卵焼き

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「っ…、」 ぴちゃ ごくかすかだけど、やたら粘度の高い音が確かに聞こえた。倫也の舌が俺の舌にぶつかったのだと遅れてわかる。口の中の音って、耳にダイレクトに響くんだってことも。 ………なんで!? みさかいのない、おおかみだって言われてんぜー、月ヶ瀬は。 長野の、なぜだか楽しそうだった声。 舌先が歯の裏側をたどってく。されるがまま、だ。上あごの、湿った皮膚がよれたようになった部分に触れられると、笑いたくなるのとは違うくすぐったさでぞわりと身内がふるえた。 逃げなきゃ。食われちゃう。 そう思ったら弾かれるように体が動いた。 「………わっ!?」 ベンチから転げ落ちる。その拍子に、そばにあった観葉植物の鉢に背中からぶつかって派手な音が立つ。 なんだ!? なにが起きたんだ!? 俺は床にへたり込んだまま、必死に呼吸を整えようとする。 物騒な音を聞きつけたらしい看護師さんが、廊下の向こうから早足に歩いて来た。 「病院だから静かにしてくださいね?」 「す…すみません…」 母親くらいの年齢のその人は男子高校生ふたりを(いぶか)しげに見ながら、植木鉢を直すと立ち去って行く。言い訳もできない。 倫也はベンチに座ったまま俺を見ている。髪の毛のひとすじも、乱れてはいない。 「そんなに何回もしたことないし」 うっ…嘘だ!! 「誰とでもなんて、しないから」 嘘だっっ! 絶対に! 自分だけとっととマスク着けてんじゃねえよ! 感触がまざまざと残り過ぎて、声が出せない。 倫也は立ち上がると小さな室内に入り、乾燥機から洗濯物を取り出していく。 俺は自分の腰が抜けていることに気づく。 やがて肩からビニールバッグを担ぐと、まだ座り込んでいる俺の前にしゃがんだ。 「!」 反射的に、唇を手の甲でガードする。 「もうしないよ」 させるかよ! 「わかった? キスのしかた」 ………よくわかんねーよ!! 「行こ」 俺の手を取ろうとする。 「…自分で立てる!」 「そう?」 とてもそうは見えないけど、と動揺なんてひとつも見せずに、あくまで涼しげに倫也は微笑む。
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