう、とね。貴方もね、立派な社会人でらっしゃるのですから、本音と建前ということはよくよく存じ上げておりますでしょう。そういうことです。建前があればひとは納得いたすもの。……わたくしはこうして、あの子を建前上は養子として迎え入れることで、公子を無事に家のペットにすることに成功いたしましたのよ」
「……それって、つまり。あの」
あたしはよくもない頭で必死に考える。
「公子さんのお母さんは、このお家の使用人さんで……でも、行方不明になっちゃって。ちっちゃな公子さんが置いていかれて……それで施設に送ろうってことになったけど、おばあさんだけ反対して……でもそれって、えっと、その。――公子さんを……ペット扱いするために、公子さんを引き取ったということ……ですか?」
「そうです」
おばあさんは、微笑んでいる。
着物が決まってて、お上品で、柔らかい雰囲気の、すてきなすてきなおばあさん。
掛け軸を背景にしたら、ぴったりキマっている。
……怖い、と思った。
「それが、あの子たちのすべてです」
あたしは、なにも言えなかった。
ことん、とししおどしが、もういっかい鳴る。
とても……平和だった。
おなじ建物のなかにあのひとたちがいるなんて、もう、信じられないくらい。
「……お話につきあってくれてどうもありがとうね。おみやげを用意しておりますので、どうぞお持ちになってくださいね。ほんのお気持ちですから、お気になさらずにね。……公子のお友だちがいらしてくださったのはずいぶんとひさしぶりでした。あの子の秘密を話したのも」
笑うすがたは、おばあさんなのに色気があって、ぞっとした。
「これからも、公子をどうぞ、どうぞよろしく……」
――狂ってる。
あたしは、そう思った。
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